すでに解体済みです。平成30年に新駅舎となりました。
1945年(昭和20年)7月19日
空襲で銚子駅舎は焼失しており、終戦直後に海軍香取航空基地の格納庫を転用し駅本屋に改築したものとされている。
訪れてみればわかるが空間が広く格納庫転用の名残を感じる。
海軍香取航空基地跡の記録はこちら
目次
内田百閒 「房総鼻眼鏡・房総阿房列車」
銚子駅。夏目漱石の弟子である作家・内田百閒は昭和28年に「房総鼻眼鏡・房総阿房列車」の中で銚子駅に関してこう記していた。
「…間もなく銚子駅の構内に這入った。終着の大きな駅ではあるが、本屋全体の感じが倉庫か格納庫の様で、少し薄暗く、よその駅とは丸で工合が違う」
さすがの内田百閒先生。
陸軍士官学校や海軍機関学校のドイツ語教官、法政大学ドイツ語教授時代に法政大学航空研究会会長に就任していただけあって、知ってか知らずか「格納庫の様だ」とご名答されていました。
銚子駅 平成28年10月18日撮影
既に一部では工事も開始されておりました。
駅構内では待合室とニューデイズは既に封鎖・・・。
柱が少ない内部空間が、僅かに格納庫の名残を残しているのかもしれない。
外側から駅舎を見てみれば、この長い建物が「格納庫らしい」とも。
建て替え前に。 いろいろと見て歩く。
跨線橋から、つい銚子電鉄ホームを見てしまいました。
地元駅から始発に乗って、電車に揺られて銚子駅にたどり着いたら、一休みしつつ待合室のTVで「小さな旅」を見たのも思い出の一つになりました・・・。
銚子駅 平成28年12月11日撮影
建替工事中のJR銚子駅。
平成28年12月11日の記録。
ホーム側から撮影。
この時はまだ違和感に気がつきませんでした。
跨線橋から撮影。
ん?…ない?あれ? 駅舎ブツ切りされてる……
正面。
あぁ…真ん中が…ない!
真ん中が完全に撤去…
覚悟はしてましたし、しょうがないこととはいえ、海軍香取航空基地格納庫転用とされた銚子駅駅舎の半身不随の姿。
銚子の青空と太陽は絵になる。 それは皮肉なことに、半身不随の姿で横たわるJR銚子駅の半壊な姿ですら…
バッサリと切り捨てられた姿が痛々しい。
覗きこんでみました。
これもまた、消えゆくものへの供養の記録。
海軍香取航空基地格納庫の気配を夢想しつつ、いち歴史ファン・海軍フリークとして、その姿を脳裏に刻む…
銚子駅舎さん!お疲れさまでした…