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「平和の礎」小金井空襲・小金井駅戦災(栃木県下野市)
栃木県下野市。かつての栃木県下都賀郡国分寺村。小金井駅と付近を走る列車に対して機銃掃射による空襲があった。 小金井空襲 昭和20年7月28日…

B29墜落搭乗員慰霊碑とB29墜落地点の慰霊巡拝(群馬県邑楽町秋妻)
群馬県と栃木県の県境。群馬県邑楽郡邑楽町秋妻は、のどかな水田が広がる農村地帯。戦時中、この地にB29が墜落し、そして地域住民は搭乗員を…

日露戦争の海軍三提督がお手植え「足利学校の月桂樹」
栃木県足利市。下野国足利荘にある「足利学校」は、日本最古の学校として知られている国指定史跡。 足利学校 中世において足利学校は関東最高の学府…

戦時迷彩塗装の残る旧足利織物赤レンガ工場群(トチセン・足利)
栃木県足利市内に残る大規模煉瓦工場。壁面に残る戦時迷彩塗装を見に行ってきました。 最寄りは東武伊勢崎線福居駅。私は東武足利市駅からレンタサイ…

「昭和天皇祭(山陵に奉幣の儀)」34年目の昭和天皇武蔵野陵に拝する(令和5年1月7日)
昭和64年(1989年)1月7日午前6時33分。国民の祈りの中で、昭和の天皇陛下は御崩御あそばされた。 あの日から、34年。 今年も、 昭和…

「敵機侵入を察知した聴音壕」大月防空監視哨跡の散策
2022年8月に大月から富士急で河口湖に赴いていました。河口湖飛行館に行きたかったので。 そのときに大月の防空監視哨跡に赴こうかなと思ってい…

河口湖自動車博物館・飛行館(2022年8月版)
2022年8月、「河口湖自動車博物館・飛行館」に赴きました。毎年8月の1ヶ月間のみ公開される博物館。前々から気にはなっていましたが、ようやく…

武蔵航空吉田工場跡と河口湖散策(富士吉田)
山梨県の富士吉田にも、軍需工場があった。工場の跡地に、空襲の犠牲者の慰霊碑があるというので、足を運んでみた。 武蔵航空吉田工場(武蔵航空株式…

英国輸入の大阪鉄道6号蒸気機関車(明24・西武鉄道3号・昭和鉄道高校)と池袋散策
池袋はなにげに鉄道にゆかりのある街。黎明期の鉄道を軸に、ちょっと散策してみた。 昭和鉄道高等学校に保存されている明治期の蒸気機関車。 西武鉄…

英国輸入の鉄道院403号蒸気機関車(明19・西武鉄道4号・芝浦工大付属中学高校)
豊洲にある芝浦工業大学付属中学高等学校100周年記念事業として、西武鉄道から寄贈を受けた「旧鉄道院403号蒸気機関車」が、2022年11月に…

旧九段会館(軍人会館)から生まれ変わった「九段会館テラス」
昭和9年(1934)に竣工した「軍人会館」は、戦後に「九段会館」と名称を変更して存続していたが、東日本大震災の影響などもあり、平成23年(2…

良長院の海軍慰霊碑(横須賀鎮守府海軍建築部請負と横須賀鎮守府所属看護科員)
横須賀中央駅と、汐入駅の中間、聖ヨゼフ病院の近くにある良長院に、海軍関連の2つの慰霊碑がある。 横須賀海軍建築部請負工事殉職者弔魂碑 横須賀…

「米ヶ濱砲台跡地」(横須賀平和中央公園)と「横須賀市自然・人文博物館」
米ヶ濱砲台のあった「中央公園」が2021年に「平和中央公園」へと再整備されたという話を聞いたので、足を運んでみました。 平和中央公園 明治時…

「日本の近代の幕開け」ペリー上陸記念碑と浦賀奉行所跡(浦賀・久里浜)
日本の近代は、ペリー率いる黒船来航とともに幕を開けたといっても過言はない。すなわち、いわゆる「幕末」は、嘉永6年(1853)の浦賀への黒船来…

「駆逐艦のふるさと」浦賀ドック跡地(浦賀船渠第1号ドック)
横須賀の浦賀。ここに幾多の駆逐艦を生み出した造船所があった。「浦賀船渠」「西の藤永田、東の浦賀」と称された、大日本帝国海軍のふるさとである「…

浦賀ドックのきっかけとなった「中島三郎助招魂碑」と横須賀最古の公園「浦賀園」(愛宕山公園)
「浦賀ドック」の浦賀船渠が創立したきっかけが、浦賀奉行所の与力であった中島三郎助。その慰霊碑がある愛宕山に行ってみる。 愛宕山公園 横須賀で…

