平成29年(2017)参拝
大阪府に戦没者の御霊を恒久的に奉斎する神社がなかったために、昭和15年に内務大臣指定護國神社として創建。
御祭神
明治維新前後の天誅組8柱をはじめ、西南の役、日清日露戦争、大東亜戦争に至る大阪にゆかりのある10万5600余柱の英霊を祀る。
敗戦後は進駐軍の監視のもとで慰霊祭が禁止され、社号も改称せざるを得なく、大阪浪速興隆の礎を築かれた仁徳天皇を祀り「浪速宮」と改称して存続。
昭和27年のサンフランシスコ講和条約締結後に「大阪護國神社」に復称。奉安殿に仁徳天皇をまつり、相殿には東郷平八郎元帥を御遺髪とともに祀っている。
目次
御朱印
大鳥居
大阪府最大級の鳥居
昭和15年の社号標
御社殿
10万5600余柱の英霊を祀る
奉安殿
仁徳天皇 東郷元帥を祀る。
ほまれの宮
御英霊と深い絆で結ばれ亡くなられた戦友やご家族の皆様を御英霊のおそばでお祀りするお社。
さざれ石
母に感謝の像
辛い時 悲しい時
何時も 私達を
力強く抱きしめ
励まし育ててくれた
母の姿を
忘れてはならない
お母さん
ありがとう
財団法人 日本遺族会
会長 古賀誠 書
あゝ特攻 特攻勇士之像
平成21年10月建立
特攻勇士に捧ぐ
大東亜戦争の戦局が一段と厳しくなった昭和19年10月以降、多くの若者が愛する祖国と家族を護るために一命をなげうち、わが身もろとも敵艦に体当りする特別攻撃を敢行、遥かな南の空や海に散華されました。
私たち「特攻勇士の像を奉納する会」一同は、大阪府ご出身の五百余の特攻戦士を慰霊しその功を永く伝えるため、像をここ大阪護國神社に建立いたしました。この像を仰ぐ方々が、若者たちが身命をかけて崇高な「日本人の心」を実践したこと、そして今日の平和と繁栄はその尊い死の上にあることに、ぜひ思いを致されんことを、一同こい願うものであります。
平成21年10月24日
(財)特攻隊戦歿者慰霊平和祈念協会
日本人の心を伝える会
碑文・揮毫 吉田 學
慰霊碑像デザイン 塚本 哲
慰霊碑
大阪護國神社のサイトを参照
慰霊碑は東西の区画にわかれている。
大日本帝国海軍
海軍関係戦没者 慰霊碑
碑文
明治初年に創設され、その後幾多の輝かしい歴史と伝統を保有し、わが国の栄光と国威の象徴として、国民に尊敬され親しまれた日本帝國海軍は、さきの太平洋戦争において善戦空しく敗れ、昭和20年8月15日の終戦と共に、その八十年の長い歴史を閉じた。
この戦において、四十万余の海軍軍人・軍属が、その貴い生命を祖国に捧げて勇戦奮闘の末、国の御楯として散華した。
大阪を中心とする近隣府県在住の海軍関係生存者ら有志相寄り相図り、ここ大阪護国神社の聖域に慰霊の碑を建立した。
海軍を弔い、永遠の平和を希求し、戦没者に心から慰霊の誠を捧げ、以ってその芳勲を千秋に伝えんとするものである。
昭和60年5月
海軍関係戦歿者慰霊碑建立委員会
委員長 岡山幸男
建立・管理 | 建立委員会委員長 岡山幸雄 |
揮毫者 | 大阪護國神社宮司 柳澤 寮 |
建立年月日 | 昭和六十年六月 |
慰霊祭の主催者 | 水交会 |
祭神数 | 五四,○○○柱 |
豫科練
貴様と俺と翼の碑
碑文
昭和5年に、すぐれた飛行機搭乗員の養成は英才の早期教育に俣つとの観点より「海軍飛行予科練習生」の制度が創設され、昭和12年には甲種、乙種、その後丙種、特乙種の修業課程が定められた。国を愛し空に憧れた少年達が全国各地はもとより遠く海外にあった者も勇躍志願をしたのである。
