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金沢城周辺の戦跡散策

平成31年12月散策 石川県金沢市

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金沢城公園

金沢城公園。
金沢城址の周辺にも、興味深いものがあるので散策してみましょう。


金沢城に残る戦跡

レンガ造りのトンネル

明治から昭和にかけて金沢城は旧陸軍の所管となり軍用施設が設けられました。このトンネルは旧陸軍によって弾薬庫が建設された明治から大正期につくられたものとされています。

明治8年(1875)に陸軍歩兵第7連隊、明治31年からは陸軍第9師団司令部が金沢城址に駐留。 弾薬庫に通じるトンネル。


鶴丸倉庫(金沢城土蔵)

国重要文化財
幕末の嘉永元年(1848)に建立。城郭内の土蔵としては最大級の規模。 明治以降は陸軍第九師団被服倉庫として使用。


第六旅団司令部

明治31年に建てられた木造平家建て建造物。
換気口には陸軍のシンボル五芒星もある。

「旧第六旅団司令部」と札はあるものも内部は公開されておらず。
それ以上の格別な案内もなく。金沢城内の西のはずれにあり、訪れる人も少なし。


ここからは金沢城の周辺に。まずは金沢城の南から南東方面へ。
ちょっと神社に立ち寄りつつ。

「石浦神社」
金沢市本多町鎮座
旧社格は県社。延喜式神名帳 加賀国加賀郡 小社「三輪神社」式内社論社。金沢市最古の神社という。
奈良時代には神仏習合し石浦山慈光院長谷寺とも。(旧日本三大長谷寺第二番所)。金沢城地の産土神。 参拝を。


陸軍第九師団長官舎

登録有形文化財
現在は石川県立美術館広坂別館

元は加賀藩家老本多氏上屋敷の地。
大正11年(1922)に第9師団の司令長官舎として建立。かつては和館も併設されていた。戦後は米軍将校官舎、金沢家庭裁判所、児童会館などで使用。平成28年に修復再整備。

玄関回りは当時の姿をよく残している。

建屋の裏側。

「陸軍第九師団長官舎」
内部は一部の部屋が公開されておりました。
かつての「応接室」
現在は石川県立美術館広坂別館修復工房ガイダンス室。

なおかつての「師団長公室」は事務室となっており非公開。

内部は一部の部屋が公開されておりました。
かつての「食堂・会議室」
現在は「多目的室」
なにかの展示会をしていました。お邪魔して室内を撮影。

現在は石川県立美術館広坂別館

長官舎の裏庭には築山が残る。
当時からの庭園の名残を感じる。


「金澤神社」
兼六園の南東に鎮座。
寛政6年(1794)、加賀藩11代藩主前田治脩が藩校明倫堂を建てた際、その鎮守社として学問の神であり前田家の祖先とされる菅原道真を奉斎する神社を創建したことにはじまる。
本殿および拝殿が登録有形文化財。

金城霊沢(きんじょうれいたく)
金沢ローカルでは著名な芋掘藤五郎伝説。
藤五郎が芋を洗っていたら、泉の水がキラキラ光って砂金が泉に溜まっていた。金洗沢と呼ばれたことが金沢の地名由来のひとつだとか。

金城霊沢碑
洞の中には碑文、天保15年(1844)建立。


石川県立能楽堂、しかし工事中。残念。

第九師団司令部庁舎と金沢偕行社

実は、この敷地内には「第九師団司令部庁舎」「金沢偕行社」があるのだがリニューアル工事中で見学不可。東京国立近代美術館工芸館が移転してくるのだ。

つまり「近衛師団司令部庁舎」から「第九師団司令部庁舎」へ移転。


金澤陸軍兵器支廠兵器庫三棟
(石川県立歴史博物館)

手前の第一棟は大正3年(1914)、真ん中の第二棟は大正2年(1913)、奥の第3棟は明治42年(1909)に竣工。国重要文化財。
戦後は金沢美術工芸専門学校(金沢美術工芸大学)の校舎に転用され、昭和61年から石川県立歴史博物館となった。

建屋内の撮影を試みたのですが、外気との急激な寒暖の差でレンズが曇ってしまい。ほんの僅かだけ撮影。


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