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晩年を横須賀で過ごした坂本龍馬の妻・お龍(おりょうさんの胸像とお墓)

坂本龍馬の妻「おりょう」は、晩年を横須賀で過ごしていた。横須賀に胸像とお墓があるので足を運んでみた。

坂本龍馬の海援隊は日本海軍のルーツの一つ。そんな縁もあってか、晩年のおりょうさんには、海軍の支援があった。


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楢崎龍(お龍・坂本龍子・西村ツル)

天保12年6月6日(1841年7月23日) – 明治39年(1906年)1月15日)
坂本龍馬の妻。
慶応2年(1866)1月22日に薩長同盟が成立した翌日、寺田屋騒動(寺田屋遭難)が勃発。多数の捕吏に気づいたお龍は入浴中ではあったが、機転を気転をきかして坂本龍馬の危急を救っている。
寺田屋騒動で負傷した坂本龍馬は、お龍を伴い療養のために薩摩に趣く。この薩摩旅行が日本初の「ハネムーン(新婚旅行)」とされている。
慶応3年(1867)11月15日、坂本龍馬は近江屋事件にて暗殺。お龍は長州下関で訃報に接した。

坂本龍馬亡き後のお龍は、龍馬の実家、妹の実家、京都、東京などを転々とし、西郷隆盛や勝海舟の世話になっていたという。
明治8年(1875年)に呉服商の若旦那で寺田屋時代の知り合いであっった西村松兵衛と再婚し、西村ツルとして横須賀に居住した。
明治39年(1906年)1月15日、お龍は66歳で死去した。
危篤に際しては、皇后大夫皇后大夫香川敬三(元陸援隊士)から御見舞の電報が送られ、井上良馨大将(長く横須賀鎮守府司令長官を勤めていた)が救護の募金を集めている。
死後、横須賀市大津の信楽寺に葬られた。長く墓碑を建てることができなかったが、田中光顕(元陸援隊士・のちの宮内大臣)や香川敬三(皇后宮大夫・日露戦争の際には、皇后の夢に坂本龍馬が出たという喧伝を行い、国民を鼓舞)の援助を受け、死から8年後の大正3年(1914年)8月、妹の中沢光枝が施主、夫の西村松兵衛らが賛助人となり墓を建立。墓碑には夫の松兵衛の名ではなく、「贈正四位阪本龍馬之妻龍子之墓」と刻まれている。


おりょうさんの胸像

坂本龍馬の妻
 おりょう

「おりょうさん」
天保12年(1841年)京都に生まれる。
幕末の動乱の最中、坂本龍馬と出会う。
幕史の寺田屋襲撃のおり、入浴中にもかかわらず、龍馬に急を告げ、その脱出を助けたことは良く知られている。
その後彼の妻となるが、愛と光芒に満ちた日々は短かった。
龍馬の死後幾多の曲折を経て横須賀に至り当地にて後半生を送った。
明治39年(1906年)没す。享年66歳

おりょう会館という葬祭場(斉場)が、おりょうさん終焉の地であり、そして胸像がある。
おりょうさんは、この横須賀の地で晩年を過ごした。

場所


坂本龍子の墓

京急大津駅最寄りの「信楽寺」に坂本龍子の墓がある。

信楽寺(浄土宗)
<前略>
 墓地には幕末の志士・坂本龍馬の妻があります。龍子は龍馬の死後、再婚し西村ツルの名で横須賀・米が浜に住んでいました。毎年秋には墓前祭にあわせて龍子を偲び「おりょうさんまつり」が催されます。

市制施行70周年期記念  
横須賀風物百選 
坂本龍子の墓
江戸末期の風雲児、坂本龍馬の妻龍子は、「寺田屋騒動」の折、坂本の危急を救った女性として広く知られています。
龍子は、京都の町医師楢崎将作の長女として生まれました。生年月日については、天保十一年説もありますが、本市に残る除籍簿によれば、嘉永3年(1850)六月六日となっています。名は「りょう」とか「とも」と呼ばれ、伏見の寺田屋にいた頃は「お春」と呼ばれていたようですが確かなことは不明です。
坂本龍馬は、慶応3年(1867)11月15日、京都のしょうゆ商近江屋で京都守護職の輩下見廻組与力の乱入を受け、斬りつけられて、33歳の若さで絶命しました。
未亡人となった龍子は、夫龍馬の実家土佐の坂本家に移り住みましたが、長続きはしませんでした。その後、京都、大阪、東京と明治初年まで流浪の生活が続きました。その原因や生活状況については、いろいろの説があり、現在のところでは定説がありません。ただ、はっきりしていることは、明治8年(1875)7月2日、三浦郡豊島村深田222番地(現在の米が浜通り)の西村松兵衛方に「西村ツル」として入籍し、明治39年(1906)1月15日の午後11時に死亡した事実だけです。いろいろな資料によりますと、龍馬の死後、龍子の生活は波乱の連続であったようです。龍子の葬儀は、知人や隣人の助力で、明治39年(1907)10月20日にささやかに営まれました。また、遺骨は当時の信楽寺住職新原了雄師の御好意により、この地に葬られたとのことです。

贈正四位阪本龍馬之妻龍子之墓

夫である西村松兵衛は、西村ツルとしてではなく「坂本龍子」として墓石を建立している。

また、墓石は海軍工廠が寄贈したドッグ建設用の物が使用されており、建立にあたっては海軍の協力も大きかった。

永代寄付
(略) 
 中沢光枝建之 

大正3年(1914年)8月、妹の中沢光枝が建立したことがわかる。

信楽寺

※撮影:2022年5月

場所


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