平成29年5月
目次
谷田部へ
平成29年5月5日。
良い天気に誘われて前々から気になっていた場所にふらりと訪れてみることにしました。
茨城県内に点在した海軍航空基地跡でまだ未訪問だった場所。
「谷田部」
現在の行政的には茨城県つくば市谷田部
メモ程度に茨城南部の海軍航空隊を簡単に分類。
霞ヶ浦海軍航空隊(霞空・教育部隊・予科練)
↓
鹿島空(水上機隊)→北浦空
谷田部空(霞空補助)
土浦空・百里原空(予科練)
筑波海軍航空隊(戦闘機)
↓
神ノ池空(桜花隊)
谷田部空(戦闘機)
公共交通機関での谷田部へのアクセス方法はいくつかあるけど一番楽なのは「取手から谷田部車庫までのバス」かと思います。バス路線は土浦・牛久・水海道などあるようですが運転本数は取手が一番多いような気がします。
取手~谷田部車庫
所要時間60分910円
バスに揺られて1時間。
久しぶりに長距離路線バスに乗った感じです。
関東鉄道バス 終点
「谷田部車庫」
位置関係
全体の地図を貼っておきます。
地図上部の緑印が今回の散策ポイント。
谷田部車庫は筑波学園病院の北隣。
南部の緑枠は「滑走路跡」、現在の研究団地。
ここに芝張りの滑走路が広がっており、当時は93式中間練習機「赤トンボ」が舞っていたという。
国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
USA撮影
コース番号 R2232
写真番号 51
撮影年月日 1948/12/04(昭23)
正門跡
谷田部車庫からいったん北上してT字路に到達。
この場所が「谷田部海軍航空隊」の入口であった。
ここより南に進むと「正門跡」(筑波学園病院前交差点)という。
この入口の角にあるスーパーがポイントです。
入口T字路の角に立つスーパー。
実は、戦後に元隊員が開業したスーパーだという。
(今は営業していない雰囲気でした)
店先に「桜と錨」帝国海軍徽章(シンボルマーク)が掲げられておりました。 これは胸熱…
消失した、とのことです。
そのまま南下。
関東鉄道バス谷田部車庫の南隣に「筑波学園病院」が見えてきます。
このあたりがかつての「正門」があった場所。
ここから南側がかつての基地跡。
谷田部海軍航空隊記念碑
「筑波学園病院」の駐車場の脇に記念碑が建立されておりました。
谷田部海軍航空隊記念碑
平成25年3月吉日 財団法人筑波麓仁会理事長
(補足→筑波学園病院のことです)
記念碑上部の戦闘機の石造造形が美しすぎて感無量でした。
目頭があつくなるほどに・・・
谷田部海軍航空隊記念碑
碑文
谷田部海軍航空隊は、昭和七年霞ヶ浦海軍航空隊(予科練)の補助飛行場としてこの地に開設され、練習機による飛行士養成を目的としていたが、昭和十四年独立し、零戦や紫電を主力として首都防空の実戦部隊となった。その後昭和十九年戦闘機操縦訓練隊となり沖縄方面の特攻作戦に従事した。戦後、跡地の一部建物(兵舎)を筑波学園病院の病棟として利用し、平成十一年に解体し現在に至っている。ここに恒久の世界平和を願いこの碑を建立するものである。
平成二十五年三月吉日
財団法人筑波麓仁会
建立時の除幕式がニュースでありました。 以下にリンクを貼っておきます。
零戦モニュメントが上部に設置された記念碑は神風特別攻撃隊「昭和隊」出撃時に隊員を見送ったとされる桜の木の下に設置という。
桜の季節に詣りたい場所…
病院のご尽力にも感謝。ありがとうございました。
谷田部海軍航空基地外壁跡
記念碑から西の方に。 正門にそって基地の境界を道なりに進むと古いコンクリ塀が見えてくる。 これは当時の谷田部海軍航空基地の外壁が流用されたものという。
さらに道なりに歩み、交差点を南に折れる。
空地にトラックが駐車。
なんとなく目をやると…
あぁこれは仕組まれたかのような偶然です。
「若鷲の歌」
若い血潮の 予科練の
七つボタンは 桜に錨
今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にゃ
でっかい希望の 雲が湧く
常磐高速道路を眼下に。
常磐道を挟んで
左手(北)が基地の主要部、
右手(南)が芝張りの滑走路敷地。
前述の航空写真を見ると、主要部と滑走路部の間に橋がかかっているのがわかります。当時は用水路のように基地を囲むように窪みがあったようです。
飛行場橋
常磐道をまたぐ橋。 飛行場は既に残っていないけども、橋の名前に往時を偲ぶことができる。 航空隊本部と芝張り飛行場を結ぶ橋。 今はこの「飛行場橋」の向こうには「研究団地」が展開されている。
往時、この空間に芝張りの飛行場が展開していたという。
歴史だけが残った空間。
芝張りの飛行場は93式中間練習機「赤トンボ」用。
そして現在の常磐道の側道あたりに戦闘機用の滑走路が展開されていたという。
谷田部神社(谷田部海軍航空隊神社)
谷田部海軍航空隊神社(航空隊内の航空神社)を戦後に移築したもの。もともと基地内に鎮座していた神社を戦後の焼却を恐れて谷田部八坂神社境内に遷宮。旧基地エリアの再開発が落ち着いたのちに現在地に地区の守護神として鎮座した。
往時の名残を残す神社。
かつての海軍航空隊の守護神は、現在は谷田部集落の守護神となっていた。
心静かに拝する。
感謝と哀悼の念とともに。
防火水槽
また、谷田部神社の近くに航空基地なごりの防火水槽が残っていた。
谷田部海軍航空隊散策はざっと1時間半、2.5キロほどの所要でした。 残されたものは少なかったけど、なかなかに意義のある散策ができたかな、と。
続いて、谷田部海軍航空隊跡より三キロほど北西の(赤星印)に鎮座する鹿島神社に向かいます。
水田に水が張られ始め稲作の始まりを感じるなかに鎮守様が鎮座しておりました。
そこはなんの変哲もない神社のようですが…
土浦海軍航空隊神社の大鳥居(移設)
(つくば市小白硲鎮座の鹿島神社)
常総リビング記事
>旧海軍の土浦海軍航空隊内(阿見町青宿)にあった土浦航空隊神社の大鳥居が、つくば市小白硲の鹿島神社の鳥居として利用されている。
とのことで参拝しに参りました。
つくば市小白硲鎮座の鹿島神社
阿見から谷田部近くまで戦後のドサクサに紛れて誰がどうしてここに運んだかはわからないというが、この神社の大鳥居は「土浦海軍航空隊神社」のものであったという。
鳥居には昭和17年7月建立の銘あり。
神社としても個性的で興味深いお社でした。
御社殿脇のご神木の根本には大日如来が佇んでおり、境内地には神仏習合なんのそので石碑が立ち並んでおり。
地域鎮守として佳き気配に溢れておりました。
つくば市小白硲鎮座の鹿島神社。
社頭には「つくばの水田」が拡がる。
「あぁ、あそこに鎮座しているな」と遠くからでもわかる鎮守の杜。
清々しい気持ちの中で筑波の台地をノンビリと散策する贅沢なひととき。
海軍関連史跡と神社と。 まさにフィールドワークの醍醐味でもあった。
寄り道しつつ、つくばエキスプレス「みどりの駅」に到着。
行程はこんな感じでした。
谷田部車庫スタート~みどりの駅ゴール
距離、約8キロ 所要時間 約3時間 徒歩
〆