鉄道連隊演習線松戸線の散策3(鉄道連隊橋脚・鎌ヶ谷)

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鉄道連隊の跡地散策。
この日は、新京成線沿線から離れ、東武野田線(東武アーバンパークライン)の馬込沢駅から20分ほど歩いた場所にある、演習線の橋脚を見学。


新京成電鉄は、陸軍の鉄道聯隊の演習線路をベースとしていた。
日本陸軍解散後に、鉄道聯隊演習線は払い下げられ、京成電鉄は子会社としての新京成電鉄を昭和21年10月に設立。昭和22年12月27日に、新津田沼駅-薬園台駅間が開業した。
陸軍鉄道連隊演習線の規定は、軽便鉄道の戦術的運用目標である路線長45kmの急速構築運用を目的としていたために、45kmの距離を確保することが定められていた。そのため路線敷設演習を兼ねて急曲線が多数混在する線形となっており、新京成電鉄を旅客開業するにあたり、可能な限りは直線化を図ったが、いまなお陸軍演習線時代の名残の曲線が多数残っている。

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鉄道連隊演習線松戸線

松戸にあった陸軍工兵学校が構築した、工兵学校-八柱演習場間と、鉄道第二連隊が構築した津田沼-八柱演習場間の路線。
昭和7年(1932年)完成。
習志野線と同様に日常的に物資輸送や兵員輸送も行われ、工兵学校への資材搬入もおこなわれた。

新京成電鉄は、陸軍の鉄道聯隊の演習線路をベースとしていた。日本陸軍解散後に、鉄道聯隊演習線は払い下げられ、京成電鉄は子会社としての新京成電...
新京成電鉄は、陸軍の鉄道聯隊の演習線路をベースとしていた。日本陸軍解散後に、鉄道聯隊演習線は払い下げられ、京成電鉄は子会社としての新京成...

鉄道連隊

以前、以下の記事でも触れていました。

習志野の鉄道聯隊

平成29年8月 陸自・習志野駐屯地一般開放日「習志野駐屯地夏祭り」に赴く途中に、折角だから寄り道しながら周辺を散策してみました。 ...

千葉の鉄道聯隊

平成29年(2017)8月撮影 千葉縣護國神社から千葉公園に足を伸ばしてみました。 ...

鉄道連隊の蒸気機関車

令和元年9月撮影 日本陸軍の鐵道聯隊(鉄道連隊)で活躍した蒸気機関車(SL)が「新江古田駅」の近くに保存してある、と聞きまして、足を...

位置関係

米軍撮影国土地理院航空写真
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル:USA-M504-45
昭和22年(1947年)09月24日、米軍撮影の航空写真

google航空写真でほぼ同位置。演習線の跡を色付け。ポイントが橋脚跡。
新京成の鎌ヶ谷大仏駅は、曲線をショートカットした新設線路で新駅であることがわかる。

拡大。


鎌ヶ谷の鉄道連隊橋脚

史跡 
鉄道連隊橋脚
  所在地 鎌ヶ谷市東道野辺6丁目8番

 この橋脚は、昭和初期に旧日本軍の鉄道大隊が、訓練や物資等の輸送のため、建設した鉄道の一部です。
 近代の戦争では、鉄道は人や物資の輸送のために重要な役割を担っていました。千葉県でも、鉄道大隊から独立した第1鉄道連隊が千葉町(現在の千葉市)に、第2鉄道連隊が津田沼町(現在の新京成新津田沼駅の辺り)に配備され、昭和20年(1945年)第2次世界大戦終了まで活躍しました。
 この橋脚は、第2鉄道連隊が、大戦中、鉄道を敷く訓練として津田沼~松戸間に設けた路線の一部でしたが、終戦後は放置されていたため、この部分を除くほとんどを京成電鉄が買い受けました。その後、昭和21年(1946年)に京成電鉄の出資により新京成電鉄が設立され、当路線の整備を行いました。しかし、この部分は整備から除かれ、この橋脚だけが残りました。現在の新京成電鉄の全線が、整備を終え開通したのは、昭和30年(1955年)のことでした。
  平成11年3月 
  鎌ヶ谷市教育委員会

アカシア児童遊園

児童遊園の中に橋脚が残っている。

西側の1番目。

西側の2番目。

西側の2本。

東側の二本。合計、四本の橋脚が残されている。

端の橋脚は凹型。

桜の季節が気になる枝ぶり。「戦跡と花見」というのは良きポイントですね。
もちろん、桜は戦後の植樹。

今は暗渠となっているが、この四本の橋脚のちょうど中間に川が流れていた。
そのために窪地となっており、鉄道連隊演習線は、この部分に橋を渡した。

地理院地図の標高地形図をみると、凹み具合がわかる。

地形図、写真、標高、地形分類、災害情報など、日本の国土の様子を発信するウェブ地図です。地形図や写真の3D表示も可能。

Google Mapsでも、道路のアップダウンが分かる。

場所

Google マップで地図を検索。乗換案内、路線図、ドライブルート、ストリートビューも。見やすい地図でお店やサービス、地域の情報を検索できます。世界地図も日本語で、旅のプランにも便利。

陸軍境界標石(石杭)

公園の西端入口に、境界石もあった。

陸軍

場所


出会い

実は、ここで偶然の出会いがありました。

私が橋脚の写真を撮っていると、同じくカメラを持っている御仁が。
「ん?同業者さんか??」と思って、そうこうして、挨拶を交わしてみると。。。

なんと、日本戦跡協会の代表さん!
(戦跡協会さんからすると、なんと、戦跡紀行さん!となったようですが。。。)
この場所で、タイミングよく出会うというのは、かなり奇跡的。
私が、橋脚を見ようかなと考えたのは、この日の移動中の電車の中でしたので、直前まで行き先も確定させていなかったので。

日本戦跡協会さんのサイト
 https://www.sensouiseki.com
日本戦跡協会さんのTwitter
 https://twitter.com/sensouiseki
日本戦跡協会さんのFacebook
 https://www.facebook.com/sensouiseki/

戦跡協会さんのTwitter等で発信される情報は、かなりの頻度で拝見しておりました。日本のみならず海外情報にも明るく、それらの記録は大変に秀逸なもので、まさかここで偶然の極みで御縁が出来るとは思いもよらず。今年(令和4年)の戦跡フィールドワークの幸先は良く、充実したものになりそうです。

このあと、せっかくの御縁なので、 日本戦跡協会さんと一緒に、千葉界隈の戦跡散策を実施。
それらの戦跡探訪記録は、おいおい掲載していきます。。。
ありがとうございました。

ひとまず、本編は以上で〆

※撮影:2022年1月


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