サイトアイコン 近代史跡・戦跡紀行~慰霊巡拝

世界無名戦士之墓

埼玉県越生町に「第二次世界大戦で戦死した犠牲者の慰霊施設」があるという。
その名も「世界無名戦士之墓」という慰霊廟。

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越生駅

越生といえば「越生梅林」が有名。それ以外は越生に関して格別な知識がなかった。越生に「大規模な戦争慰霊施設」があることも知らず、戦跡関連の情報収集をしていたら、たまたま見つけたため、足を運んでみた次第。

越生駅は東武越生線とJR八高線の2社。
越生梅林、さくら山公園、山吹の里歴史公園、五大尊つつじ公園、あじさい山公園など、四季折々で見頃となる花で賑わう観光地でもある。

東武越生線。ワンマン化された8000系。

東武越生線ホームの名所案内。
「世界無名戦士廟」とありますね。
ホームからも白亜の廟が見えます。

さて、あそこまで歩いていきますか。。。

目印が目立つので、迷うことなく歩みをすすめる。

山道へ。

越生駅からゆっくり歩いても20分くらいで到着。
桜の季節になれば最高の眺望を得られる場所。

大観山に鎮座する「世界無名戦士之墓」まであと少し。
野球部が石段トレーニングをしておりました。
つまり、それほどに立派な石段。


世界無名戦士之墓

大観山に鎮座する「世界無名戦士の墓」(世界無名戦士廟)
昭和30年8月に完成。

完成した当時は、千鳥ケ淵戦没者墓苑をはじめ国家的な慰霊施設がまだ存在しておらず、千鳥ケ淵戦没者墓苑が決まる前に国家的な慰霊施設を越生に誘致する運動もあった。

世界無名戦士之墓の概要
 世界無名戦士之墓は、埼玉県からお預かりした第二次世界大戦後、埼玉県庁の一室に安置されていた遺族の行方のわからない方、また受け取る方のいない御遺骨など2百余柱のほか、世界無名戦士之霊をはじめ、世界民族の霊、萬國萬霊、ビルマ戦没霊、フィリピン戦没霊、埼玉県戦士之霊、東京都無名戦士之霊、神奈川県無名戦士の霊、石川縣戦士之霊、越生町戦没者之霊などの位牌、英霊名簿などが納められた霊廟で、越生町の医師で埼玉県議会副議長でありました長谷部英邦氏の発願により、県内の英霊をはじめ世界の英霊たちをお祀りし、世界平和祈願の殿堂として国、埼玉県または多くの篤志家のご支援を得て6年の歳月をかけ挙町体制のもと、特定の宗教宗派に属さない施設として昭和30年8月に完成致しました。「無名戦士」とは、名前のわからないという意味ではなく、位階を超越し、一切無名平等にお祀りするという意味でこの名称になりました。
 詳しくは越生町のホームページをご覧ください。

Outline
 World Unknown Soldiers Tomb was built to place the ashes of the dead people, around 200 and more, whose bereaved family were not identified and no one had received the ashes. They were once temporally put in a room of Saitama prefectural office. And Buddhist memorial tablet and dead people’s list of world unknown soldiers were also placed in the tomb,where included were the Burmese war dead, Philippine war dead, war dead in Saitama pref., in Tokyo metropolis, in Kanagawa pref., in Ishikawa pref., and in OGOSE town and other war dead of races and nations.
 First proposal to build this tomb was suggested by Mr. Hidekuni HASEBE who was a doctor in OGOSE town and vice chairman of Saitama Prefectural Assembly. He hoped to build the tomb in order to mourn for the numerous war dead and to pray for the world peace. He got to work on Japanese Government and Saitama prefecture and got many charitable supporters. And six years later from his proposal, this tomb was completed in August of 1955. This tomb is not belonged to specific religion. And the understanding of the word “unknown” is not unidentifying the each name, but mourning as the sense of equal ,nevertheless they had various dignity, orders and degrees in this world.

所在地:埼玉県入間郡越生町大字越生935番地(大観山頂)規模:幅33m、高さ11m構造:鉄筋コンクリート3階建床面積:合計272.37平方
大観山は徒歩でも車でも気軽に登れる、関東平野を一望できる絶好の眺望スポットです。 大観山には、昭和30年に建立された「世界無名戦士之墓」という白亜の廟(びょう)があります。  

登録有形文化財
第11-0195号
この建造物は基調な国民的財産です
文化庁

登録番号 第11-0195号
世界無名戦士之墓 一棟
構造・形式:鉄筋コンクリート造3階建、建築面積210㎡
年代:昭和29年(1954)竣工
   令和2年4月3日登録
登録基準 (1)国土の歴史的景観に寄与しているもの

