かつて、「乗換跨線橋」に使われていた鋳鉄柱が、大森駅と雀宮駅に残っているというので、足を運んでみました。
目次
雀宮駅下りホームに残る「鐵道院銘の跨線橋鉄柱」
跨線橋の柱に使用されていた鉄柱が、外灯として使用され、そしてモニュメントとして保存されている。
雀宮駅旧こ線橋の柱について
この柱は、かつて雀宮駅で使用されていた乗換えこ線橋の階段下の門柱で、乗換えこ線橋自体は1984(昭和59)年の駅改良工事に伴い撤去されましたが、その後乗降場の外灯として2009(平成21)年まで再利用されていました。
この門柱は鋳鉄製で、柱下部の刻印のとおり、合資会社高田商會(現株式会社高田商会)の柳島製作所(現東京都墨田区錦糸4丁目の錦糸公園東側付近)にて1912(明治45)年に製作されたものです。
わが国の鉄道工場で鋳鉄柱が製造されるのは1882(明治15)年からですが、1907(明治40)年の鉄道国有化を境として民間会社でも製造されるようになりました。
しかし、大正時代になると古レールや形鋼などの鋼材を利用するようになり、急速に廃れてしまいました。
合資会社高田商會の銘がある鋳鉄柱は、今のところ全国でも当駅と京浜東北線の大森駅東口に保存されているもののみです。
そのような時代に製造された鋳鉄柱の一つとして、また当時の鉄道建造物の技術を伝える貴重な柱です。
2011年3月
東日本旅客鉄道会社 大宮支社
「合資会社高田商會」の銘がある鋳鉄柱は、今のところ全国でも当駅と京浜東北線の大森駅東口に保存されているもののみです。
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雀宮駅もたまたま足を運んだだけで、この鉄柱の存在は知りませんでした。さらには大森駅にもあるというのであれば、大森にも行かないと、、、です。
鐵道院(鉄道院)
合資会社高田商會柳島製作所
明治45年7月製造
雀宮駅上りホームに残る「鐵道院銘の跨線橋鉄柱」
雀宮駅上りホームにも同じようにありました。
こっちは説明の案内看板がないので、ちょっとわかりにくい。。。
鐵道院(鉄道院)
合資会社高田商會柳島製作所
明治45年7月製造
雀宮駅。
実は雀宮駅には「宇都宮駐屯地」「北宇都宮駐屯地」に赴くために利用しました。その時のレポートはまた後日。。。(記事作成前)
高田商会
もともとは、日本の兵器機械商社。日清日露戦争で急成長した。
鉄柱を製造した明治45年(1912、明治最後の年)は、日露戦争からは7年後。
高田商会は兵器機械などの輸入販売業としては業界トップの地位にあたる。
明治40年(1907年)に合資会社に改組している。
しかし大正7年(1918年)に贈賄事件があり、明治10年に創設者の高田慎蔵が病死、1923年(大正12年)の関東大震災で社屋が倒壊、商品が焼失、為替差損もあり、1925年(大正14年)2月に経営破綻、整理会社となっている。
1925年(大正14年)8月に新会社の株式会社高田商会(第二次)が設立。
戦後の1963年(昭和38年)に日綿実業(双日)に吸収されたものの、同年に旧高田商会関係者により株式会社高田商会(第三次)が設立、機械商社として社名を存続している。
大森駅駅前に残る「鐵道院銘の跨線橋鉄柱」
さて、雀宮駅で、もうひとつは大森駅と知ったので、大森駅にも足を運んできました。
これはかなりさり気なく、「鉄道院」ですね。
そして、なにも説明もありません。。。
鐵道院(鉄道院)
合資会社高田商會柳島製作所
明治45年7月製造
雀宮駅でみたものと同じですね。
大森駅
※撮影:2023年5月