昭島市。昭和3年(1928年)に発足した昭和村を前身とする。
立川陸軍飛行場の隣ということもあり、航空機関連の軍需工場が昭和村にも進出。
そんな昭和村に進出した「昭和飛行機」の名残を昭島に辿ってみる。
目次
昭和飛行機工業株式会社
多摩四大航空機メーカーといえば、立川飛行機・日立航空機・中島飛行機、そして昭和飛行機。
昭和12年(1937年)6月5日に、三井系新興企業の「昭和飛行機工業株式会社」が設立され、翌昭和13年(1938年)には、昭和村(現在の昭島市)の「東京製作所」において、三井物産を経由して製造権を獲得した米ダグラスDC-3のライセンス生産を開始。
昭和飛行機工業株式会社は、米ダグラスDC-3をベースとした大日本帝国海軍の主力輸送機「零式輸送機」を430機を生産。その他海軍向け各種航空機を含めると700機の航空機を生産したという。
昭和村は、昭和飛行機とともに発展し、昭和16年に町制を施行し昭和町に。
戦後の昭和29年に昭和町と拝島村が合併し、昭島市が発足している。
昭和飛行機工業は、戦後はGHQによって航空機事業の全面禁止を余儀なくされた。昭和飛行機の航空機製造工場も賠償指定工場として接収を受け、米軍の各種車両(航空機燃料給油車・消防車・クレーン車・バスなど)・エンジン・航空機などの修理作業に従事。米国の新技術と技法を習熟し、民需転換後の新事業の基礎となった。
現在の昭和飛行機工業は、航空機内装美品や特殊車両などを手掛ける一方で、国内唯一のハニカム総合メーカーとしても確立し、自社保有地の都市開発業務を分社化している。
かつての昭和飛行機工業の広大な土地(滑走路跡など)は、「昭和の森ゴルフコース」「昭和の森テニスセンター」や「モリタウン」「モリパーク」「昭島つつじヶ丘ハイツ」などに生まれ変わっている。
昭和飛行機工業の格納庫は、屋内テニス場に。
位置関係
国土地理院航空写真
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル:USA-R556-No1-20
昭和22年(1947年)11月14日、米軍撮影の航空写真。
上記を拡大。
西には昭和飛行機工業の工場エリア。
中央に格納庫。
東には滑走路が広がっていることがわかる。
現在の航空写真。
西には引き続き、昭和飛行機工業の工場。
中央の格納庫は、昭和の森テニスセンターへ。
滑走路跡は、ハイツやカインズ、昭島市民会館、そして昭和の森ゴルフコースが広がっている。
格納庫部分を拡大。
格納庫が6棟並んでいる。
いまは格納庫が3棟、残っていることがわかる。
現在、当時の格納庫は、昭和の森テニススクールとして活用。
昭和飛行機の工場エリアを拡大。現在の南工場エリア。
工場特有のノコギリ屋根が残っているのがわかる。
ただノコギリ建屋の東3分の1が削られていることもわかる。
10年ほど前は東工場にもノコギリ屋根の建屋があったが、現在は解体されグランドになっている。
(下記写真の緑の芝生グランドの場所)
昭和飛行機工業東京製作所の跡地散策
昭島駅から散策スタート。
「昭島駅」は、かつては「昭和前駅」と呼称されていた。
昭和飛行機工業東京製作所の従業員向けに昭和13年(1938)1月に青梅電気鉄道の「昭和前仮停留場」として開業。同年12月に「昭和前駅」に昇格している。
昭和飛行機本館跡地(昭和の森広場)
現在の「昭島市立昭和の森広場」が昭和飛行機本館の跡地。本館は2014年に取り壊しをされており、公園へと整備されている。
昭和飛行機工業株式会社 創設の地
当地は、昭和12年に航空機の製造を目的として創設された昭和飛行機工業株式会社の本館跡地であり、このヒマラヤスギは、創設時に植樹されたものです。永く当地の歴史を見届けてきたヒマラヤスギを保存し市民の憩いの場とするため、当地を「昭和の森広場」として昭島市へ寄贈いたします。
平成27年8月10日 昭和飛行機工業株式会社
場所
昭和飛行機工業に残る往時の建屋?
