鉄道と軍隊は、切っても切れない重要な関係にあった。
そのため日本の動脈である鉄道は、戦時中は幾多の危険を伴っていた。
新河岸川に架かる「新河岸橋梁」も、戦争をくぐり抜けた鉄道鉄橋の一つであった。
目次
軍都・赤羽
東京と埼玉をの間に横たわっている荒川・新河岸川。
東北本線は赤羽と川口で南北に横断する。
荒川・新河岸川の南側は、陸軍の拠点として工兵部隊が展開されている「軍都・赤羽」であった。
位置関係
国土地理院航空写真
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル:893-C1-191
昭和19年(1944年)9月27日、日本陸軍撮影の航空写真を一部加工。
画像右上に鉄道橋が「2本」架かっているのがわかる。(現在の鉄道橋は「3本」)
新河岸川橋梁
東京都北区赤羽と埼玉県川口市舟戸町の間で、新河岸川に架かる「新河岸川橋梁」と荒川に架かる「荒川橋梁」が連なっている。
明治16年(1883)に初代橋梁が仮設として建設され、明治18年に初代橋梁が完成。
関東大震災後に2代目橋梁が企画され、貨客分離で2本目も増設された。
現在は3本の鉄道橋が並んでいる。
上流 貨物線 昭和2年(1927) → 東北貨物線・湘南新宿ライン
中央 列車線 昭和3年(1928) → 宇都宮線・高崎線。上野東京ライン
下流 電車線 昭和43年(1968)→ 京浜東北線
上流側から。
手前の2本は戦前の架橋。奥の1本(京浜東北線)は戦後の追加架橋。
平成25年(2013)11月17日(日)、上記写真の右側の護岸工事中に不発弾が見つかっている。
新河岸川整備事業(新河岸川護岸工事現場)では、新河岸川橋梁の間近にて不発弾(2,000ポンド爆弾/1トン爆弾)も見つかっていることから、米軍も戦略的に、この東京都埼、そして東北を結ぶ大動脈であった鉄道橋・新河岸橋梁をターゲットしていたこともわかる。
http://www.ukima.info/newslog/episolgo/form2/130724.pdf
上記PDFより不発弾発見場所
新河岸川橋梁(貨物線)
新河岸川橋梁(貨物線)は、3つの橋のうち、一番古く昭和2年(1927)竣工。上流に位置している。
その新河岸橋梁の埼玉側(北側)に、戦争の爪痕があるというので足を運んでみました。
トラス橋の「端柱・橋門構」をみると、左右で異なっている。
北側から見て、左は「リベット結合」、右は板が追加され「溶接結合」がされていることがわかる。
この左右で異なっている理由が(真偽は不詳ではあるが)、
「米軍機によるロケット弾により被弾損傷したものを修復した名残である」、とされている。
確定できるソース(原拠)に辿りついていないため、本記事の表題は「?」としました。
たしかに、右側と左側が異なっている。
端柱・橋門構の右側は補強修復されていることがわかる。
オリジナルの端柱はリベットのみ。
修復された端柱はオリジナルのリベットと、一部に板を追加された溶接となっている。
左 貨物線 昭和2年(1927) → 東北貨物線・湘南新宿ライン
中 列車線 昭和3年(1928) → 宇都宮線・高崎線。上野東京ライン
右 電車線 昭和43年(1968)→ 京浜東北線