記念碑の台座となった「旅順口閉塞船弥彦丸の閉塞石」(久里浜・若宮神社)
久里浜の神社に、日露戦争の旅順港閉塞船に積まれていた石が使用されているというので、足を運んでみた。 旅順口閉塞船弥彦丸の閉塞石 昭和10年の…

「陸軍桟橋」と「浦賀港引揚記念の碑」海外引揚者が第一歩を踏みしめた港(浦賀)
昭和20年8月15日の終戦を海外で迎えた邦人(日本人)は、軍人と民間人をあわせて約660万人以上に及んでいた。戦後、日本各地の引揚者指定港で…

「台湾ウイスキー・山豬迷路」日本統治下時代の台湾の酒造伝承
先日、「台湾ウイスキー」を、懇意にしている「とある台湾メーカー」からいただきました。covid-19の影響で、往来に制限があった日台両国でし…

「国際観艦式2022フリートウィーク」艦艇一般公開(東京)
2022年11月12日。国際観艦式2022に際して、艦艇の一般公開がありました。東京国際クルーズターミナルで開催された海上自衛隊艦艇の一般公…

「国際観艦式2022フリートウィーク」艦艇一般公開(船橋)
2022年11月5日。国際観艦式2022に際して、艦艇の一般公開がありました。千葉の船橋で開催された海上自衛隊艦艇の一般公開の模様を、写真多…

「国際観艦式2022フリートウィーク」艦艇一般公開(横浜)
2022年11月3日。国際観艦式2022に際して、艦艇の一般公開がありました。横浜の3埠頭で開催された海上自衛隊艦艇の一般公開の模様を、写真…

米海軍横須賀基地フレンドシップデー2022
2022年10月16日、3年ぶりに開催された、米軍横須賀基地のフレンドシップデー。足を運んでみたので、写真中心に記事を掲載。 旧横須賀海軍病…

戦後国産機リスタート2「新立川飛行機」と「立飛R-53型軽飛行機」(立川立飛)
戦後日本の航空産業は、時(とき)を止めていた。そして終戦から7年後に、国産機の復活の口火を切ったのが「新立川飛行機」であった。 本記事は、2…

立川飛行機「一式双発高等練習機・キ54」(立飛ホールディングス最後の一般公開)
立川市の立飛ホールディングスで、昨年に引き続いて、2022年10月27日(木)から30日(日)まで、「一式双発高等練習機」が一般公開されまし…

「第一騎兵旅団兵舎」解体前の最後の一般公開(習志野・東邦大学)
騎兵の街・習志野。日本陸軍第一騎兵旅団の下に編成された騎兵第十三聯隊および同第十四聯隊が使用していた建物が東邦大学構内に残っていた。東邦大学…

茂原海軍航空基地跡散策・その2「引込線跡と地下壕跡」
千葉県茂原市。掩体壕が残る街。そんな掩体壕群は「その1」で記載しました。 「その2」では、掩体壕以外の「茂原の戦跡」をまとめます。 位置関係…

茂原海軍航空基地跡散策・その1「茂原掩体壕群」
千葉県茂原市。掩体壕が残る街。それも10基もの掩体壕が今も残っている。これだけ残っているのは、全国屈指レベル。まさに掩体壕群と呼称するにふさ…

「軍都・平塚」海軍火薬廠の跡地散策・その2
平塚市は、海軍火薬廠や海軍工廠科学実験部、そして関連する軍需工場などが集中する一大軍事拠点、「軍都・平塚」であった。そんな平塚の街をざっと散…

「軍都・平塚」海軍火薬廠の跡地散策・その1
平塚市は、海軍火薬廠や海軍工廠科学実験部、そして関連する軍需工場などが集中する一大軍事拠点、「軍都・平塚」であった。そんな平塚の街をざっと散…

水戸陸軍墓地跡と水戸歩兵第二聯隊跡地の散策
水戸市内の戦跡散策。水戸市内には、「水戸歩兵第二聯隊」が駐留していた。 以前に、水戸歩兵第二聯隊には触れており、今回はその際に散策しきれなか…

「水戸陸軍飛行場跡(水戸東飛行場跡)」水戸つばさの塔(ひたちなか市)
茨城県ひたちなか市。 戦前、水戸の周辺には3つの陸軍飛行場があった。水戸飛行場(水戸東飛行場)水戸南飛行場(吉田飛行場)水戸北飛行場(水戸北…

JR根府川駅に残る機銃掃射弾痕(小田原市)
昭和20年。小田原周辺は度々の空襲に見舞われていた。 小田原地方の空襲 界隈では、二宮駅が8月5日にアメリカ軍戦闘機P‐51の機銃掃射を受け…