予科練出身搭乗員は、昭和12年8月、日支事変に於てその初陣を飾って以来、太平洋戦争では名実ともにわが航空戦力の中核となって、嚇々たる武勲をたてたのであるが、戦局利あらず本土決戦の秋来るや、祖国日本の弥栄を信じ一死もって国難に殉ぜんと相ついで航空、水上、水中特別攻撃隊員となり、空に海に敢然として散華していった。
我ら元予科練習生は終生そのきづなを深め、この聖地に名を連ね、英霊の顕彰と昭和の御代に「予科練」という紅顔のさきがけありと後世に伝え、世界の平和と子孫の繁栄をこい希い本碑を建立する。
嗚呼
昭和57年12月5日
関西甲飛会 建立
建立・管理 | 関西甲飛会 |
建立年月日 | 昭和五十七年十二月 |
慰霊祭の主催者 | 関西甲飛会 |
祭神数 | 一八,○○○柱 |
鎮魂
第三十四師団通信隊
第34師団は昭和14年(1939)に新設。大阪にて編成。中国戦線に派遣される。
建立・管理 | 健通会 |
建立年月日 | 昭和五十九年三月 |
慰霊祭の主催者 | 健通会 |
祭神数 | 八八柱 軍馬・軍鳩之碑 |
つわもの之碑
野砲兵第二十六聯隊
建立・管理 | 野砲兵第二十六連隊 |
揮毫者 | 陸軍少将正四位 吉富徳三 |
建立年月日 | 昭和五十年四月 |
慰霊祭の主催者 | 野砲二六会 |
祭神数 | 四,三七七柱 軍馬之碑 |
龍山歩兵第七十九聯隊
戦友はここに眠る之碑
建立・管理 | 歩兵第七九戦友会 |
揮毫者 | 山崎孝三 |
建立年月日 | 昭和五十七年四月 |
慰霊祭の主催者 | 歩七九会 |
祭神数 | 一八,○○○柱 |
慰霊
海軍第一期 飛行専修予備生徒慰霊碑
海軍第1期飛行専修予備生徒は、戦雲急を告げる昭和18年12月10日、学業半ばにして臨時現役兵として應召し、各海兵団を経て、三重及び鹿児島の海軍航空隊に於て基礎訓練を受け、中練教程の後、予備士官として実戦に参加した。
主として沖縄特攻、その他数々の戦場に於いて我々は同期165名を失った。
戦後30年ここにその名を銘記し、今は亡き戦友の御霊を永遠に弔うものである。
建立・管理 | 海軍第一期飛行学生 |
建立年月日 | 昭和五十一年八月 |
慰霊祭の主催者 | 一生会 |
祭神数 | 一六五柱 |
サイパン島戦没者慰霊碑
明治二十九年、歩兵四十聯隊は大阪歩兵二十聯隊に仮兵舎をおいて聯隊本部を設置したことに始まる。
明治三十年に大阪から鳥取に転営。
大東亜戦争では歩兵第四十聯隊第三大隊がサイパンで玉砕。本体は本土決戦準備のため宮崎へ移動、そこで終戦を迎えた。
建立・管理 | サイパン奉賛会 |
揮毫者 | 鳥取四十連隊長 愛甲立身 |
建立年月日 | 昭和四十五年五月 |
慰霊祭の主催者 | サイパン奉賛会 |
祭神数 | 五○,○○○柱 |
海軍大尉 粟井俊夫之碑
粟井俊夫命
神風特攻第三筑波隊にその名が確認できる。
飛行科予備学生第14期。 昭和20年4月16日に沖縄方面の機動部隊に対して特別攻撃を敢行。
建立・管理 | 粟井岩吉 |
建立年月日 | 昭和四十四年五月吉日 |
慰霊
独立輜重兵 第五十四大隊慰霊碑
昭和16年に大阪にて編成。東北満州の警備に当たる。昭和19年3月に中国戦線に転戦し、終戦。
建立・管理 | 独立輜重兵第五十四大隊 |
建立年月日 | 昭和五十二年八月 |
慰霊祭の主催者 | 独立輜重兵第五十四大隊 |
