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B29搭乗員慰霊碑とB29エンジン(青梅)

青梅市の山中にB29が墜落したのは、昭和20(1945)年4月2日未明のことであった。
その墜落現場の山中に、B29搭乗員の慰霊碑が建立されているというので、足を運んでみた。

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青梅線・軍畑駅

青梅線・軍畑駅から多摩川を渡る「軍畑大橋」の向こうに広がる山中にB29が墜落した。

後述するが、青梅市郷土博物館に保管されているエンジンの一部は、墜落時に多摩川に落ちたものを回収したものという。

B29が墜落した山を目指す。

写真後方の山中にB29が墜落した。

最初、道にまよったので、場所を明記しておく。

「吉野街道」の「柚木町三丁目交差点」が目印。

場所

B29入口 →

看板もある。

案内看板を目印にしよう。

B29入口 →

B29へ →

道が思ったよりも危険でした。

危険

← 40m先 B29

けっこう、集中して歩かないと本当に危ないです。

足元に注意

B29 →

ひたすら山道を歩く。しっかりとした靴でないと辛い道。

B29へ →

B29

B29 →

見えてきました。

軍畑駅から入口までは約15分。
私は入口がわからなく迷ってしまったので、結果プラス30分かかりましたが。
そして、入口からは山道を約15分ほど歩いた感じでした。


B29搭乗員慰霊碑

山林所有者が建立した慰霊碑。
格別な説明はなく、ただ一言「當所無縁一切聖霊」とのみ刻まれた慰霊碑。

昭和20年4月2日未明、柚木の山中にB29が墜落した際に、11人のB29搭乗員のうち既に5名が亡くなっていた。
近くに疎開していた吉川英治は、「死ねば敵も味方もない」「丁重に葬るべし」と提言され、火葬の上で近くの即清寺に埋葬された。(戦後、米軍が回収)

生き残った6名のうち2名はその後になくなり、4名は米国に帰国している。

吉川英治は1944年に横浜から青梅に疎開し戦中戦後の9年5ヶ月間を青梅に居住していた。(近隣に吉川英治記念館がある。)

1945年4月2日午前3時頃
東京都西多摩郡吉野村柚木(現・青梅市柚木町)の愛宕山山腹

 B29(機体番号43ー93999、第73航 空団498爆撃群所属)が墜落。
 飛行機は空襲が終わるころ高射砲弾を受けたらしく、火の玉になって飛来、墜落と同時に爆発してバラバラになり、破片が山麓の吉野街道付近まで散乱した。
 (注)作戦任務第51号(目標:東京−中島飛行機武蔵製作所、第73航空団から出撃122機、損失6機)

 機長のCarl C.SMITHなど5人は機体とともに墜落死、遺体は吉野村即清寺の墓地に火葬して埋葬され、戦後、米軍が回収。参考人は即清寺住職。
 パラシュート降下した5人(西多摩郡三田村で4人、小曾木村で1人)が1両日中に捕虜になり、サイドカーで立川憲兵隊を経て東京憲兵隊へ送られた。彼らのうち、Francis M.REYNOLDS二等軍曹、Sylvio LAMARCA二等軍曹、John W.EVANS 二等軍曹、Morris W.SANSOUCI軍曹の4人は戦後米国へ帰還したが、John S.HOUGHTON少尉は全身に火傷を負っており、東京憲兵隊に収容中症状がさらに悪化、治療の見込みなしとして11日に毒殺された。東京都小石川の陸軍墓地に埋葬。
 また、Kenneth PETTERSON軍曹は数日間山中に隠れていたが、空腹に耐えかねて黒沢3丁目の民家に現れて捕虜になり、東京憲兵隊へ送られた後、東京陸軍刑務所に移送、5月26日の空襲による火災で死亡。
 青梅市立郷土博物館には、このB29のエンジンや破片の一部が保存されている。
 また、山林の所有者の野村哲也さんは、2001年に墜落現場近くにB29搭乗員の慰霊碑を建立し、06年には在日米軍横田基地の代表や青梅市長など150人が参加して慰霊祭が催された。

POW研究会「本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士」 http://www.powresearch.jp/jp/archive/pilot/tobu.html

當所無縁一切聖霊

無縁一切聖霊

【無縁仏】より
…供養されることがないのでつねに腹をすかせ,あるいは安らかな死が迎えられず,怨恨をもって迷っているため,たたりやすく,またこの世に害を与えるので,無縁仏には個人または集団でことあるごとにまつる必要があるとされた。中世の霊魂祭祀では,個々の無縁霊がもれないように,総括して法界,三界万霊,無縁一切精霊などと表現していた。民俗用語としては,現今,南九州・南島ではフケジョロ(外精霊),ウケジョロ(浮精霊),ホカドン(外殿),トモドン(供殿)など,紀ノ川沿いではお客ボトケ,兵庫県宍粟郡ではショウロサン(精霊様),岐阜県加茂郡では一切精霊様,壱岐ではサンゲバンゲ(三界万霊)などとよばれている。…

コトバンク  https://kotobank.jp/word/%E7%84%A1%E7%B8%81%E4%B8%80%E5%88%87%E7%B2%BE%E9%9C%8A-1424491

