サイトアイコン 近代史跡・戦跡紀行~慰霊巡拝

習志野の戦跡散策(鉄道聯隊と演習場跡)

平成29年8月

陸自・習志野駐屯地一般開放日「習志野駐屯地夏祭り」に赴く途中に、折角だから寄り道しながら周辺を散策してみました。

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津田沼駅

午前9時。
目標地は習志野駐屯地だけど最初に降り立った駅は「津田沼」でした。

陸軍・鉄道第二聯隊兵営表門跡
(鉄道第二連隊隊門跡)

まず訪れたのがJR津田沼駅近くの「千葉工業大学」 大学正門が「陸軍・鉄道第二聯隊兵営表門跡」(鉄道第二連隊隊門跡)。登録有形文化財。

おっと、ちょうどオープンキャンパスでした。
人の出入りの合間をみてパチリ。

現在の千葉工業大学正門・国有形文化財

登録有形文化財 第12-0007号

この門は明治40年(1907年)当地に移駐した陸軍鉄道連隊第三大隊(大正7年に鉄道第二連隊に改組)兵舎の表門として使用されたものです。
第二次大戦後、ここが千葉工業大学の校地になった後も、「工大の煉瓦門」として親しまれています。
平成10年5月、国土の歴史的景観に寄与するものとして、国の登録有形文化財に指定されました。 
千葉工業大学

位置関係

津田沼駅周辺
1944年10月16日‐陸軍撮影の航空写真(8911-C1-4)

K2形機関車134号機

千葉工業大学から線路を挟んだ反対側にある公園。
習志野市「津田沼一丁目公園」

ここに鉄道連隊ゆかりの機関車が保存されている。
「K2形機関車134号機」

「K2形機関車134号機」
陸軍鉄道第2連隊の演習線で活躍し戦後は西武鉄道に払い下げられた機関車。
西武鉄道で使用されたのちにユネスコ村で静態保存。同村閉園の為に鉄道連隊ゆかりの千葉県習志野市に引き取られ当地で保存。
日本国内での現存唯一のK2形とされている。

K2形機関車134号

 この蒸気機関車は、かつてここ津田沼に本部を置いていた陸軍第2連隊がしようしていたもので、現在の新京成線敷地内にあった陸軍演習線での機関車として活躍したものです。
 この度、西武鉄道㈱ユネスコ村に保存してあったものを譲り受け、鉄道連隊ゆかりの、この津田沼一丁目公園に設置したものです。
 平成6年3月

新京成電鉄

新京成線は「カーブが多い路線」として有名。
カーブが多い理由は陸軍第2連隊時代に敷設や運転の演習の為に故意に曲げた為と。
その陸軍演習線を新京成線が一部転用した為に、ご覧の有様。
新津田沼駅から京成津田沼駅まで往時のカーブの気配を堪能しながら移動しましょう。

京成津田沼駅

京成津田沼駅から西に伸びている一本の道路。
線路脇に石碑が立っています。

御大典記念道碑

昭和4年2月建立
昭和天皇の即位(御大典)を記念して京成津田沼駅から線路に沿って谷津に向かう道路を作ったよ、という記念道。

京成津田沼駅から西に伸びる「御大典記念道」を歩く。
今でこそ普通の道ではあるが地元の寄付金などで建設されたこの「御大典記念道」は大仰な名前とともに悲願の賜物であっただろう。

陸橋の下にもひっそりと石碑が残っている。
こちらの碑は摩耗が目立っていた。

「御大典記念道」をチラリと見学して駅に戻る。 ここから陸軍鉄道連隊が敷設した線路跡の道路(鷺沼台遊歩道)を歩いてもよかったのですが、体力温存の為に京成津田沼から京成大久保までの一駅だけど電車で移動。

そういえば新京成「ふなっしー電車」がいました。

京成大久保駅

京成大久保駅周辺
1944年10月16日‐陸軍撮影の航空写真(8911-C1-4)

鉄道連隊演習線(習志野線)

京成大久保駅前の北側に、東西に伸びている遊歩道。
この道が「鉄道連隊演習線(習志野線)」
(新京成線は鉄道連隊演習線松戸線)の跡。
遊歩道としては「ハミングロード」

鉄道連隊演習線の路線図には往時の周辺情報も。
京成大久保駅の北側には「騎兵旅団司令部」「騎兵13聯隊」「騎兵14 聯隊 」「騎兵15 聯隊 」「騎兵16 聯隊 」と。 このあたりは別記事で。

鉄道聯隊演習線跡

この地は、鉄道連隊の演習線が走っていたところです。
明治40年(1907年)東京中野にあった鉄道大隊は鉄道連隊に昇格し、千葉市と津田沼町に転営しました。この前年、津田沼-習志野間に軽便鉄道が敷設されました。日露戦争時に購入した鉄道資材を習志野の捕虜収容所跡に保管するためでした。この資材をさらに千葉の鉄道連隊材料廠に移転するため、明治41年~42年、習志野-千葉間に軽便鉄道が敷設されました。資材の移転は明治44年(1911年)に完了し、その後この鉄道は鉄道連隊の演習線路として用いられました。線路は、初期に多少のルート変更が有りましたが、津田沼-大久保-三山-高津-犢橋-宮之木-園生-千葉の約16.7㎞の区間で、軌間600mmの軽便鉄道でした。軌間1067mmや1435mmの普通鉄道が並行して布設されたこともあった様です。
津田沼に置かれた鉄道連隊第三大隊は、大正7年(1918年)に鉄道第二連隊に昇格し、この演習線や昭和7年(1932年)頃までに敷設が完了したと言われる津田沼-松戸間の演習線で、鉄道の敷設・撤去・修理の訓練や、機関車の運転訓練を行いました。
戦後、演習線の跡は津田沼-松戸間がほぼ新京成線になりました。津田沼-千葉間は、津田沼-高津間が一時期自衛隊の演習線として用いられた後、現在は大部分が道路となっています。

陸軍境界石

「陸軍習志野学校裏門」から東に歩み「鉄道連隊演習線跡」の道路と合流するあたり。往時は「演習場(練兵場)」が展開されていた場所らしい。
ここに2つありました。

「鉄道連隊演習線跡」の道路に合流してちょっと北上。
このあたりも 「演習場(練兵場)」 だったあたりなのかな。

畑の中に、仲良く葱と並んで「陸軍用地」(陸軍境界石)
見つけた時に、ちょっと笑ってしまいました。

鉄道連隊演習線(習志野線)

東に向かって歩いてます。

演習線跡を歩みつつ。

支那囲壁砲台(旧陸軍演習場内圍壁)

異国的なものが見えてきました。

習志野演習場跡
「支那囲壁砲台」(旧陸軍演習場内圍壁) 国登録有形文化財
これは中国での戦いを想定し演習用に中国風家屋を模して作られた銃眼砲台ミニチュア。民家として一部現存している。

号砲台跡

支那囲壁砲台から20分ほど歩く。イオンタウン東習志野の北側。

「号砲台跡」
「陸軍省所轄地」 が移設保存。
陸軍演習場習志野原の号砲台を記念して築かれた小塚。
現在は工場敷地内。道路側から小塚を眺める事が出来る。

本編はここまで。

京成大久保駅からの騎兵聯隊や習志野駐屯地は別にまとめます。

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