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中神坂の防空壕跡(昭島)

昭島市の南側を走る「奥多摩街道」。
ざっと中神駅から南に1キロ。
そこに防空壕跡があるというので足を運んでみた。


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中神坂の石垣

中神坂交差点周辺は見事な石垣が造成されている。
多摩川の玉石を使った石垣は、東京府が昭和6年に奥多摩街道の旧道の蛇行と急坂を直す改良工事の際に、工事を請け負った地元土建業者が造成したもの。

中神坂の防空壕跡

福巌寺南面の石垣には「防空壕」の入り口が残っている。昭和19年(1944年)ごろに地元の警防団が掘ったものという。当時は西角にあった別の防空壕と奥でつながっていたというが、現在は南側の入口跡しか残っていない。
昭和20年4月4日の空襲によって、防空壕入口付近で、警防団員が1名死亡しているという。

警防団は昭和14年(1939年)に「警防団令」施行で持って「空襲あるいは災害から市民を守る」ために組織された団体。警察及び消防の補助組織として機能していた。昭和22年(1947年)に警防団は廃止され、消防団に改組移行された。

参考

あきしまの歴史は、人類の登場以前から現在にいたるまで、水とのかかわりを軸に編まれてきました。その記憶の痕跡が、昭島市の各所にいまも残されています。「水と記憶」をテーマに、いまの昭島市をかたちづくる文化的・歴史的資産を、動画、3D画像、写真、テキストなど、様々な形式でデジタル化し、公開しています。

場所

中神坂、奥多摩街道の石垣。
左手は中神日枝神社。

石垣が連なる奥多摩街道。


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