いまでもいくつか往時からのものと思われる建屋が残っている。
昭和飛行機工業(南工場)の「ノコギリ屋根の工場」
昭和初期当時からの建屋と思われる。
2つ目の建屋。ノコギリ屋根の工場の西側に。
当時の航空写真を照らし合わせて、ノコギリ屋根の工場の西側の2棟の建屋も当時からのものと推測。
敷地外からは、前述のノコギリ建屋とあわせて、往時の建屋と推測できるものとして3棟を確認。
3つ目の建屋。わかりにくいが真ん中の木の左側の建屋。
給水施設の場所も、往時から変わりなしの雰囲気。
給水タンクは新しくなっている。かつての航空写真ではこの場所に給水塔が確認できる。
場所
モリパークを横目に北上をする。
新昭和通
説明文を読むと、南に昭和12年に昭和飛行機工業が開設した「昭和通」があり、この通りが北側で対となる「新昭和通」とのこと。のちほど、南にも足を運んでみましょう。
新昭和通
この道路は、「新昭和通」と呼称し、昭島駅北口の十字路から北へ進み、ゆるくカーブをしながら「フォレスト・イン昭和館」の南東角にある十字路に至る、全長594m・幅員16mの道路で、「昭和館」の建設に合わせて、全額昭和飛行機の負担で新しく築造され、昭島市に寄贈されたものであります。
この工事は、道路用地にかかわる工場敷地内の建物等の移転と並行して、平成8年10月に着工、18ヶ月の工期を経て、平成10年4月17日開通しました。
昭和12年の昭和飛行機創立当時、当社は機械設備等の搬入のため、旧奥多摩街道から諏訪神社脇を北上し宮沢地区を経て旧工場正門に至る、延長約2km・幅員11mの道路を当社の負担で新設し、地元に寄贈しました。
その道路は、「昭和通」の名で、広く人々に親しまれていましたが、道路築造に合わせて当時建立された「昭和通」の石標は、年を経て散失してしまいました。しかしながらその後、地元有志の熱意により、昭島駅南側の宮沢町1丁目1番5号(株)カトービルドシステム前にこの石標は修復再建され今日に至っております。
当社ではこれに呼応して、このたび昭島駅北側に新設した道路を「新昭和通」と称し、南の昭和12年当時の「昭和通」の石標と同型、同寸法の「新昭和通」の石標をここに建て、南北両道路ともども永く人々の記憶に留まり、また広く活用され親しまれることを念願するものであります。
平成10年4月吉日 昭和飛行機工業株式会社
場所
このあたりの道路が、工場から格納庫や滑走路方面に向かう、誘導路にもあたる。
フォレスト・イン 昭和館がある。
昭和飛行機工業東京製作所格納庫
(現・昭和の森テニススクール)
前述の航空写真では、仮に北から順番に番号を振ると「第一」「第二」「第四」の格納庫が残っていることがわかる。順番に見てみよう。
仮称の第一、第二格納庫。
場所
換気のために窓が空いていた。
中の様子は、公式サイトから流用させて頂く。
昭和の森テニスセンター 施設紹介
上記サイトから画像を参照
(仮称)第一格納庫を北から。横からの全景がよくわかる。
滑走路側へ。
(仮称)第二格納庫には「昭和の森テニスセンター」の看板が大きく掲げられている。
すこし南側の「(仮称)第四格納庫」。
(仮称)第四格納庫の東側、滑走路に面している側は、スライド式の扉。
今では開けることはなさそうだけれども。
西側(写真西側)に格納庫。道路は駐機場、東側(写真右側)は滑走路だった。
格納庫の北側。
写真右側が格納庫。左側(トヨタショップの側)が滑走路だった。
滑走路を北上する。
全然関係ないけど、HOYAのPENTAXがあった。
PENTAXのカメラ部門がHOYAからリコーに売却された際に、PENTAXのメディカル部門はHOYAに残った。PENTAXがユーザーとして目に止まったので。。。
北上すると、玉川上水にたどり着く。
昭和飛行機滑走路延伸コンクリート覆蓋部
玉川上水に沿って東に歩むと、蓋がかけられた箇所が見える。ここから玉川上水は長さ300mほど蓋をされている。
昭和飛行の敷地は南を青梅線、北を玉川上水とする広大な面積があり、その敷地の南北に試験飛行用の滑走路も設けていた。
昭和飛行機は、滑走路オーバーランの事故防止のために玉川上水に蓋をかけて滑走路を延長し玉川上水以北の土地も買収する計画があった。
玉川上水に対する覆蓋工事は東京市水道局の設計し、工事は昭和飛行機が実施。昭和15年(1940)秋頃に完成し、現在はそのまま緑道として活用されている。
なお、オーバーラン防止として玉川上水には覆蓋まではされたが、玉川上水北部の滑走路延伸そのものは未着工であった。
玉川上水覆蓋上部。違和感のない緑道。駐車場側が滑走路。現在はゴルフ場。
昭和15年に昭和飛行機によって、玉川上水にコンクリート覆蓋が実施された。
場所
昭和通
昭島駅の南側に。昭和飛行機が建設した道路の名残が残っている。
昭和通
昭和13年8月
昭和飛行機工業株式会社
「昭和通」の道しるべ
この御影石(みかげいし)の標柱は、かつて、奥多摩街道から通称「昭和通」へ入る道しるべとして、阿弥陀寺の東南の角に戦後間もない頃まで建てられていたものです。
昭和の初めまでは林や桑畑などのまだまだ武蔵野の面影を残すこの地域に、昭和12年、昭和飛行機工業(株)により軍用機の製造が始められるとともに、まちづくりや物資の輸送のために、道路の整備が進められました。
奥多摩街道から現在地点を経て、かつての昭和前駅(現昭島駅)へ至る全長約2キロメートルのこの「昭和通」もまさに主要な道路の一つでありました。
なお、現在の「昭和通り」は昭島駅の東側から奥多摩街道に通ずる南北の道路(市道昭島21号の一部と西247号)を指します。
昭島市
場所
現在の「昭和通り」
昭島駅の南口。よくみれば、北口と同じデザイン。
散策は以上。思ったよりも見どころ多数で散策のやりがいのあるエリアでした。
※撮影は2022年4月及び5月