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半原水源地と海老名と・海軍横須賀水道(愛川・海老名)

(平成29年7月)

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【横須賀水道と半原系統】

海老名の有鹿神社の境内裏手「相模川」に気になる橋があります。
「上郷水管橋」
愛甲郡愛川町の半原水源地よりほぼ直線に引かれた自然高低差の水道管で横須賀の逸見浄水場へと導水された跡。

海老名界隈の地図を見てみると、見事な直線が気になります。 同じレイヤーで線を引いたものと実際の航空地図を並べてみました。 一部断絶してますが、うん見事な直線ですね。 この直線道路が「横須賀水道道」(よこすかすいどうみち)と呼称されている道路。

横須賀水道

https://ja.wikipedia.org/wiki/%e6%a8%aa%e9%a0%88%e8%b3%80%e6%b0%b4%e9%81%93 …

日露戦争後の軍備拡張に伴い海軍当局は中津川に取水口を設け約53km離れた横須賀まで鋳鉄管を使用し落差約70mの自然流下による半原系統の建設工事を1912年着手、1918年10月通水開始。

横須賀市上下水道局

http://www.water.yokosuka.kanagawa.jp/history/suido/06.html …

横須賀に拠点を置く海軍は水不足改善の為に相模川の支流中津川に新しい水源を求め、明治45年(1912)に工事に着手し大正10年(1921)に完成させた、海軍水道みち。全長53キロ。

半原水源地(愛川町)

朝。

今回はじめて「半原地区」に脚を踏み入れた私。 結論からすると再訪必至となりました。事前調査不足と夏の暑さと草木の成長などに阻まれたため、これは涼しくなってからのリベンジです。 なので今回のレポは(自分的な)ガイダンスとなりそうです。

橋本駅7時55分の神奈中バス「橋07系統・鳥居原ふれあいの館」行きバスに乗り込む。橋本からの山越えコース。途中の「串川バス停」で下り車線から上り車線に移動して「半原」行きへ乗り継ぐという変則行程。 未知の土地でのバス乗換えはドキドキします。

8時43分。予定通りに「半原」バス停に到着。 ちなみに半原地区に赴くには「本厚木」からがベストです。バスはだいたい30分に1本走っているので時間調整しやすいです。 私のとった橋本ー串川橋ー半原コースは1時間に1本以下となりますのでご注意を。

半原バス停から南に。「半原水源地」に到着。

横須賀市水道局半原水源地
(横須賀市上下水道局)

場所:https://goo.gl/maps/QxFS62RG6mB2 …

こんな山奥に横須賀市の施設があるのが往時の海軍時代からの因果。 なお平成27年2月28日運用廃止。

「半原水源地」

せっかくなので敷地を周回。(敷地内には入れません) 敷地の隣を流れるのは「中津川」 ここより上流約500メートルほどの場所に取水口があり、制水用ハンドルや隧道もあるが、今回は暑すぎたので近づくのは割愛。 次回の再訪課題で。

敷地外から沈殿池跡などを覗いてみました。 往時、横須賀を拠点とする帝国海軍の水がめとして活用された「半原水源地」はすでに時代の役目を終えており、歴史遺産としてその姿を残していた。

平成19年4月取水休止
平成27年2月28日廃止

「半原水源地」 敷地外から観察。

「半原水源地」 敷地外から観察。
水道管が転がってました。

「半原水源地」 敷地外から観察。

「半原水源地」 外壁の石垣。 これは良いところですね。

「半原水源地」 敷地の奥に護水の神がおられました。

妙法護水善神

若宮神社

「半原水源地」の正面のちょっとした高台に「若宮神社」が鎮座しておりました。
まるで半原水源地を見守るような佇まい。
神社由来は不詳。 最近、御社殿を新しくされたようです。

狛犬は明治44年の銘あり。海軍による半原水源地の建設開始(明治45年)よりも1年ほど早くからここに鎮座してる狛犬。
まさに半原水源地とともに時代を刻んできた狛犬。

