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旧・醸造試験所第一工場

国指定重要文化財(建造物)

王子駅から飛鳥山・音無橋の方へ歩いていくと、赤レンガの建物がみえてくる。

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旧醸造試験所第一工場
(通称・赤煉瓦酒造工場)

国重要文化財(建造物)
明治35年(1902年竣工)
明治37年5月に創設された大蔵省醸造試験所の清酒醸造試験工場として設立。
設計は、明治三大建築家のひとり、妻木頼黄。
大蔵大臣所管としてはじまった国立醸造研究所は平成13年(2001)に、独立行政法人酒類総合研究所へ移行。2015年に東京事務所を本部(東広島市)に統合。

醸造試験所跡地公園は、醸造研究所が広島県に移転したことに伴い、その跡地に設けられた公園。
跡地公園からも外観を見ることはできるが、秋の東京都文化財ウェークや不定期に開催されるイベントの際には内部に入ることも可能。

国指定重要文化財(建造物)
旧醸造試験所第一工場
 北区滝野川2-6

 醸造試験所は、醸造方法の研究や清酒の品質の改良を図ること、講習により醸造技術や研究成果を広く普及させることなどを目的に設立された国の研究機関です。創立は、明治37年(1904年)5月で、酒税とも密接なかかわりを持つことから、大蔵省が所管することになりました。
 醸造試験所が設置された場所は、幕末に滝野川大鳳製造徐が置かれた敷地の一部で、水利が良く、王子停車場(今の王子駅)も近いことなどから「まことに得難き好適地」として選定されました。
 第一工場は、試験所の中核施設として、蒸米、製麴(せいきく)、仕込み、発酵、貯蔵などの作業が行われていました。建物の設計および監督は、、大蔵省技師の妻木頼黄(つまきよりなか)が担当しています。一部三階建、地下階に貯蔵室を持つ煉瓦造りで、外観を化粧レンガ小口積みとし、外壁上部はレンガを櫛形に並べたロンバルド帯風の意匠となっています。躯体のレンガ壁の一部に中空部分を設けて外部の温度変化の影響を受けにくくし、またリンデ式アンモニア冷凍機を用いた空調設備を備えるなど、一年を通して醸造の研究が行えるように、ドイツのビール醸造施設を大様した設計がなされています。製麴室の白色施釉(せゆう)煉瓦積みの壁や、鉄骨梁に半円形状にレンガを積んだ耐火床など、屋内にも特徴的な煉瓦造りの部分を見ることができます。
 昭和20年(1945年)に空襲で被災し、屋根部分は葺き直されていますが、その他は当時の様子をよくとどめています。
 平成29年3月 東京都北区教育委員会 

醸造試験所跡地公園より

3階建ての建屋には地下室もある。
試験室や貯蔵室、発酵室や倉庫などが設けられている。

こちらは南側の平屋の建屋。蒸米冷却室などはこちら。


旧醸造試験所第一工場(内部)

廊下

赤煉瓦酒造工場の旧麹室
白色施釉煉瓦を使用。

旧麹室はライティングイベント会場となっておりました。

松尾大社の神符

イギリス積みとドイツ積みと。

妻木頼黄の代表作。
「横浜正金銀行」と「横浜赤レンガ倉庫」


矢部博士寿像(矢部規矩治博士胸像)

清酒酵母の発見者
矢部規矩治(やべ・きくじ)

醸造試験所構内に、矢部規矩治博士の功績を称えるために制作されていた寿像の除幕式が11月20日に予定されていたが、その直前の昭和11年10月2日に急性心臓発作にて永眠。享年69歳。

矢部博士寿像

碑文
正三位勲二等農学博士矢部規矩治氏
明治元年前橋市二出生シタリ
明治二十七年東京帝国大学農科大学ヲ卒業シ明治二十九年大蔵省二奉職スルヤ或ハ大蔵省鑑定官トシテ又ハ関税訴願審査委員特許局審査官トシテ我国鑑定事務ニ関シテ多大ノ功績アリ
更ニ明治三十六年醇造試験所設立準備委員ヲ命ジラルルヤ幾多ノ研究ヲ遂ゲテ同所ノ設立ニ参劃シ翌年其ノ設立成ルヤ事業課長トシテ醸造ノ学術技術二関スル研究ヲ計画指導シ大ニ斯界ノ発達ニ貢献スル処アリ
昭和六年十二月退官スルマデ実ニ三十有四年一意専心税務並ニ醸造界ノタメ尽痒シ其ノ間門下ヨリ数多ノ学者技術ヲ輩出セリ
尚同氏ハ大正四年九月社団法人日本醸友会ヲ設立シ自カラ選バレテ会長トナリ
醸造技術ノ研讃ヲ唱導シ或ハ醸造試験所商議員トシテ又ハ全国酒造組合中央會顧問トシテ酒造界ノ発達ニ尽スコト大ナリ
実ニ氏ノ如キハ我国醸造界ノ先覚者タルト共ニ人格高潔ノ士トシテ後人ノ模範トスベキモノト謂フベシ
昭和十一年門下生一同資ヲ蒐メテ同氏ノ寿像ヲ建設センコトヲ図リ居リシ際同年十月二日突如薨去セラレタリ
時ニ享年六十九歳
 昭和十一年十一月二十日
 矢部博士寿像建設會発起人

(読みやすいように適宜改行しました)

矢部規矩治博士
Dr. Kikuji Yabe
1865-1936

 矢部規矩治博士は、明治27年(1894年)東京帝国大学農家大学を卒業、明治28年(1895年)世界で初めて清酒酵母を分離した。明治29年(1896年)大蔵省に入省、明治37年(1904年)の醸造試験所設立に尽力し、醸造技術の発達、また、わが国の関税制度の確立に多大な功績を残した。昭和6年(1931年)退官までの34年間、税務並びに醸造界のために尽力し、門下より数多くの学者技術者を輩出した。
 設計・塑像 大野明山


錐台銘

錐台銘
 元治元年(1864年)江戸幕府はこの地を王子村名主より買い上げ、大砲鋳造の用地とし反射炉と錐台(砲身の穴あけ)を置いた。
 明治時代に入りこの用地は大蔵省印刷局王子抄紙部付属工場にあてられたが、明治35年(1902年)10月大蔵省醸造試験所設立に際し移譲され、現在は錐台の一部だけが残っている。
 昭和48年1月

 平成7年7月東広島市への移転に伴い、ここに移設した。
  平成7年7月

今回はイベント公開での見学だったため、建屋内をゆっくり拝見することができませんでしたが、秋の文化財ウィークの際は比較的ゆっくりと見学できるそうなので、そのときにまた再訪したいですね。

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