千葉県東金市。
東金から上総一ノ宮の外房地区、すなわち九十九里浜は、米軍上陸に備え、本土防衛のために展開した近衛第3師団の陣地構築が盛んに行われた場所。戦跡も豊富にある。今回は東金の八鶴湖周辺にある戦跡を散策しようとしたが、結果として、目的地に立ち入りできなかったので、再訪が必須となってしまいました。本記事は「封鎖されてますよ!」という、今(2023年2月現在)の状況報告も兼ねています。
目次
東金御殿山観測所跡・防空壕跡
東金城のあった御殿山には「観測所」や「防空壕」があった。
しかし、現在は立入禁止。東金城址に入れないと、砲台観測所跡にもいけない、、、
東金市指定文化財 東金城址
東金市(https://www.city.togane.chiba.jp/0000000463.html)
※東金城址は現在、令和元年台風15号の影響により、史跡内の見学はできません。ご了承ください。
現在、東金城址は倒木の影響により立ち入り禁止となっています。今後の立ち入りの再開は未定となっています。ご理解ご協力をお願いします。
東金市観光協会(https://www.toganekanko.jp/2021/11/7611/)
入り口は固く閉じられている。
物理的に門の脇から強行突破できそうな雰囲気はあるが、もちろんそんなことはしない。いつの日か、再開されることを願い、引き返す。
令和元年房総半島台風(2019)の倒木の影響で東金城址は立入禁止となっております。
東金城址、東金御殿。
九十九里平野の中心都市であった東金。戦国時代は東金城、そして江戸時代には徳川家康の鷹狩り場として、東金御殿が設けられていた。
船橋から東金までの直線が、いまも「御成街道」として残っているのも、その名残。
東金高校の脇から。
東金城址碑
八鶴湖
徳川家康が東金御殿を築造した際に、拡張した人口の御殿池。東金御成街道の終点。
八鶴湖畔の慰霊碑群
湖畔にはいくつかの慰霊碑が集まっている。
忠勇の碑
旧山辺郡出身者444名と旧武射郡出身者282名の従軍記念碑。明治29年9月建立。
忠魂碑
旧東金村出身の日露戦争の戦没者46柱を祀る。
川村景明書。日露戦争時の陸軍大将・鴨緑江軍司令官。
大正11年11月建立。
大東亜戦争 旧東金町出身の戦没者の碑
満州事変から太平洋戦争までの英霊276柱を祀る。
昭和27年4月建立。
八鶴亭
明治期創業の旅館。関東大震災後の大正から昭和初期にかけて建てられた建造物が国指定重要文化財となっている。
2006年に旅館としては経営破綻し、現在は日本料理屋として生まれ変わっている。
本館
浴室棟
新館
ビリヤード棟
千葉県立東金高校
徳川家康の千葉御殿の跡地にある。
千葉県第二の高等女学校であった東金高等女学校が前身。
明治45年の東金高等女学校時代の作法室と正門画残る。
はい、東金城址にはリベンジしないと、です。。。
※撮影:2023年2月