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明治生命館(GHQ接収・米極東空軍司令部)

明治生命館を見学していましたので、掲載。
かつて、アメリカ極東空軍司令部として接収されたこともある建造物。

公式サイト

一般公開もありますので、見学してきました。


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明治生命館(外観)

昭和9年(1934)3月31日竣工。
昭和20年8月、終戦後に連合国軍が進駐を開始。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、日比谷の第一生命館を接収するとともに、明治生命館に対しても米極東空軍司令部(FEAF)として使用するために接収した。
接収期間中、2階の会議室では、米・英・中・ソの4カ国代表による「対日理事会(ACJ)が開催され、昭和21年(1946)4月5日、その第一回には連合国軍総司令官D.マッカーサーが演説を行っている。対日理事会は、隔週ごとに開催され、サンフランシスコ講和条約が発行され、GHQが廃止された昭和27年(1952)まで164回にも及んでいる。昭和31年に返還。

昭和建造物としては、昭和の建造物として初めて、平成9年に「明治生命保険相互会社本社本館」として重要文化財指定。

設計は「様式建築の名手」岡田信一郎・捷五郎(兄弟)、構造設計は内藤多仲、施工は竹中工務店。5階分のコリント式列柱が並ぶ古典主義様式に則ったデザイン。

明治生命館
重要文化財
竣工 1934年(昭和9年)
指定 1997年(平成9年)


明治生命館(内部)

往時の雰囲気を残すエレベーターで2階に。

受付をすまして、まずは資料・展示室。


資料・展示室


手すり

手すり
回廊に巡らされている手すりはブロンズ製です。
この手すりは戦時中に金属回収されましたが、昭和31年の改修工事の際に当初と同じ形式に復元されました。


吸塵バルブ

吸塵バルブ
当時としても珍しい真空掃除機設備が設置されていました。各階では壁の吸塵バルブにホースをつなげ、吸引清掃していました。吸い寄せられたゴミは館内に張り巡らせた配管を通り、地下二階の米国製バキュームポンプとダクトタンクへと運ばれました。


会議室(対日理事会)

古典主義様式が取り入れられた会議室。

戦後、明治生命館は米極東空軍司令部(FEAF)として使用するために連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に接収された。
接収期間中、2階の会議室では、米・英・中・ソの4カ国代表による「対日理事会(ACJ)が開催されている。


控室(食堂控室)

料理用昇降機(小型エレベーター)が設置されており、地下にある厨房から料理が2階まで運ばれた。


食堂


象徴的なデザイン。吹き抜け部分にはイオニア式を貴重とする26本の角柱。回廊内側は、トスカナ式。イタリア産大理石。


回廊

1階部分は、静嘉堂展示室のエレアのみでならず、店舗営業室(ほけんショップ丸の内)としても、現在も活用されている。

消火栓格納


メールシュート

メールシュート
郵便物を各階から直接投函することができる、米国カットラー社製メールシュートが、館内各階二ヵ所に設置されていました。
一階北玄関と東玄関には、各階のメールシュートから投函された郵便物が集積される集合郵便箱が設置されていました。


天井

天井
天井は漆喰と石膏で作られています。吹き抜けの中央部に設置されたトップライト(天窓)の南・西・北側を取り囲む天井には八角形と小さな正方形のくぼみがあり、八角形の中には石膏で造られたロゼット(丸い花飾り)が施されています。


執務室


執務室隣接応接室


階段


応接室


健康相談室

健康相談室は昭和13年(1938)に創設された健康増進施設であり、現在のように健康診断が一般的ではなかった頃に、生命保険会社もよる社会貢献の一環として発足しました。当時としては最新のドイツ製の心電図計(エレクトロ・カルヂオグラム)が導入されていました。

2階を一周して見学終了。

これは良いですね。いいものを見学させて頂きました。
見学できることがあまり周知されていないのか、ほどんど独占状態での見学。ゆっくり楽しめました。


明治生命館「講堂」(東京建築祭2025)

2025年5月、「東京建築祭2025」にて、通常は非公開の明治生命館7階の「講堂」が一般公開されましたので、足を運んでみました。

以下、写真は2025年5月撮影。


第一生命館

明治生命館と同じく連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が接収したのが、日比谷の第一生命館。マッカーサー記念室など一部が残っているというが通常非公開。


第一生命日比谷ファースト展示資料(東京建築祭2025)

第一生命日比谷ファーストビルの1階公開エリアにて、東京建物祭2025に際して、関連資料の展示がありましたので、足を運んでみました。

以下、写真は、2025年5月。

マッカーサー執務室(保存・非公開)

資料展示コーナー(保存・非公開)

貴賓室(保存・非公開)


第一生命館


マッカーサー記念室と保存諸室

この部分が一番興味あるので、拡大しつつ紹介

GHQによる接収
 昭和20年8月15日、昭和天皇によるポツダム宣言受諾の詔書により、第二次世界大戦は終わりを告げた。同年8月30日には、連合国総司令官ダグラス・マッカーサーが厚着飛行場に降り立ち、連合国総司令部(GHQ)による戦後処理が始まることとなった。
 第一生命館がGHQによって、建物の地上部分すべて接収されることになった。9月10日に日本政府より正式の接収命令が通知され、9月15日の正午をもって明け渡しの期限とするまことにあわただしいものであった。建物が戦前に陸軍からの要請で、屋上スラブ厚40cm、1階床スラブ厚60cmの耐爆対弾構造であったこと、また冷暖房装置が整っていたことなどが接収の理由であったと考えられる。隣接する農林中央金庫有楽町ビルも同様に急な接収が行われた。
民主化の象徴として
 第一生命館は昭和27年7月に、農林中央金庫有楽町ビルは昭和31年2月に接収が解除され両社に返還された。
 しかし、この建物が財閥解体、農地改革、新憲法の草案などの諸政策の発信源として、戦後の民主化の象徴と認められていたことも事実である。第一生命館の返還受領式の挨拶の中で、矢野社長は次のように述べている。
「・・・第一に、この家が日本および日本人の為に、延いては更にまた世界の為に最も有効に役立つお努めをしたいということが何より欣ばしいことであります。又之は会社にとっても名誉と考えるものであります。
 第二に6年10ヶ月の長い間このビルに関して私dも何等不愉快な出来事を経験せず、終始気持ちのよい思い出のみを持ったことを喜ぶものであります。
 このビルをめぐっての美わしい話は沢山あるのであります。之は要するに所有者である第一生命と使用者であるGHQの間に頭から絶対的な強力と理解があったことによるものであると思います。(中略)・・・第一ビルが永らく歴史的な建物として人々の心に残るものである丈に、日本の為、世界の為によかったことだと思って居ります」(「」内は第一生命八十五年史より引用)

復旧・保存されたマッカーサー執務室
 本館6階には、旧第一生命館の歴史の舞台となった貴賓室、大小会議室およびマッカーサー執務室があった。これらのうちマッカーサー執務室と貴賓室は、現状を完全保存し、記念室として残すことになった。

イメージ保存の手法
 大小会議室とそれにまつわるホワイエと廊下は、要所に旧建物のデザイン要素を取り込みながら、床、壁、天井を新たに作り直してイメージ保存を行っている。(以下略)

あとは、写真共有で。


外堀から

※撮影:2023年1月


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