祭神数 | 六三九柱 |
歩兵第二百十七聯隊之碑
第34師団隷下。昭和14年に大阪にて編成。
建立・管理 | 歩兵第二百十七連隊 |
揮毫者 | 内閣総理大臣 田中角栄 |
建立年月日 | 昭和四十八年三月 |
慰霊祭の主催者 | 歩二一七会 |
祭神数 | 二,三○五柱 軍馬・軍犬・軍鳩之碑 |
歩兵第十四聯隊之慰霊碑
明治8年に小倉で創設。昭和15年以降の徴募区は大阪を主体とする。昭和20年4月、本土決戦部隊として宮崎に進駐、終戦を迎える。
建立・管理 | 大阪勝山会有志 |
建立年月日 | 昭和六十三年十一月 |
慰霊祭の主催者 | 大阪勝山会 |
祭神数 | 七一一柱 |
騎捜会
鎮魂之碑
建立・管理 | 騎捜鎮魂会 騎兵第四連隊 捜索第四連隊 騎兵第二十八連隊 捜索第二十連隊 ほか |
揮毫者 | 大阪府知事 岸 昌 |
建立年月日 | 昭和六十年十月 |
慰霊祭の主催者 | 騎捜鎮魂会 |
祭神数 | 一,四○○柱 愛馬之碑 |
鎮魂
歩兵第二百十六聯隊鎮魂碑
建立・管理 | 歩兵第二百十六連隊戦友会 |
建立年月日 | 昭和五十二年九月 |
慰霊祭の主催者 | 歩二一六会 |
祭神数 | 二,三六二柱 軍馬・軍犬・軍鳩之碑 |
歩兵第百八聯隊
つわもの之霊
ここに鎮まる
建立・管理 | 歩兵第百八連隊 |
揮毫者 | 服部敏夫 |
建立年月日 | 昭和五十三年十月 |
慰霊祭の主催者 | 歩百八会 |
祭神数 | 一,三○○柱 |
騎兵第四聯隊慰霊碑
建立・管理 | 騎兵第四連隊 |
揮毫者 | 大槻 章 |
建立年月日 | 平成六年十一月 |
慰霊祭の主催者 | |
祭神数 | 三,○○○余柱 |
歩兵第三十七連隊慰霊碑
建立・管理 | 歩兵第三十七連隊 |
揮毫者 | 陸上幕僚長 杉田一次 |
建立年月日 | 平成五年十一月 |
慰霊祭の主催者 | 歩三七会 |
祭神数 | 二,○○○余柱 |
檜 第六十八師団
慰霊碑
建立・管理 | 檜第六十八師団 慰霊碑建立委員会 |
揮毫者 | 大場軍勝 |
建立年月日 | 昭和六十二年十一月 |
慰霊祭の主催者 | 檜会 |
祭神数 | 一○,六七二柱 |
平和の礎 歩兵第八連隊之慰霊碑
建立・管理 | 歩兵第八連隊 |
揮毫者 | 大阪護國神社宮司 柳澤 寮 |
建立年月日 | 平成元年五月 |
慰霊祭の主催者 | 歩八会 |
祭神数 | 二,七○○柱 |
信太山砲四会之碑
鎮魂
建立・管理 | 信太山砲四会 |
建立年月日 | 昭和五十七年四月 |
慰霊祭の主催者 | 信太山砲四会 |
祭神数 | 七,五○○柱 愛馬の碑 |
香8114部隊の碑
殉國の英霊 このところに鎮まる
建立・管理 | 独立歩兵第六十七大隊 第四中隊 |
揮毫者 | 中山二郎 |
建立年月日 | 昭和五十三年八月 |
慰霊祭の主催者 | 香親会 |
塩沢幸一題
皇風洽六合 明徳侔太陽之碑
塩沢幸一海軍大将。海軍兵学校第32期。同期は堀悌吉、山本五十六、吉田善吾、嶋田繁三郎ら。日米開戦時は軍事参議官。山本五十六戦死時に国葬の司祭長を勤めた。昭和18年11月に病死。
建立・管理 | 岡本忍一 |
揮毫者 | 海軍大将 塩沢幸一 |
建立年月日 | 昭和十七年八月 |
参拝は2月下旬。境内には梅が咲きつつある春間近な季節。
御英霊に感謝と哀悼の祈りを捧げつつの参拝。
ありがとうございます。
〆