サイトアイコン 近代史跡・戦跡紀行~慰霊巡拝

乃木大将像と護国忠魂碑(茅ヶ崎)

茅ヶ崎市に乃木希典の石像があると耳にしたので、足を運んでみた。

境内の東側に、慰霊の地がある。


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護国忠魂碑

護國忠魂碑
 希典書

明治38年10月16日 茅ヶ崎村兵事會 建立

日清日露戦争における戦没者13柱を祀る。当初は茅ヶ崎小学校に建立されていたが、戦後に円蔵寺に移設されたという。


乃木希典大将石像

乃木大将立像。御影石製。乃木将軍の没後24年となる昭和10年に円蔵寺の境内に建立されたという。石像高は約189cm、台石50cm。

堂々たる乃木将軍。


二〇三高地 血染めの岩片

日露戦争において旅順港を巡る攻防に際して大激戦地であった「二〇三高地」。そのゆかりの岩片。

水師営のなつめの木

乃木将軍とステッセル将軍が旅順軍港攻防戦の停戦会見を行った場所が水師営。その水師営の庭に生えていたのが「なつめの木」であった。

水師営の会見
 佐々木信綱作詞・岡野貞一作曲/文部省唱歌

旅順開城 約成りて
敵の将軍 ステッセル
乃木大将と会見の
所はいずこ 水師営

庭に一本 棗の木
弾丸あとも いちじるく
くずれ残れる 民屋に
今ぞ相見る 二将軍
(略)

水師營の会見 
旅順開城約なりて 敵の将軍ステッセル 
乃木大将と会見の 所はいつこ水師營

庭に一本なつめの木 弾丸跡もいちしるく 
くずれ残れる民屋に 今ぞ会見る二将軍

乃木大将はおごそかに 御恵深き大君の 
大詔伝うれば 彼かしこみて謝しまつる

昨日敵は今日の友 語る言葉もうちとけて 
我はたゝへつ彼の防備 彼はたゝへつ我が武勇

形正して言い出でぬ この方面の戦闘に 
二子を失い給いつる 閣下の心如何にそと

二人の我子をそれそれに 死所を得たると喜べり 
これぞ武門の面目と 大将答へ力あり

両将晝餉兵にして 尚も盡せぬ物語 
我に愛する良馬あり 今日の記念に献すべし

好意謝するに余りあり 戦の掟に従いて 
他日我手に受領せば 永くいたわり養わん

さらばと握手ねんごろに 別れて行くや右左 
つゝ音絶へし砲台に ひらめき立てり日の御旗
 平成十九年十二月建立


旧招魂社の鳥居片

詳細不明。


円蔵寺

高野山真言宗総本山金剛峯寺末寺
茅ヶ崎山円蔵寺
茅ヶ崎厄除大師、とも呼称。
永享元年(1429)創建。
大正十二年(1923)関東大震災によって倒壊、旧地に観音堂を残し、昭和四年(1929)現在の地に遷座。

場所

※2022年4月訪問


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