日本初の常設サーキット「多摩川スピードウェイ」部分移設で保存となった観客席(取り壊し後)
2021年末、多摩川河川敷に開設された日本初の常設サーキット「多摩川スピードウェイ」観客席跡が取り壊しとなった。 当初は、全面的な解体が予定…

小名浜港の礎となった駆逐艦汐風と澤風「軍艦防波堤(沈船防波堤)」(福島県いわき市)
福島県いわき市小名浜。福島県下では最大の港湾。この港町の埠頭に、旧帝国海軍の駆逐艦が眠っているというので、足を運んでみました。 艦影が分かる…

「勿来の風船爆弾打ち上げ基地」跡地散策(福島県いわき市)
東京と仙台の中間地点にある「勿来」。古来、この地には「勿来の関」が設置され、白河の関と並んで、関東と東北の境目であった。太平洋戦争中、ちょう…

「熊谷陸軍飛行学校桶川分教場(陸軍桶川飛行学校)」跡地散策・4
桶川にあった陸軍桶川飛行学校の跡地散策。本記事は、「その4」です。 「その1」から順を追って見ていただければ、幸いです。 埼玉県桶川市、そし…

「熊谷陸軍飛行学校桶川分教場(陸軍桶川飛行学校)」跡地散策・3
桶川にあった陸軍桶川飛行学校の跡地散策。本記事は、「その3」です。 「その1」から順を追って見ていただければ、幸いです。 ここでは、おもに展…

「熊谷陸軍飛行学校桶川分教場(陸軍桶川飛行学校)」跡地散策・2
桶川にあった陸軍桶川飛行学校の跡地散策。本記事は、「その2」です。 「その1」から順を追って見ていただければ、幸いです。 桶川飛行学校平和祈…

「熊谷陸軍飛行学校桶川分教場(陸軍桶川飛行学校)」跡地散策・1
桶川にあった陸軍桶川飛行学校は、戦後は市営住宅として活用されていたが、木造建築であったために老朽と廃墟化が進んでいた。その後、私が戦跡に興味…

厚木海軍飛行場の戦跡散策(米海軍厚木航空施設)
2022年8月20日(土曜日)、3年ぶりに米海軍厚木航空施設にて、「盆踊り(BONODORI)」が実施され、一般公開が行われた。せっかくでし…

「陸軍重砲兵学校」跡地散策・その2(横須賀)
馬掘小学校・中学校の東の坂道を進む。馬掘自然教育園へ向かう。往時から残る道。 本記事はその2となります。その1はこちらから。 境界塀 馬掘中…

「陸軍重砲兵学校」跡地散策・その1(横須賀)
横須賀の防衛大学校の手前、馬掘小中学校や馬掘自然教育園のあるエリアは、かつて陸軍の重砲兵学校があった場所。昭和40年代に海岸線を埋め立てる前…

旧長井駅舎(解体済)と長井の近代建築散策(山形県長井市)
以前の出張で、山形県長井市に脚を運んでいた際に、記録していた写真を掲載します。撮影は2018年。偶然にも旧長井駅の解体前の思い出の記録にもな…

鉄道第一聯隊炊事棟跡(解体予定・千葉市中央区椿森)
千葉県千葉市中央区椿森。鉄道第一聯隊がこの地に展開されていた。 位置関係 国土地理院航空写真地図・空中写真閲覧サービスファイル:USA-M5…

貴重な明治期の煉瓦建築「鉄道聯隊材料廠」(千葉経済大学)
千葉県内に残る鉄道連隊の戦跡。千葉や習志野、津田沼界隈に多く残っている。当サイト内でもいくつか掲載をしてきていた。 今回は、千葉経済大学の構…

適塾の流れをくむ「浪華仮病院跡(大阪仮病院跡)」(大阪大学医学部の前身)
大阪の医学は、「適塾」から始まった。もっとも「適塾」と言ってしまうと、日本の医学にも多大な影響を残しており、大坂だけの話ではなくなってしまう…

戦後国産機リスタート「新立川飛行機」と「立飛R-HM型軽飛行機」(立川立飛)
戦後日本の航空産業は、時(とき)を止めていた。そして終戦から7年後に、国産機の復活の口火を切ったのが「新立川飛行機」であった。 新立川飛行機…

戦前日本第四位の航空機メーカー「立川飛行機」の跡地散策(立川立飛)
戦前日本の航空機メーカーのトップスリーは、中島・三菱・川崎。この大手三社に続く四番手が「立川飛行機」。戦後、航空機産業の道は閉ざされ、航空機…

「森之宮団地の大阪砲兵工廠跡」と「鵲森宮の機銃掃射弾痕跡」(大阪)
大阪城の東を走る大坂環状線。そのさらに東側に大阪メトロ森之宮検車場や森之宮小学校、大坂公立大学森ノ宮キャンパスや、UR森之宮団地がある場所、…