半原水源地から横須賀水道みちへ

半原水源地より伸びる道を歩む。
ここから「横須賀水道みち」が延々と三浦半島横須賀まで、帝国海軍の水を担うために水道管が伸びていた。
その水道管は道路の下に。水道管の上に道路が敷設されたわけです。

半原水源地よりちょっと歩いた公園の片隅に。 ありました。

「海軍用地」境界石(境界標石)

場所→https://goo.gl/maps/PyoLpCkdjb22 …

こんな山奥ではあれど、大切な「海軍の水」ですから。
こうして主張されているわけです。

実は半原の街を歩いていた所、どうも祭りの気配がありまして。
道々に紙垂もさげられていたり。

半原神社

集落の鎮守たる集落の名を冠する「半原神社」( 諏訪大明神)
ちょうど八雲祭祭礼の準備(土曜日が宵宮・日曜が本宮)が行われてました。
祭礼の邪魔をしては悪いので参拝だけして次へと。

水道みちを下っていきます。
ここで水道みちと現在の道路が別れます。 水道みちは1枚目写真の手前(津久井)に。
現在の道路は1枚目写真の右(厚木相模原)にカーブを。
この場所が次のポイントです。
隧道が見えますね。

横須賀水道みち「隧道」

場所→https://goo.gl/maps/vjrVLLWhgWK2 …

昔は通行可能であったそうだが、現在は愛川町道路管理課によって通行禁止の処置がとられている。
水道管を通すのに掘られた隧道。

横須賀水道みち「隧道」の隣の高台に。
気になる空間があったので立ち寄ってみました。 狛犬の銘によると「金山神社として築造、明治捨参年」されたそうで。狛犬は対ではなく1体のみ。 明治13年であれば、これもまた「横須賀水道」よりも古くからの存在。

さきほどの横須賀水道みち「隧道」は、通行止めでしたので道路を迂回して下流側へ。
要石がお見事です。

前述の横須賀水道みち「隧道」から伸びる道は緩やかな勾配を描いた築堤のような雰囲気。

その先に次の「隧道」がみえてきますが、こちらも封鎖。 夏の草たちはよく育ってますね。
・・・近寄れませんでした。また迂回です。

(築堤の途中で用水を渡る水道管も見逃し。宿題です。)

場所→https://goo.gl/maps/PZ3kgqt66522 …

迂回中。
ブレてますがバスは比較的よく走ってます。
(田名バスセンター及び厚木バスセンター方面)

前述の2つ目の隧道の下り側。簡易的でしたが道は封鎖。この先は個人住宅裏へと連なっておりましたので進入はヤメ。
山の中ですが「横須賀市」の標石あり。
(リアルな横須賀とか50キロぐらい離れてます)

場所→https://goo.gl/maps/VZ8Mbo9Kk762 …

愛川橋

中津川。見える橋は「愛川橋」
愛川橋では「あいちゃん」(愛川町観光キャラクター)が何かの撮影をしてました。

で、風光明媚すぎて暑すぎて、このあたりにあるという「旧海軍マークの刻まれた排気弁蓋」を見忘れたり(あぁ、これも宿題)

そろそろ慣れてきたと思います。

戦前は帝国海軍の管理、そして戦後は横須賀市の管理用地となります。

ようやく通れる隧道(愛川トンネル)です。
平成5年に現在の様相に拡張済み。
トンネルの中は涼しくて助かります。

場所→https://goo.gl/maps/j4Y6D2uwxqm …

中津川の清流。癒やされます。

馬渡橋

ここはね、来るのが遅かったってわかっているから覚悟済み。
「馬渡橋」架替工事。平成29年9月29日まで。
以前の馬渡橋脇には「横須賀水道の水道管」も一緒に渡されていてその姿を見ることが出来たが、既に撤去済み。

