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「インド独立運動の父」マハトマ・ガンジー像(杉並区)

杉並区立読書の森公園(杉並区立中央図書館の隣)

杉並区、杉並区日印交流協会、杉並区交流協会が交流を結んできたインドの慈善団体である「ガンジー修養所再建トラスト」(本部:デリー)により寄贈されたもの、という。

インド独立の志士であるチャンドラ・ボースの遺骨の供養を続ける蓮光寺との縁もあり、杉並区とインドは深い関係にある。

平成30年1月撮影 インド独立運動の英雄チャンドラ・ボース ボース事故死より30年後の昭和50年8月18日に遺骨を預...

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マハトマ・ガンディー(ガンジー)

インド独立運動の象徴とされるガンディー。

第2次世界大戦中、インド国外でイギリスに対する独立闘争を続けていた「スバス・チャンドラ・ボース」や「ビハーリー・ボース」、「A.Mナイル」などの独立運動家は、日本の支援を受けてインド国民軍を組織し、インドの外側から軍事的にイギリスに揺さぶりをかけようとした。
しかしインド国内、つまりイギリスの植民地に留まっていたガンディーは、この様な動きに連携することなく、インド国内でイギリスに対する「不服従運動」「非暴力運動」に終始していた。

1945年8月に日本が降伏し、第二次世界大戦が終結。
イギリスは戦勝国となったが、国力は衰退。
イギリス本国から遠く離れている上に独立運動が根強く続けられてきたインドを植民地として支配し続けることが困難な状況であった。

さらには、日本と連携した「チャンドラ・ボース」や「ラース・ビハーリー・ボース」「A.M.ナイル」らが設立した「インド国民軍」の一員として、これを支援した日本軍とともにイギリス軍やアメリカ軍、オーストラリア軍などと戦った多くのインド人将官が、イギリス植民地政府により「反逆罪」として裁判にかけられる事態となり、これに対してガンディーは「インドのために戦った彼らを救わなければならない」と、インド国民へ独立運動の号令を発令。この発令をきっかけに再びインド独立運動が拡大。
イギリスはもはや、この運動を止めることができず、1947年8月15日にデリーにてジャワハルラール・ネルーがヒンドゥー教徒多数派地域の独立を宣言。イギリス国王を元首に戴く英連邦王国であるインド連邦が成立した。その後1950年には共和制に移行し、イギリス連邦内の共和国となった。

1947年8月のインド・パキスタン分離独立に前後して、 宗教理由から分かれたヒンドゥー教徒とムスリム(イスラーム教徒)による宗教暴動の嵐が全土に吹き荒れた。ガンディーは身を挺して両宗教の融和を図るが好転しなかった。ガンディーは戦争相手のパキスタンにも協調しようとする態度から、「ガンディーはムスリムに対して譲歩し過ぎる」としてヒンドゥー原理主義者から敵対視され、「イスラーム教徒の肩を持つ裏切り者」として、1948年1月30日に暗殺される。78歳であった。
最期の言葉は、「おお、神よ」(ヘー ラーム ) 。

ガンディーの葬儀は死去翌日の1月31日、国葬として営まれた。
群衆の見守る中、 彼の亡骸はラージガート火葬場にて荼毘に付され、遺灰はガンジス川や南アフリカの海に撒かれた。

マハトマ・ガンジー
1869年10月2日-1948年1月30日

東京都杉並区にこのガンジー翁の銅像を、2008年11月6日にガンジー・アシュラム(修養所)再建財団創立者・インド国会議員・故ニルマラ・デッシュバンデ女史の遺志により、ガンジー翁の精神に基づいて、世界平和と相互理解が強められることを記念して、贈る。

「7つの大罪」
汗なしに得た財産
良心を忘れた快楽
人格が不在の知識
道徳心を欠いた商売
人間性を尊ばない科学
自己犠牲をともなわない信心
原則なき政治

場所

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