機銃掃射弾痕が残る黒門町架道橋(JR大阪環状線玉造駅)
JR大阪環状線玉造駅のすぐ隣の鉄橋。ここに無数の穴が開いている。この無数の穴は、機銃掃射の弾痕、という。 中央の柱に残る、強烈な痕跡。H鋼の…

「為萬世開太平」終戦内閣総理大臣・鈴木貫太郎の関連史跡2(晩年の地・千葉県野田市関宿町)
千葉県野田市関宿町。この地に、鈴木貫太郎記念館がある。関宿町は、鈴木貫太郎が幼年期と最晩年を過ごした土地。前々から気に掛かる場所でした。 実…

「為萬世開太平」終戦内閣総理大臣・鈴木貫太郎の関連史跡1(誕生の地・大阪府堺市)
鈴木貫太郎。日本の戦争を終わらせた総理大臣。 実は先日に、関西に出張がありました。どこかに寄れないかな、と地図を見ていたら見つけたのが、「鈴…

晩年を横須賀で過ごした坂本龍馬の妻・お龍(おりょうさんの胸像とお墓)
坂本龍馬の妻「おりょう」は、晩年を横須賀で過ごしていた。横須賀に胸像とお墓があるので足を運んでみた。 坂本龍馬の海援隊は日本海軍のルーツの一…

多摩陸軍飛行場(横田基地)の格納庫
在日米空軍横田基地で「日米友好祭フレンドシップフェスティバル2022」が、5月21日22日にかけて、3年ぶりの開催された。 実は横田基地は初…

「旧・横須賀海仁会病院」(202207解体)「禁廷水の碑」と「旧・横須賀海軍共済病院」散策
横須賀海仁会病院の建屋が、いよいよ解体という話があったので、慌てて見学に行ってきました。 横須賀海仁会病院 海軍の下士官及びその家族の診療を…

日本の高さの出発点「霊岸島水位観測所」と一等水準点「交無号」
日本の国土の基点となっている場所がある。今回は「高さ」のスタート地点を散策。 国会議事堂前庭にある「日本水準原点」の標高は、霊岸島で水位を観…

「軍艦と愛国」日本の行進曲の父・瀬戸口藤吉の墓(横須賀)
瀬戸口藤吉。日本の行進曲の父。日本が世界に誇る名行進曲「軍艦」(軍艦行進曲・軍艦マーチ)を作曲した軍楽師。 その瀬戸口藤吉の墓が横須賀にある…

「八清住宅」陸軍航空工廠従業員の集団住宅地(昭島)
東中神駅の南側に「八清」と呼ばれる住宅街がある。地図を見てみると、円形のロータリーが住宅地の中に今も残っている。 八清の由来 八清の由来 日…

昭和飛行機工業東京製作所の跡地散策(昭島)
昭島市。昭和3年(1928年)に発足した昭和村を前身とする。立川陸軍飛行場の隣ということもあり、航空機関連の軍需工場が昭和村にも進出。そんな…

「初雁公園のラジオ塔と国旗掲揚台」(川越)
小江戸川越として著名な観光地。小江戸といえば近世的な見どころが多数ではあるが、近代目線でも見どころが豊富。実は、川越には、大きな空襲が無かっ…

「日本の航空事始め2」グラーデ単葉機と日野熊蔵(所沢航空発祥記念館と代々木公園)
以前に、「日本の航空事始め」として、アンリ・ファルマン機と徳川好敏に触れてました。今回は、「日本の航空事始め2」として、グラーデ単葉機と日野…

「桜咲く宮・靖國神社」~靖國櫻(令和4年)
令和四年。終戦から77年。今年も靖國神社の桜花を愛でる。 境内に献木された桜たち。一木一木に込められた戦友・ご遺族の皆様の想いが、花を咲かせ…

都内現存唯一のラジオ塔「聖蹟公園とラジオ塔」(品川)
戦前の日本。まだまだ一般家庭にラジオが普及していなかった時代。ラジオ普及を目的として、公共空間に設置された公衆ラジオ。ラジオ受信機を塔の内部…

3月10日・東京大空襲(あの日から77年)
令和4年(2022年)3月10日。 あの日から77年。 昭和20年(1945)3月10日午前0時過ぎ、爆撃が開始。 犠牲者10万人を超す規模…

二ヶ領用水久地円筒分水・昭和16年完成の円筒型自然分水装置(川崎・溝口)
武蔵溝ノ口駅・東急溝の口駅から北西に15分ほどの道のり。駅前に紹介の看板があったので予備知識無しで興味本位で足を運んでみた。結果として、なか…

