かつて東武東上線男衾駅から、軍用線が西に伸びていた。
東武線から分岐した軍用線の先にあったのが「陸軍航空本廠寄居出張所」であった。
目次
陸軍航空本廠寄居出張所
(鉢形航空廠・鉢形兵器廠)
埼玉県大里郡寄居町大字三ケ山にある「三ケ山緑地公園」を中心とした三ケ山地区に「陸軍航空本廠寄居出張所」があった。
昭和16年に「航空本廠寄居出張所」として開設。
昭和17年に「立川陸軍航空廠寄居出張所」、昭和19年に「東京陸軍航空補給廠寄居出張所」と改称。
ふじみ野市にあった「東京第一陸軍造兵廠川越製造所」で製造された航空機用弾薬は上福岡駅から東武東上線の貨物輸送を通じて、当地に運ばれた。
位置関係
国土地理院航空写真
ファイル:USA-R465-No1-26
昭和22年(1947年)11月03日-米軍撮影
拡大して一部加工。
男衾駅と「陸軍航空本廠寄居出張所」の位置関係。
「三ケ山」と言われるだけあって、山に囲まれた立地。
弾薬を保管するに適した場所でもあった。
更に拡大。
遺構としては、「軍用線コンクリート橋」と「工員宿舎」「倉庫」が残されている。
男衾駅
男衾は「おぶすま」と読む。中世鎌倉期の男衾三郎絵詞でも著名。
東武東上線の男衾駅は大正14年開業。
平成28年(2016)に駅舎を改築。残っていた軍用線ホーム跡は消失した。
左側に軍用線の専用線路があった。
砂利道が軍用線の名残。
全然関係ないけど、古い自販機を発見。
軍用線専用コンクリート橋梁
山口製作所と民家の間を流れる塩沢川支流にかかるコンクリート橋。工場と民家に挟まれているために近づくことは不可能。
陸軍航空本廠寄居出張所専用線として残る数少ない遺構。
男衾駅からは徒歩30分ぐらいの場所。
正門跡
前述のコンクリート橋梁と平行する道路橋。この先のあった陸軍航空本廠寄居出張所の正門はこのあたりにあったという。
陸軍航空本廠寄居出張所から鉢形男衾方面を見る。
陸軍航空本廠寄居出張所の工員宿舎?
2024年2月、解体を確認しました
工員宿舎と見られる木造家屋。現役で使用されている。
正門からすぐ東のエリアには工員宿舎があったという。
※解体を確認
陸軍航空本廠寄居出張所の特殊弾倉庫1
三ヶ山会館、三ヶ山神社の奥にある廃倉庫。
2024年に再訪。
内部
陸軍航空本廠寄居出張所の防火水槽
特殊弾倉庫の周辺には、弾薬庫の万が一に備え、防火水槽が配置されており、いくつかが残っている。
防火水槽1
防火水槽2
防火水槽3
防火水槽4
ちなみに時代が下った戦後の建屋の基礎跡もある。ちょっと紛らわしい。
陸軍航空本廠寄居出張所の特殊弾倉庫2
2024年2月現在、立入禁止となっております
三ヶ山会館の奥の竹林の中に残されたコンクリート倉庫の廃墟。
特殊弾倉庫1よりさらに西に道なりにすすんだ私有地となっており、2024年現在は、ロープが張られて立ち入りができないようになっている。
下記の写真を左に行くと倉庫1、真っ直ぐ行った竹林の左手に倉庫2となっている。
私が以前(2020年)に訪れた時は特に立入禁止には、なっていなかった。
しかし、2024年に再訪した時は、立ち入り禁止になっていました。
陸軍航空本廠寄居出張所跡
現在は、埼玉県環境整備センター、三ケ山緑地公園、三ケ山体育館などが整備されており、往時を偲ぶべきものは残っていない雰囲気。
三ケ山
鉢形駅
「陸軍航空本廠寄居出張所」は通称「鉢形航空廠(鉢形兵器廠)」とも呼称されている。
貨物線は男衾駅から分岐されていたが、直線距離では実は鉢形駅のほうが近い。ゆえに帰りは楽をして鉢形駅へ。ちなみに寄居駅は鉢形駅の先、荒川を渡らないといけない。
ちなみに、男衾駅からコンクリート橋までは徒歩30分ぐらい。コンクリート橋から鉢形駅までは徒歩20分くらい。
ちょうど東武8000系の昭和40年代リバイバルカラーと遭遇したので、寄居駅にて撮影してみたり。
※2020年8月及び2024年2月