慰霊碑はB29が墜落したという山中に、人知れずに鎮座している。

平和の鐘

B29墜落現場の慰霊碑の先にも案内看板があった。

山ノ神さま →

足を伸ばしてみる。

眼下に広がる柚木の集落。
この山中の斜面にB29が墜落したのだ。

そうして、山ノ神さまが、柚木の集落を見守っていた。


軍畑駅から青梅駅に移動。
青梅駅から再び多摩川を渡って、青梅市郷土博物館へ。


青梅市郷土博物館

青梅市郷土博物館に、前述の柚木の山林に墜落したB29のエンジンの一部が展示されている。

B29のエンジン

墜落したB29のエンジンの一部
 昭和20(1945)年、吉野村柚木(現在の青梅市柚木町)の山林に墜落したB29爆撃機のエンジンの一部です。
 日本側の記録によると、昭和20(1945)年4月2日未明に北多摩地区が空襲を受けたが、午前3時12分頃、柚木の山林にB29が1機墜落したとあります。その際、墜落の直前に4基あるエンジンのうち1基が脱落し、多摩川に落ちたと当時の目撃者が語っております。
 このエンジンは、その後、放置されたままでしたが、昭和54(1979)年、地元の方達により引き上げられ、保管されていました。
 そして、平成5年9月、保管主の青木光男氏より当館にへ寄贈されました。

市内柚木町に墜落したB29「Filthy FayⅡ」と搭乗員

 昭和20年(1945)4月2日未明、中島飛行機武蔵製作所付近(現在の武蔵野市、西東京市、練馬区付近)爆撃任務中に高射砲(搭乗員の証言)により被弾し炎上、市内柚木町2丁目(当時は西多摩郡吉野村)の山中に墜落しました。11人の搭乗員のうち墜落時に5人が死亡し、その後ヤケドや空襲で2人が死亡、終戦後アメリカに帰国したのは4人でした。
 4月2日の爆撃は、午前2時20分ごろから30分ごろまで120機前後のB29が爆撃に参加し、焼夷弾や照明弾、時限爆弾などが投下され、保谷町(現在の西東京市)などで200名以上の犠牲者が出ました。

中島飛行機武蔵製作所

平成29年11月撮影 武蔵野市・西東京市 昭和19年11月24日。B-29爆撃機による東京初空襲。その最初の空襲目標は…世界に誇る東...

B29のエンジンの一部。


飛龍のエンジン

青梅市郷土博物館には、墜落した帝国陸軍の四式重爆撃機(キ67)「飛龍のエンジン」も展示している。

墜落した「飛龍」のエンジン
 昭和20年8月11日の夕刻、大日本帝国陸軍の重爆撃機「飛龍」が吉野村柚木(現在の青梅市柚木町)の山中に墜落しました。終戦の4日前のことです。墜落機は埼玉県熊谷の第1航空軍、第16独立飛行隊に所属していました。
 当日は、静岡県浜松飛行場での事故機の支援任務を終え、傷病兵2名を乗せて熊谷に帰還する途中、何らかのトラブルにより墜落したものと思われます。
 墜落した場所は、愛宕山尾根の東端付近で、梅ノ木峠と三ツ沢峠をつなぐ稜線の北側斜面です。
 平成16年1月18日、小川秋子氏(元青梅市文化財保護指導員)を始めとする多くの方々の献身的な努力によって、急峻な谷底から100キロを超えるエンジンの一部が搬出されました。
 このたび、小川秋子氏より寄贈を受け、本館に展示することとなりました。

四式重爆撃機「飛龍」

墜落した「飛龍」
○墜落事故
 昭和20年8月11日の夕刻、大日本帝国陸軍の重爆撃機「飛龍」が吉野村柚木(現在の青梅市柚木町)の山中に墜落しました。終戦の4日前のことです。墜落機は埼玉県熊谷の第1航空軍、第16独立飛行隊に所属していました。
 当日は、静岡県浜松飛行場での事故機の支援任務を終え、傷病兵2名を乗せて熊谷に帰還する途中、何らかのトラブルにより墜落したものと思われます。
 墜落した場所は、愛宕山尾根の東端付近で、梅ノ木峠と三ツ沢峠をつなぐ稜線の北側斜面です。
○エンジンの回収
 平成16年1月、墜落現場の山中でエンジンの一部(強制冷却ファン)が発見され、地元有志の協力により谷底から引き上げて回収されました。
○慰霊祭と回収品
 平成20年8月9日、関係者が集まり墜落現場で慰霊祭を挙行、その後、回収品の管理について回収にあたられた地元有志の方々のご厚意により「青梅市郷土博物館」で保管・展示することになりました。
(以下略)

四式重爆撃機「飛龍」のアンテナの一部・アルミ合金・やっきょう・風防ガラスなど。

これらは墜落した飛龍の部品の一部です。
墜落現場から飛龍のエンジンの一部が回収された際に、付近に散乱していたこれらの部品も一緒に改修されました。

四式重爆撃機「飛龍」の模型(1/72)
四式重爆撃機「飛龍」は大日本帝国陸軍が太平洋戦争末期に生産した重爆撃機です。三菱重工業によって開発され、三菱の各工場や陸軍立川航空廠などで生産されました。三菱製の新型発動機などを搭載して優れた性能を持っており、大戦末期の旧日本軍劣勢下においても活躍したといわれています。


青梅市郷土博物館

青梅市郷土博物館 収蔵品データベース

青梅市郷土博物館の収蔵品データベースです

青梅市郷土博物館 収蔵品データベース > B29のエンジン

青梅市郷土博物館 収蔵品データベース > 飛龍のエンジン


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