溝口神社境内稲荷社・高津尋常高等小学校奉安殿(川崎・溝口)
溝口の鎮守、溝口神社の境内稲荷社は、かつての奉安殿であった。 奉安殿(御真影奉安殿) 奉安殿とは、戦前において天皇陛下皇后陛下の御真影(お写…

「お化け灯籠と陸軍東部62部隊」の戦跡散策(川崎・宮崎台)
東急田園都市線「宮崎台駅」。今でこそよくある住宅街のこの地に、かつて陸軍部隊が展開されていた。六本木で編成された東部62部隊(陸軍101聯隊…

「防空壕と溝口演習場」溝口の戦跡散策(川崎・溝口)
東急溝の口駅・JR武蔵溝ノ口駅前の防空壕 表記ゆれしているでややこしいが、東急溝の口駅・JR武蔵溝ノ口駅の南口ロータリー。その向かい側の台地…

殉職救護員之碑・日本赤十字社埼玉県支部(浦和)
浦和の調神社の隣の調公園の隣に、日本赤十字社埼玉県支部がある。その駐車場の片隅に、従軍看護婦を顕彰する慰霊碑がある。 殉職救護員之碑 日本赤…

「調公園のラジオ塔」浦和の戦跡・近代史跡散策
埼玉県さいたま市。浦和地区にある調公園。武蔵国の古社「調神社」の隣にある公園に、戦前の建造物や慰霊碑などがある。あわせて浦和地区(旧浦和市)…

「日本の近代化を支えた砂利鉄道」西武安比奈線廃線跡の散策・その2(川越)
埼玉県川越市。西武川越線「南大塚駅」から「安比奈駅」を結んでいた貨物線。日本の近代化を支えた砂利鉄道の跡を散策してみる。 本記事は、「その2…

「日本の近代化を支えた砂利鉄道」西武安比奈線廃線跡の散策・その1(川越)
埼玉県川越市。西武川越線「南大塚駅」から「安比奈駅」を結んでいた貨物線。日本の近代化を支えた砂利鉄道の跡を散策してみる。 「砂利鉄道」と「西…

「海軍無線電信所船橋送信所」と「無線電信所道」(船橋)
以前に記載した記事の内容が浅かったために、「海軍無線電信所船橋送信所」を中心に記事を再編集。再編集するに当たり、未掲載写真や新規取材分の写真…

「日本初の短波標準電波送信所」東京無線電信局検見川送信所跡(千葉)
検見川送信所。解体話も飛び交っていたが保存の声が高まり「保存する」というところまでは、話を聞いていた建物。その後の話題を聞くこともなく、そう…

海軍東京通信隊蟹ヶ谷分遣隊の耐強受信壕跡地散策(川崎)
川崎市高津区蟹ケ谷。「蟹ヶ谷」には鉄道駅はなく、武蔵小杉駅や溝の口駅、武蔵新城駅や綱島駅などからバスに乗り「蟹ヶ谷バス停」が最寄りとなる。「…

鉄道連隊演習線松戸線の散策4(津田沼~前原)
新京成電鉄は、陸軍の鉄道聯隊の演習線路をベースとしていた。日本陸軍解散後に、鉄道聯隊演習線は払い下げられ、京成電鉄は子会社としての新京成電鉄…

東京消防庁 高輪消防署 二本榎出張所(昭和8年・東京都選定歴史的建造物)
昭和8年(1933年)に建てられた二本榎出張所(旧高輪消防署)は、平成22年に「東京都選定歴史的建造物」に選定されている。建築様式としては、…

「日独友好の碑」ドイツ人名古屋俘虜収容所跡
愛知県立旭丘高等学校の塀沿いにある記念碑。愛知県立旭丘高等学校のある場所は、かつてドイツ人名古屋俘虜収容所の地であった。 ドイツ人俘虜 19…

座間・陸軍士官学校の戦跡散策3「陸軍士官学校の水道施設」
陸軍士官学校周辺の戦跡散策。その1は、富士山公園の「陸軍士官学校遙拝所方位盤」、その2は「座間公園」でした。 その3では、水道施設を見て歩き…

座間・陸軍士官学校の戦跡散策2「陸軍士官学校境界石と軍馬功労碑」
陸軍士官学校周辺の戦跡散策。その1は、富士山公園の「陸軍士官学校遙拝所方位盤」でした。 ここでは、「座間公園」界隈の散策を実施。 座間公園 …

座間・陸軍士官学校の戦跡散策1「陸軍士官学校遙拝所方位盤」
座間には、陸軍士官学校があった。陸軍士官学校の土地は、現在の「キャンプ座間」となっている。キャンプ座間にはそうそう立ち入りはできないが、周辺…

武蔵野陵に拝す(昭和天皇祭の儀・令和4年1月7日)
昭和64年(1989年)1月7日午前6時33分。 国民の祈りの中で、昭和の天皇陛下は御崩御あそばされた。 即日、皇太子明仁親王殿下が践祚され…

