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陸軍技術研究所の跡地散策(小金井)

小金井と小平のあいだ辺りに、かつて陸軍の研究機関があった。
現在の東京学芸大学のある辺り。
往時を物語るものは多くは残っていないが、ちょっと脚を運んでみました。


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陸軍兵器行政本部
陸軍技術研究所

陸軍関係兵器の調査研究を行っていた機関。
昭和17年10月に陸軍兵器機関の整理統合が行われ、「陸軍兵器行政本部」が設置され、陸軍技術本部が廃止された。
陸軍技術本部の隷下にあった研究所は、そのまま陸軍兵器行政本部に属することになった。


位置関係

国土地理院航空写真
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル:8921-C6-127
1944年11月07日、陸軍撮影の航空写真を一部加工。

小金井市文化財センター

以下は、小金井市文化財センター展示より

陸軍技術研究所の範囲

陸軍技術研究所跡地

戦争と人々の生活
 日本は、1931年(昭和6)に勃発した満州事変をきっかけに、次第に軍国主義の道を歩みはじめました。1938年(昭和13)に国家総動員法が制定され、地域に国防婦人会や隣組が組織されるなど、戦時体制が強化されていきました。小金井では、1940年(昭和15)と1942年に、陸軍が現在の東京学芸大学を中心とする175haに及ぶ広大な地域を強制的に買収し、陸軍技術研究所が建設されました。太平洋戦争中(1941~1945年)、空襲による大きな被害はありませんでしたが、約150人(昭和18年の街人工16,839人)が出征し、多くの戦死者を出しました。

市登録文化財
陸軍技術研究所境界石杭
昭和15年と17年、矯正買収により現在の小金井市北西部と小平市上水南町3・4丁目に移転してきた陸軍技術研究所は、広大な用地の周囲に石杭を埋めて、その範囲を表示しました。
石杭は全長1000cm、「陸軍」と刻んだ上部20cmを地上に出し、残り80cmの下部は地中に埋めてありました。戦後、技研敷地の払下げと宅地造成にともない大多数が廃棄され、現在残っているのは当館所蔵の石杭と、本町5-31道路脇に残る石杭のみです。

「陸軍」の文字がわかる。

小金井市文化財センターのサイト


陸軍技術研究所の跡地散策

陸軍技術研究所境界石杭(境界標石)

前述に記載のあったとおり、小金井市本町5-31の道路脇に、一つだけ残存している。
摩耗しているが、わずかに「陸軍」と読み取ることができる。

陸軍技術研究所境界石杭
 市登録有形文化財
 登録(追加)平成30年8月

 現在の貫井北町・桜町・本町一帯は、昭和十五年(一九四〇)から昭和十七年にかけて、広大な農地を陸軍技術研究所として陸軍に買収されました。買収用地は万年塀で囲われ、第一(現市営競技場付近)、第二(現市立本町小学校付近)、第三(東京学芸大学構内東部)、第五(現情報通信研究機構付近)、第七(現サレジオ学園付近)、第八(現東京学芸大学中心部)の6つの技術研究所が都心部から移転してきましたが、まもなく終戦を迎えました。戦後は国有地となり、教育機関、国家公務員住宅、都住宅供給公社住宅等ができ、一部は民間に払い下げられ住宅地に変わりました。
 境界石杭は、側面に「陸軍」と刻み、陸軍用地の境界の各所に設置されたものです。小金井市文化財センター所蔵の同様の境界石杭(平成二十三年登録)が全長一メートルであることから、石杭の大半は地下に埋設され、地上に露出しているのは一部とみられます。この境界石杭は戦争遺跡である旧陸軍技術研究所の存在を示す遺物として貴重です。
 平成31年3月
 小金井市教育委員会

道路脇に。

場所


プール前

この場所には、かつてプールがあった。今はない。
もとを正せば、「陸軍技術研究所テスト用プール」があった。
そこでは、上陸用舟艇や水陸両用戦車のテストなども行われていた。
戦後は、水泳用プールに改造されたが、その後は放置され、現在は再開発され名前のみが往時を伝えている。

四角いプールと丸いプールが見える。(前述の航空写真より)

この近くには、仙川源流の仙川上流端もある。
ただし空堀。


陸軍技術研究所正門付近

東京学芸大学の南側に正門があった。

東京学芸大学の正門。
かつては、陸軍技術研究所の正門があった場所。

正門

正門前の道路。

前述の航空写真から。

周辺を散策してみる。
無造作に残るコンクリート壁の残骸。これは往時のものかどうかは不詳。

これは違う。

このあたりが、陸軍技術研究所当時の敷地の南西端。

特になにもない。。。

少し前までは遺構としては、給水塔なども残っていたというが、再開発により陸軍技術研究所の遺構は失われている。

※撮影は2021年8月


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