2026年3月、秋田に赴く機会がありましたので、散策を。
(キュンパス(旅せよ平日!JR東日本たびキュン♥早割パス)」を活用した日帰り旅、でした)
終戦前夜、秋田市の土崎地区が爆撃された。関連戦跡の慰霊巡拝を。
秋田の戦跡散策1はこちらから。
目次
土崎空襲
終戦前夜の昭和20年8月14日午後10時半頃から15日午前3時半頃にかけて、土崎地区は約4時間にわたり激しい空襲を受けた。この空襲は「日本で最後の空襲」のひとつであった。
土崎空襲での攻撃目標は、終戦間際でも無傷のままであった当時日本で最大の産油量をあげていた日本石油秋田製油所であったが、近隣の民家も多大な被害を受けた。
土崎空襲はグアム島を出発したアメリカ軍のB29を中心とした爆撃機約132機が、100kg爆弾を7,360発、50kg爆弾が4,687発の合計1万2047発、953.9トンに及ぶ爆弾を投下。
犠牲者は一般市民92名、軍人50名に、確認できない人を合わせると250名以上を数え、製油所のほか104戸が全焼、及び全半壊した。
秋田県で唯一の大規模空襲でもあった。
ターゲットとなった日本石油秋田製油所は、内地では10番目の大きさであったが、秋田市周辺の油田(八橋油田は国内生産量の70%を占めていた)からの原油産出量は日本本土最大で、その原油を精製し、内地における精製石油の37パーセントを担ってた。さらに、他の製油所とは異なり、輸入原油に依存しないことがわかっていたことから、日本の石油産業におけるもっとも重要な攻撃地の一つであった。
https://thsk-akita-tsuchizaki.amebaownd.com/pages/2963902/page_201906081840
https://tuchizaki.com/kusyu/%E5%9C%9F%E5%B4%8E%E7%A9%BA%E8%A5%B2%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2
https://wararchive.yahoo.co.jp/airraid/detail/14
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/tohoku_04.html
平和を祈る乙女の像(港湾公園)
昭和54年建立。土崎港の臨海、ポートタワー・セリオンの近くに鎮座。「土崎空襲犠牲者追悼平和祈念式典」が毎年、この地で実施。
慰霊
鳩を抱えた乙女の像。
日本が開国以来の大敗戦を喫した昭和二十年八月十五日の前夜半、わが郷土は「日本石油」を中心に米国空軍の猛爆撃を受け、市民、軍人およそ一八四名の犠牲者を出すに至った。
その後昭和五十年「被爆市民会議」の発足成り爾来各種の慰霊行事を行なって来たが、漸くここに官民一致の協力を得て、其の霊を永遠に慰むべく慰霊塔の建立を見るに至った。
願わくば諸霊とこしないに安らかに、以て世界の恒久平和と郷土の繁栄を守り給わらんことを。
昭和五十四年八月十五日
土崎港被爆市民会議会長 藤田渓山 謹誌
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/attend/detail/akita_akita_city001/index.html
場所
https://maps.app.goo.gl/5bA9CpAFXmb6MYYB6
道の駅あきた港 ポートタワー・セリオン
秋田市ポートタワー・セリオン
高さ143.6メートル
展望台の高さは100メートル。
ENEOS秋田油槽所
終戦直前の「土崎空襲」では、土崎港北大浜地区にあった「日本石油秋田製油所」がターゲットであった。
秋田港(土崎港)は北前船で発達し、そして臨海鉄道が陸と海の結節点として活躍していたが、「秋田臨海鉄道」は2021年に廃線し、そして秋田港駅も2026年7月に廃止となった。
秋田港駅。
明治40年(1907)開業。陸と海の結節点として機能し、秋田港にある製油所や製錬所からの輸送需要多くの貨物列車が通ったが、2026年7月廃止。
場所:
https://maps.app.goo.gl/kD6BWVkjkbSxMG5L9
土崎みなと歴史伝承館
土崎空襲をはじめとした土先の歴史を伝える施設。
空襲展示ホールには、旧日本石油秋田製油所の建物(被爆倉庫)の一部(爆撃で溶けた実物のコンクリート)を移設して展示してある。
なんと、、、休館日(おとづれたのが火曜日)
残念すぎる。。。再訪??