鉄道連隊演習線松戸線の散策3(鉄道連隊橋脚・鎌ヶ谷)
鉄道連隊の跡地散策。この日は、新京成線沿線から離れ、東武野田線(東武アーバンパークライン)の馬込沢駅から20分ほど歩いた場所にある、演習線の…

鉄道連隊演習線松戸線の散策2(新京成電鉄・常磐平駅~五香駅)
新京成電鉄は、陸軍の鉄道聯隊の演習線路をベースとしていた。日本陸軍解散後に、鉄道聯隊演習線は払い下げられ、京成電鉄は子会社としての新京成電鉄…

鉄道連隊演習線松戸線の散策1(新京成電鉄・八柱駅)
新京成電鉄は、陸軍の鉄道聯隊の演習線路をベースとしていた。日本陸軍解散後に、鉄道聯隊演習線は払い下げられ、京成電鉄は子会社としての新京成電鉄…

旧日立航空機立川工場変電所(補修完了後の再訪)
2017年に訪れた際は、1階のみの公開で、2階部分は非公開エリア、でした。2020年に改修工事が行われ、問題となっていた耐震補強や老朽化によ…

高座海軍工廠の地下壕と台湾少年工顕彰碑(芹沢公園・座間)
以前、高座海軍工廠跡地散策を行ったときに、芹沢公園にも脚を運んだのが2017年12月だった。その後に、様相が若干かわったとの噂を聞いたので、…

令和3年12月8日の靖國神社(太平洋戦争開戦80年)
令和3年12月8日、太平洋戦争開戦の日から80年の節目に。 御英霊に感謝と哀悼を。靖國神社に参拝をいたしました。 「はじまりの日」昭和16年…

「はじまりの日」昭和16年12月8日(太平洋戦争開戦80年)
80年前の節目を偲び、先人たちの生き様に想いを馳せる。 また、この日がやってくる。 はじまりの日。 大東亜戦争に散りし英霊たちに… 感謝を。…

巣鴨刑務所の排水口跡(移設保存)と池袋散策
池袋サンシャイン60の界隈には、「巣鴨監獄」(「巣鴨刑務所」「巣鴨拘置所」「巣鴨プリズン」)があった。 かつて、巣鴨刑務所があった台地の下、…

立川飛行機「一式双発高等練習機・キ54」(立飛ホールディングス一般公開)
立飛ホールディングスの前身、立川飛行機が制作した飛行機が、里帰りし、一般公開された。その様子を写真中心に以下に掲載。 写真多めですが、それだ…

さらにもう一つの「日本の鉄道発祥の地」品川駅
日本の鉄道は、教科書的に記載すると、1872年10月14日(明治5年9月12日) 新橋駅-横浜駅の開業に始まる。この10月14日は、今では、…

もう一つの「日本の鉄道発祥の地」初代横浜駅跡・JR桜木町駅
日本の鉄道は、明治5年(1872)に新橋駅ー横浜駅に開業したことに始まる。その初代横浜駅は、現在の桜木町駅界隈であった。 鉄道発祥の地として…

旧三ノ輪王電ビルディング(王電ビルヂング)
都電荒川線に乗る機会があったので、終点の三ノ輪橋駅(三ノ輪橋電停・三ノ輪橋停留場)まで脚を伸ばしてみた。 三ノ輪橋駅からまっすぐに歩くと、ビ…

「鉄道紀行文学の御三家」内田百閒・阿川弘之・宮脇俊三の墓
近代化とともに発展してきた鉄道。そんな鉄道を舞台とした旅物語を作家たちが綴り、そして鉄道紀行文学が確立された。 日本の近代を鉄道を介して旅し…

「45cm四四式二号魚雷」東雲寺に残る国産第1号魚雷(深谷)
埼玉県深谷市北部。利根川を渡る新上武大橋の近くにある寺院「東雲寺」に魚雷があるというので足を運んでみた。 実は、以前に訪問をしていた、神奈川…

帝国軍艦扶桑征清之役忠死紀念碑(新善光寺)
久保山墓地を散策していた際に、近くの寺院で砲弾を見つけました。日清戦争での扶桑乗員の慰霊碑。 扶桑(扶桑艦) 初代扶桑。姉妹艦はない。日本海…

「一死以て大罪を謝し奉る」陸軍大臣・阿南惟幾
終戦時の陸軍大臣・阿南惟幾。多磨霊園に墓所があり、三鷹に邸宅跡がある。関連する史跡などを徒然に記載していきたいと思う。 阿南 惟幾(あなみ …

