かつて「陸地測量部」があった場所は、現在は「国会前庭」として整備されている。
その場所にあるのが「日本水準原点」。
日本水準原点と日本水準原点標庫は、測量分野では初の国指定重要文化財となり、監視用の附属水準点標石3点は附指定とされている。
目次
測量の日
測量法が昭和24年6月3日に公布され、平成元年に満40年を迎えたことを機会に、測量の意義と重要性に対する国民の理解と関心を高めることを目的として、6月3日を「測量の日」として制定。
毎年6月3日を中心に「測量と地図のフェスティバル」「国土地理院技術研究発表会」「日本水準原点を始めとする各種施設公開」等の測量と地図に関する情報と知識を国民に啓発する運動を広範囲に展開されている。
2022年(令和4年)は、5月25日に「日本水準原点」の一般公開がありましたので、見学してきました。
水準原点(日本水準原点)
日本の高さ(標高)の基準点となる、水準の原点が一般公開されました。
普段は、扉が閉じられております。
重要文化財【建造物】
「日本水準原点」
所在地 東京都千代田区永田町1-1-2
指定 令和元年12月27日
日本水準原点は、明治24年に創設された我が国の高さの基準になるもので、130年近くにわたり、我が国の測量の歴史を支えている重要な施設です。
日本水準原点の歴史的及び技術的な価値が認められ、測量分野の建造物としては初となる国の重要文化財に指定されました。
日本水準原点
日本水準原点の零目盛りは、温度変化の影響を受けにくい水晶板に刻まれており、丈夫な花崗岩台石にはめ込まれ、固い岩盤まで達する約10mの基礎に支えられています。
日本水準原点標庫
日本水準原点標庫は、ドーリス式ローマ神殿形式の古典的建築で、日本人建築家により設計された初期の洋風建築として、歴史的、建築学的にも貴重なものです。
令和元年12月
国土地理院
これが水準原点
目盛尺の材質:推奨(山梨県産)
長さ25cm、幅5.5cm
水準原点
日本水準原点
日本水準原点は、我が国の土地の標高を測定する基準となる点である。明治24年(1891)5月にこの場所に設置した。
日本水準原点の位置は、この建物の中にある台石に取り付けた水晶板の目盛りの零線の中心である。その標高は明治6年から12年までの東京湾の潮位観測による平均海面から測定したもので、24.500メートルと定めた。
その後、大正12年(1923年)の関東地震による地殻変動に伴いその標高を24.4140メートルに改正したが、平成23年(2011年)3月11日の東北地方太平洋沖地震による地殻変動に伴い24ミリメートル沈下したため、新たに24.3900メートルに改正した。
平成23年10月21日
国土地理院
開扉されています。はじめて開いているところを見ました。
このゼロ目盛(零位)が原点数値。
目盛りの部分は水晶。水晶版を花崗岩でしっかりと固定している。
ゼロ表示の高さ、原点数値は24.3900mとなっている。(2011年現在)
扉の模様も美しいのですが、開扉中はもちろん正面からは見えません。
扉をしめているときは、こんな感じ。
年に1度の一般公開は、平日にはなりますが、これは調整してでも見る価値ありますね。
水準原点(日本水準原点)裏側
水準原点の裏側も公開。
明治24年
辛卯5月建設
陸地測量部
明治24年は1891年。
ちょうど、1891年5月11日には、ロシア皇太子(ニコライ二世)来日中に、滋賀県にて警官に切りつけられ重傷を負った「大津事件」があった。
水晶版がはめ込まれた舟型台石(厚さ36cm、長さ2.7m)を花崗岩の正八角形台石(厚さ45cm)が支え、さらに台石の下を、10m下の岩石層まで達するコンクリートの基礎が支えている。
舟形台石の裏側(下部)には、関係者5名の名前が刻まれてる。
参謀総長陸軍大将大勲位 熾仁親王
参謀次長陸軍中将従三位勲三等 川上操六
陸地測量部長陸軍工兵大佐正六位勲四等 藤井包總
陸地測量部三角科長陸軍工兵中佐従六位勲六等 田坂虎之助
陸地測量部三角科班長陸軍工兵大尉正七位勲五等 唐澤忠備
日本水準原点標庫
保管庫として、「日本水準原点標庫」は以前に紹介をしておりました。
菊の御紋と大日本帝国の文字残っている。
大日本帝国
明治24年5月に、陸地測量部の庭園であった現在地に設置された。