場所
https://maps.app.goo.gl/c338R4yiH9aNYry79
祈恒久平和(雄物岸街区公園)
雄物岸街区公園にある慰霊碑
祈恒久平和
秋田市長
石川錬治郎
碑の由来
昭和二十年八月十四日夜半から十五日未明にかけて、B29爆撃機百三十二機による、日本最後の土崎空襲で、上酒田町 新城町・稲荷町・小鴨町・加賀町で三十名の方々が尊い生命を失ないました。
この碑は、この犠牲者の慰霊と戦争のない恒久平和をきずく誓いとして市民の篤志募金で建立したものです。
平成四年八月十四日
土崎港被爆市民会議
平和祈念碑建立実行委員会
委員長 佐藤 実 謹書
明治天皇行在遺蹟
1881年(明治14年)9月の 明治天皇「山形・秋田・北海道巡幸」のおりに、土崎港に行在所が設けられたことを記念。
場所:
https://maps.app.goo.gl/bfHSscHVKd7GxHd79
慰霊碑つばさ(古川町街区公園)
古川町街区公園に鎮座。
犠牲者の遺体を集めた場所という。
祈恒久平和
この周辺は、一九四五年八月十四日夜半から、終戦の十五日未明にかけて米軍機B29による日本最後の土崎空襲で犠牲になった百数十人の遺体を鉄道線路上に置かれた痛恨の地である。
ここに、慰霊と恒久平和の誓いを捧げる。
一九九一年八月十四日
建立
土崎港被爆市民会議
平和祈念碑建立実行委員会
文 委員長佐藤実
吉田金也謹書
場所:
https://maps.app.goo.gl/jT68umsydWLVz2Np6
祈平和(光沼の祈念碑)
光沼近隣公園の駐車場近くに鎮座。
祈平和
土崎港被爆市民会議
土崎空襲で光沼に沈んだ犠牲者に捧げる
昭和20年8月14日の土崎空襲のとき、当時、燃え盛る日本石油秋田製油所などから逃れてきた多くの市民が、この光沼に飛び込んで熱や火を避けたと伝えられているが、亡くなった人も多数いたという。戦後、再開発によって光沼は段階的に埋め立てが行われ、沼としての姿は消滅している。
場所:
https://maps.app.goo.gl/o9far4p5ymqF5bDfA
慰霊塔
(高射砲台座上に建てられた慰霊塔)
土崎港(日本石油秋田製油所などの重要施設)を守るために配備された高射砲第四八大隊第四中隊の九九式八糎高射砲陣地のあった場所。そして秋田県でただ一つの戦場の跡でもある。
慰霊塔
秋田県知事小畑勇二郎書
この塔を建てた由来
この町内は太平洋戦争の末期の昭和二十年八月十四日から同十五日にかけて連合軍の大型爆撃機延べ二百五十機により約二千発の爆弾を投下され猛爆を受けたのであるがその際当地を警備中の独立高射砲隊(高射砲一箇中隊高射機関銃一箇小隊)および同隊を救援するため駆けつけた郷土部隊は最後まで勇敢に応戦し隊員の大部分が戦死されまた同時に一般市民も多数被爆し尊い命の失われた秋田県でただ一つの戦場であったのである よってこの人々の霊を慰めあわせてこの戦跡を永久に記念し再び戦争の悲劇をくりかえさぬことを誓うため当町内一同の総意によってここにこの塔を建立したのである
昭和四十年八月十四日
秋田市土崎港相染字緑町々内会一同
慰霊碑の台座が高射砲台座
場所:
https://maps.app.goo.gl/aQ6jdSMRreWzzvVG8
平和祈念碑
(土崎空襲 犠牲者に捧げる 慰霊平和)
通称、浜ナシ山。旧日石通りの慰霊碑。
日本石油秋田製油所従業員らを慰霊する。
土崎空襲 犠牲者に捧げる
慰霊平和
祈念碑建立実行委員長 佐藤 実 謹書
平成七年八月十四日
場所:
https://maps.app.goo.gl/Z5rfLQAAdrGxS33RA
雲祥院
土崎空襲で被災した秋田県内で唯一の戦災寺院という。
空しゅう被弾地域
場所:
https://maps.app.goo.gl/cxhvDHgh9xN1sdqM7
雲祥院の首無し地蔵
四体のお地蔵さまは、爆撃の破片で首が削ぎ取られ無くなっていた。被爆地蔵。
被爆した墓石(雲祥院)
境内の墓石にも被爆した痕跡が残る。
被爆した宝篋印塔(雲祥院)
秋田県内最古の宝篋印塔とされ、南北朝期の建立という。
上部は土崎空襲での被爆によって破損している。
位置関係
国土地理院航空写真
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル:USA-M1022-2
1948年5月16日、米軍撮影の航空写真を加工。
日石秋田製油所と、各慰霊碑の位置関係。
ちなみに、このエリアをすべて歩いて散策しました。
秋田県護國神社を起点に、ポートタワーセリオンを経由し、各慰霊碑を巡って、ゴールの上飯島駅までざっくり3時間でした。(土崎みなと歴史伝承館に寄れていればプラス1時間だったかも)
※撮影:2026年3月
空襲関連
昭和20年8月14日から8月15日にかけて、「最後の空襲」として被害をうけた空襲として「土崎空襲」のほかに「熊谷空襲」「伊勢崎空襲」「小田原空襲」などがある。