「日本の飛行機王」東洋一の中島飛行機を創業した巨人・中島知久平
日本一にして東洋一の航空機メーカーが戦前の日本にはあった。「中島飛行機」その創業者が、日本の飛行機王と称せられた「中島知久平」であった。 中…

「帝国海軍きっての知性」最後の海軍大将・井上成美
井上成美海軍大将。日本帝国海軍史上、最後に海軍大将に昇進した軍人は二人いた。ひとりは、塚原二四三、そしてもうひとりが井上成美、であった。 井…

一式戦闘機「隼」のタイヤ(檜原村の手打ちそば「深山」)
これは2016年(平成28年)10月22日の撮影記録。 友人からお誘いがありまして、突然に唐突に東京多摩地区唯一の村「檜原村」へと赴くことに…

「インド独立運動の父」マハトマ・ガンジー像(杉並区)
杉並区立読書の森公園(杉並区立中央図書館の隣) 杉並区、杉並区日印交流協会、杉並区交流協会が交流を結んできたインドの慈善団体である「ガンジー…

元祖国民的キャラクター「のらくろ」田河水泡・のらくろ館(江東区森下文化センター)
のらくろ 戦前の少年たちに絶大な人気を誇った漫画があった。日本漫画界における国民的キャラクターの元祖、でもあった。 田河水泡 「のらくろ」 …

東京大空襲と下町(墨田区千歳、立川・江東区森下)
東京都墨田区と江東区。隅田川の東側。北に両国、南に深川がある、このエリアも、東京大空襲に際しては、大きな被害を被った地区であった。 江島杉山…

東京第一陸軍造兵廠第三製造所江戸川工場・精工舎南桜井工場の跡地散策(春日部)
埼玉県春日部市。東武野田線「南桜井駅」の北側は、かつて軍需工場であった。しかし、2021年の夏に、軍需工場時代を物語る門柱が撤去され、往時を…

ブルーインパルスと東京パラリンピック2020
2021年8月22日。東京パラリンピック2020の開会式予行のためにブルーインパルスが再び東京の空をフライトした。 前回、東京オリンピック2…

陸軍柏飛行場関連の戦跡散策(軍都柏・その7)
軍都柏の戦跡散策、その7。柏飛行場の名残を探しに。この日は、柏の葉キャンパス駅で自転車を借りて、飛行場を中心に自転車散策を敢行しました。 本…

無蓋掩体壕と柏飛行場の跡地散策(軍都柏・その6)
軍都柏の戦跡散策、その6。柏飛行場の名残を探しに。この日は、柏の葉キャンパス駅で自転車を借りて、飛行場を中心に自転車散策を敢行しました。 位…

ロケット戦闘機「秋水」地下燃料貯蔵庫の跡地散策(軍都柏・その5)
軍都柏の戦跡散策、その5。柏飛行場の東側に展開していた「地下燃料貯蔵庫」の名残を探しに。この日は、柏の葉キャンパス駅で自転車を借りて、飛行場…

高射砲第二聯隊の跡地散策(軍都柏・その2)
北柏駅から徒歩15分ほど北に歩いた場所に、往時の建物などが残っていた。 2009年(平成21年)に、「柏市消防局西部消防署根戸分署」が建物と…

ブルーインパルスと東京オリンピック2020
2021年7月23日。東京オリンピック2020(TOKYO2020) 昭和39年(1964)昭和の東京五輪(東京オリンピック)開会式にて、航…

東京大空襲を耐えた「元江戸川区役所文書庫」
東京東部、江戸川と荒川に挟まれた河口部に「江戸川区」がある。そんな江戸川区の中でも、いちばんの西部寄り=江東区・墨田区寄り・旧中川の近くの平…

「造船の父と造船の神様」赤松則良墓と平賀譲墓
日本海軍の軍艦造船において、「造船の父」と呼ばれた男と、「造船の神」と呼ばれた男がいた。そんな二人の墓参りをしてみた。 「日本造船の父」(日…

日本初の田園都市・田園調布の玄関口「旧田園調布駅舎」
「田園調布」日本を代表する高級住宅街は、渋沢栄一の理想とした田園都市でもあった。 田園調布 田園調布は、1918年(大正7年)に渋沢栄一らに…

もう一つの東京大空襲「山の手大空襲」表参道の戦跡散策
若者たちが集う街、表参道。表参道の交差点には1対の石灯籠があり、そこから明治神宮にかけてケヤキ並木となっている。明治神宮とともに整備された参…

陸軍糧秣廠本所倉庫跡と千種稲荷神社(錦糸公園)
錦糸町駅前の「錦糸公園」は、かつて陸軍の倉庫であり、空襲犠牲者の仮埋葬地であった。 錦糸公園 墨田区立錦糸公園は、大正12年(1923年)に…