現在も使用されている公的建造物において「大日本帝国」号を残している希有な建造物としても貴重。
設計は、佐立七次郎。
日本近代建築の父といわれた、ジョサイア・コンドルの一番弟子。
生涯で設計した建造物は34棟を数えるが、現存する建造物は、「日本水準原点標庫」と「旧日本郵船株式会社小樽支店」の2棟のみ。
日本水準原点の建物(標庫)は文化財
「特徴」
・小ぶりな石造
・ローマ風神殿建築 トスカーナ式
・明治期の数少ない近代洋風建築
・佐立七次郎の設計
東大建築学科(現在)第1期生(4人)のひとり
「注目」
・装飾
・文字
・円柱の柱
・扉の模様
建築面積:14.93平方m 軒高3.75m 総高:4.3m
東京都制定有形文化財(建造物)
日本水準原点標庫
日本全国の統一された標高決定のための基準として、明治24年(1891)5月に水準原点が創設されたが、この建物はその水準原点標を保護するために建築されたものである。設計者は工部大学校第1期生の佐立七次郎(1856~1922)。建物は石造で平屋建。建築面積は14.93㎡で、軒高3.75m、総高4.3m。正面のプロポーションは柱廊とその上部のエンターブラチュア(帯状部)とペディメント(三角妻壁)のレリーフ装飾で特徴づけられる。
日本水準原点標庫は石造による小規模な作品であるが、ローマ風神殿建築に倣い、トスカーナ式オーダー(配列形式)をもつ本格的な模範建築で、明治期の数少ない近代洋風建築として建築史上貴重である。
平成9年(1997)3月31日建設
東京都教育委員会
機械台と一等水準点
陸軍参謀本部陸地測量部の敷地内に水準原点と一等水準点が設置されている。
甲・乙・丙・丁・戊
「丁」のみが地上に設置。それ以外は地中にある。
今回は「甲」も公開されておりました。
水準原点の前にあるのが「機械台」
記載台のさらに北の先に一等水準点「甲」がある。
普段は、鉄の蓋の下。
一等水準点「乙」
一等水準点「丙」
一等水準点「丁」
「丁」のみが地上にある。その他は鉄の蓋の下。
一等水準点「戌」は、今回は未確認。
憲政記念館の工事の影響で立ち入りできないエリアにある。
電子基準点
電子基準点の内部も公開されていました。
GNSS受信機、ルーター、バッテリー、電源監視装置、通信装置、UPS、傾斜計などが収納されている。
高さは7m。
電子基準点「東京千代田」
測位衛星で国土を測る位置情報インフラ
GNSS連続観測システム
GEONET
(GNSS Earth Observation Network System)
電子基準点を用いて高精度な測量や地殻変動の監視をしています。
国会前庭にある「日本水準原点」の隣に、電子基準点「東京千代田」を設置し、平成30年3月26日から、準天頂衛星システム(みちびき)やGPSなどの観測を始めました。都心での測量が効率化するとともに、全国の標高の基準である日本水準原点の変動をモニターできるようになり、大きな地殻変動が生じた場合でも円滑な測量が可能になります。
電子基準点「東京千代田」
この電子基準点は、我が国の準天頂衛星システムや米国のGPSなどの衛星測位システムの信号を常時受信し、地球上の正確な三次元位置を計測・モニタリングする施設である。国土地理院は全国に電子基準点網を構築して、土地の測量や地図の調整に必要な位置の基準を提供するとともに、国土の地殻変動をモニタリングしている。また、受信した信号は高精度なリアルタイム位置情報サービスにも利用されている。
電子基準点「東京千代田」は、日本の基準となる日本水準点(明治24年(1891)設置)の近傍にあり、その標高を常時モニタリングする役割も担っている。
平成30年3月
国土地理院
6月3日の「測量の日」の前、5月最終週の水曜日あたりが毎年の一般公開日。
気になる人は、国土地理院の発表を気にしてみてください。
ちかくは国会議事堂。
桜田門も見える。
水準原点のある国会前庭は、かつての井伊家藩邸でもあった。
配布物
「日本水準原点」と「水位観測所・験潮場」
油壷験潮場と日本水準原点の間で、水準測量を毎年行い、原点の変動を把握している。
油壺験潮場の前身は、霊岸島水位観測所
日本経緯度原点
日本の高さの基準は、かつての陸軍の敷地にあったが、日本の位置の基準は、かつての海軍の敷地にあった。
場所
※撮影:2022年5月