文京区の後楽園周辺は、かつて軍需施設であった。
その界隈の散策は以前に以下の記事でまとめた。
戦後は、東京都戦没者霊苑も設置された。
軍需施設は、戦後は、「小石川後楽園」や「東京ドーム」「文京区立礫川公園」「中央大学後楽園キャンパス」などに活用されている。
小石川(住所は春日であるが)に、以前散策したときには見逃した煉瓦遺構があると耳にしたので、足を運んでみました。
2022年12月の写真となりますので、現状は不明です。
目次
煉瓦遺構(小石川税務署裏)
小石川税務署の裏手の後方に、煉瓦構造物があった。
状況からすると、「東京砲兵工廠」の遺構か?
想像では、火薬庫(弾薬庫)のような気配もあるば詳細は不明。
中央大学小石川キャンパスの新設工事で、アーチ状の遺構は中央大側の3分の2が失われているが、税務署側がかろうじて残っていた。
ちなみに「東京砲兵工廠」移転後は、「小石川陸軍工科学校」があり、そして高台の上には、「小石川春日高射砲陣地」もあった。
中央大側と税務署側で明雲を分けた煉瓦遺構。
中央大学小石川キャンパス
税務署側もどうなることやら、、、です。
場所
牛坂の煉瓦
北野神社(牛天神)の北側の坂「牛坂」。
崖面に煉瓦擁壁の構造物があった。この台地の上に「牛天神」がある。
東京砲兵工廠は小石川水戸藩邸の地に1871年(明4)に操業し関東大震災の影響もあり1935年(昭10)に移転。工廠跡の一部は、陸軍砲兵工科学校となったが、後楽園球場ともなっている。
後楽園球場では煉瓦は邪魔でしか無いので、工廠跡の大量な煉瓦が近隣で再利用されたのかもしれない。
北野神社(牛天神)
北野神社。源頼朝公伝説が残る古社。
裏手の駐車場の壁が、煉瓦積みでした。
いびつな積み方は「ガンタ積」というそうで。
面白い積み方。
上でも書いたけれども、東京砲兵工廠移転後に建設された後楽園球場では不要となった工廠跡の大量な煉瓦が廃材として近隣で再利用されたのではないかという仮説として、不揃いな形が多かったために、ガンタ積みになったのかもしれない。
常泉院の煉瓦壁
一部だけ、煉瓦壁が残っている。
※撮影:2022年12月