「馬渡橋」の近くに。 僅かに痕跡が残っておりました。
「水道局」の石標。

中津川にかかる「馬渡橋」を渡って、次の集落へ。
行政地区的には「愛川町半原」から「愛川町田代」となります。

「横須賀水道みち」は自然勾配で下っていきます。 こうして適度な斜面があるから、ポンプを使わずに水を横須賀に流すことができるわけですね。

田代の集落を通る水道みちを歩いていると、あぁこれは立ち寄らないとダメですね。

中津神社(小嶽明神)

ちなみに前述された「半原神社」は、こちらの中津神社が本務社となっております。

「中津神社」(小嶽明神)
大日霎尊(おおひるめのみこと) 創建年代は不詳であれど文治年間(後鳥羽時代1185年~1189年)には鎮座していた。
北條家臣内藤秀勝が田代城を治め当社を氏神として信仰。
中津川流域の中心地であり中洲をなしている田代集落の総鎮守。

なかなか興味深い神社。御社殿の後方にちょっとした丘があってそこにも祠が鎮座。本殿の後なので覗き込むわけにもいかない角度だけど、奥社っぽい気配。この規模にしては余り見かけない空間です。

ここで迷う。
道は迷ってないけど選択肢に迷う。
別に地酒を迷ったわけでもなく。
水道みちを歩くのであれば相模原方面へ。切り上げるなら厚木方面へ。
時刻表をみたら程よく10時58分に厚木行きのバスが。

場所:https://goo.gl/maps/mWu4DVYcib82 …

ということで一旦切り上げ。

半原水源地から愛川町田代まで「横須賀水道みち」を歩いた距離は7.5キロ。所要時間は約2時間15分。

宿題が幾つか残ってしまったので半原地区はまた訪れることになります。

このあとは海老名の水道みちにワープ!

海老名市内の横須賀水道

さて話は海老名にワープします。
海老名駅ほど近くから有鹿神社までのちょっとした直線が次の見どころ。
この直線が延々と伸びている「横須賀水道みち」

海老名市内を縦断する「横須賀水道みち」

ちょうど相模線の線路がクロスするあたりから「歩行者自転車専用」の細道が伸びています。
看板には「水道用地」とあります。
右手の水田のところにポツポツと林立しているものが「水道標石」 近づいてみましょう。

海老名市内を縦断する「横須賀水道みち」

水田と用水の間に標石が何本も並んでいます。 横須賀市の文字も見えますね。でもここは海老名市。

水田地帯を抜けると道路の両脇にいい感じに標石が並んでます。
だんだん慣れてきました。
これらは削られ系ですかね。

海老名市内を縦断する「横須賀水道みち」の「水道標石」

表記は水道部だったり水道局だったり。
標石の時代が違うのかな。
埋もれ方にも個性があります。

海軍標石(海軍境界石)

「標石」ハイライトはこちら。
波が描かれた「海軍標石」(海軍境界石)

この場所がなんであるかを物語る、力強き「海」の名残。

海老名市内を縦断する「横須賀水道みち」
みごとな一直線です。

上郷水管橋

突き当りは相模川です。
この向こうが冒頭に触れた「上郷水管橋」
占有者は横須賀市上下水道局。

相模川にかかる「上郷水管橋」

1918年(大正7年)完成。
2007年(平成19年)4月取水休止。
2015年(平成27年)2月廃止。

横河橋梁製作所
東京工場制作
大正七年三月竣功

銘板は大正7年。右から読ませます。

県立相模三川公園より遠望してみました。

「相模大山」と「上郷水管橋」 左に見える塔は「国土交通省関東地方整備局厚木無線中継局」

「上郷水管橋」のすぐ隣にあるのが「有鹿神社」

有鹿神社

実は神社境内にも標石があったり。かつては今よりも広大な敷地を保持していた有鹿神社であったが社地の後方に横須賀水道が通ることで境内が削られたわけで。
こうして境内に横須賀市水道部の水道境界石が残っている。

ということで。
海老名の有鹿神社に到達したところで本記事はひとまずオシマイ。
宿題が幾つか出来ましたので続編を期待しつつ、いったん〆ます。


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