 世界無名戦士之墓は、当町の医師長谷部秀邦氏の発願によって建設された第二次世界大戦戦没者の納骨・慰霊施設です。
 弧を描いて聳え立つ壁の内部は3階建の納骨室です。1階正面の半円形にせり出た礼拝室の祭壇には国内外の将兵の位牌が祀られ、屋上は展望台になっています。壁面の襞の頂部先端には各国旗を立てる穴が開けられており、独立を回復し国際社会復帰を目指していた、当時の日本の時代背景がうかがわれます。建物裏手には、竣工年月日や設計者の高岡元次(埼玉県土木部建築課技師)等関係者名を刻んだ銘板が嵌め込まれています。
 越生町のシンボル、ランドマークとして親しまれている、世界平和を希求する日本国民の意志を具現化した記念碑的建造物です。
  越生町教育委員会

世界無名戦士之墓建設趣意書
 この企ては、講和条約の成立を祝福記念すると倶に、世界各国の人の間に国際的理解と、親善とをうち建て恒久平和の大願を成就したいと云う信念から発したのであります。
崇高な代償と貴い犠牲を払った民主日本が、彼我戦没者の勇気と献身を記念し、神に感謝し仏に念ずるとともに、是等無限の犠牲を永遠の亀鑑として、強く支持するよう祈り続けるために企だてられたものでありまして、世界各国の国使及び一般外遊の士がこれに礼拝することは、最も美しい国際情誼と解せられるに至りました。

省みまして我が国には斯くの如き国際的儀礼の表徴としての無名戦士の墓は未だ無かったのであります。
是れを卜する地は国立公園奥秩父を背景とした埼玉県立黒山自然公園の関門をようし関東平野を一眸の裡におさめ、名所旧蹟に囲まれた景勝のところで、交通の便と相俟って観光参拝の浄地、古邑越生町の大観山であります。
今次世界大戦は、有史以来未曾有の広大な戦線に亙った為、南溟朔北の地に散華され、空しく枯骨となって雨雪に曝らすがままの英霊、無慮数拾万と称せられて居ります。
国を挙げての歓びである和解と信頼による千古比類のない講話の成立、これによって寄らさるる民主日本の名に於ける平和の謳歌!!
この際真に私達は英霊の無限の犠牲に対し、満腔の感謝と敬意を表し、一柱でも供養されない不幸があってはならないことに心すべきであって、全世界の英霊と倶に、全地球の半かばに散在し耿々として望郷の念熄むことなき斯の日本の英霊に、肉親の情愛を捧ぐる事こそ祖国に生ける者の義務であると確信致す次第であります。茲に同憂相諮り、昭和25年建設を発願致しまして、昭和26年衆参両院に、以上の趣旨に依る建設請願に及びたる所、何れも本会議に於て名実共に国家的尊崇の表徴を建設せんとして努力を尽くしつつあるのであります。既に実行段階に入り、境内約1万坪の山嶺に整地工事を終り、目下建塔計画を本県土木部の応援を得て進めて居ります。
何卒この企てを深くご理解くださいまして、一掬の至誠を手向け御協賛賜らむことを御願申し上げます。
  東京都郊外黒山自然公園
 財団法人 世界無名戦士之墓建設会
   代表 長谷部秀邦

越生町「世界無名戦士之墓」
http://www.town.ogose.saitama.jp/kamei/kaikei/1513744425763.html

白亜の廟の中には、位牌が祀られた祭壇がある。

扁額

屋上の展望

白亜の慰霊廟


階段の両脇にいくつかの碑がある。

馬魂碑

昭和47年9月建立。世界無名戦士の墓建設会。
軍馬、農耕馬、競走馬などの馬たちの霊を祀る。

遠く戦国時代はもとより明治大正を通し大東亜戦争まで幾多の戦史の蔭に言うに言葉を持たず訴えるにその術もなく、戦野に屍を晒してそのままの、幾十万の軍馬、或は時代時代の大きな輸送力として、或は農耕等今日の経済復興に又競走馬として國民に潤の道を与え蔭の力となって命数を終った駿馬に対し、この偉大なる社会に貢献した歴史を今ここで次代に伝え更にその霊を慰むるべく建碑を計画した。幸いに中央競馬社会福祉財団より金400万円の巨額の賛同を得て、ここに馬魂碑の建立を得た。私達は詣でる人人に彼等の、在りし日の姿を偲び、霊に感謝の、心を手向けていただくことを祈る。


慰霊碑

慰霊碑
内閣総理大臣 佐藤栄作書

昭和41年5月、越生町慰霊碑建設会にて建立。
越生町出身の大東亜戦戦歿者の慰霊碑。
碑裏面にご英霊の出身区とご芳名が刻印されている。

ちなみに右の石段と左の石段は段数が違う。
左の石段は、右の倍。歩幅が小さい方用に高さが調整されているのだ。

徳を讃う碑

「世界無名戦士の墓」建立の発起人・長谷部秀邦氏を讃える碑。


場所


越生町

意外と奥深い町でした。
太田道灌の生誕の地とは知りませんでした。。。

「世界無名戦士之墓」。
非常に尊い空間。この地には、また脚を運ぶことになりそうです。
桜の季節に、御英霊と花を愛でたいものですね。
ありがとうございます。


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