「日本初の常設サーキット」多摩川スピードウェイ跡地(取り壊し前)
かつて多摩川の河川敷に「サーキット場」があった。場所は、東急東横線多摩川橋梁の隣、多摩川駅と下丸子駅の間の川崎側。堤防に観客席跡などが今も残…

「救援のために水を運ぶ婦人の像」(日本赤十字看護大学広尾キャンパス)
東京都渋谷区。日本赤十字看護大学広尾キャンパス前庭。 赤十字社と戦争は切っても切れない関係がある。日本において、赤十字社は、1877年(明治…

新河岸川橋梁に残る弾痕修復の名残?(北区)
鉄道と軍隊は、切っても切れない重要な関係にあった。そのため日本の動脈である鉄道は、戦時中は幾多の危険を伴っていた。 新河岸川に架かる「新河岸…

「帝都の門・永代橋」と「震災復興の華・清洲橋」
隅田川の下流にかかる2つの橋。「永代橋」と「清洲橋」。関東大震災で壊滅した下町復興のために架橋された、2つのシンボルブリッジであった。 永代…

海軍技術研究所と陸軍目黒火薬製造所跡(目黒区)
JR恵比寿駅と東急中目黒駅、目黒川のほど近くには、かつて陸軍火薬製造所、そして海軍技術研究所があった。 陸軍目黒火薬製造所 幕末に江戸幕府は…

静大浜松キャンパス周辺の陸軍戦跡散策【浜松4】
静岡大学浜松キャンパスは、かつて、陸軍の兵営地であった。わずかに残る当時の痕跡を巡ってみたいと思う。 静岡大学浜松キャンパスに展開していた陸…

「日本初の零戦復元機」零式艦上戦闘機52型甲(空自浜松広報館エアパーク)【浜松2】
航空自衛隊の広報施設である浜松広報館「エアパーク」。ここには空自の退役機に混じって、零戦が展示されている。 零式艦上戦闘機五二型甲 A6M5…

「怨親平等の観音様」松井石根大将と興亜観音・殉国七士之碑(熱海)
静岡県熱海市伊豆山。太平洋を望む風光明媚な伊豆山鳴沢山の中腹。 陸軍大将 松井岩根が願主となって支那事変戦歿者を「怨親平等」わけへだてなしに…

「河野壽大尉自決の地」二・二六事件と熱海陸軍病院跡
昭和11年(1936)2月26日。後の世に言う「2・26事件」。東京以外では唯一、湯河原・熱海でも事件があった。 2・26事件と河野壽大尉 …

傷ついた兵士の療養所「傷痍軍人箱根療養所」(箱根病院・小田原)
箱根登山鉄道「風祭駅」。かまぼこの鈴廣の本店や土産物店、鈴廣かまぼこ博物館などで賑わう駅前とは反対側の山の方に、「箱熱病院」がある。この病院…

瓜生外吉海軍大将之像と瓜生外吉墓(小田原と南青山)
小田原に、海軍大将 瓜生外吉 が晩年に隠棲した邸宅があった。 瓜生外吉(うりゅう そときち) 安政4年1月2日(1857年1月27日) &#…

「ガラスのうさぎ像」二宮駅に残る機銃掃射弾痕(二宮町)
JR二宮駅南口のロータリーに「少女の像」が立っている。ガラスのうさぎを手にした、少女の像は、戦争にまつわるエピソードがあった。 ガラスのうさ…

「計画に無かった最後の空襲」小田原空襲の戦跡散策
小田原地区は大規模な絨毯爆撃こそ受けることはなかったが、小規模な空襲は数度あった。そして関東地方を空襲した米軍機の帰路にあたるために、たびた…

潮音寺の平和観音・特設自動車隊第23中隊(小田原)
小田急足柄駅の近くに鎮座している「潮音寺」。ここに平和観音があるというので足を運んでみた。 平和観音 平和観音比島派遣軍特設自動車隊第二十三…

「陸軍中佐上原重雄戦死の地碑」と「疾風のプロペラ」(小田原)
小田原市沼代。その山中の道路の傍らに、この地で戦死された搭乗員の慰霊碑があった。 上原重雄 鹿児島出身。陸士第52期卒業。スマトラ島のパレン…

「45cm四四式二号魚雷」神山神社に残る国産初の魚雷(小田原)
小田原駅から北西に約2キロの地に鎮座している神社に「魚雷」があると聞き、足を運んでみた。なんでも地元では「久野の爆弾神社」といわれているらし…

英連邦兵士たちが眠る日本唯一の墓苑「英連邦戦死者墓地」(横浜)
神奈川県横浜市保土ケ谷区。この地に、イギリス連邦諸国の戦死者専用墓地がある。日本の中のイギリス。足を運んでみました。 アクセスはバスで。保土…

「八面九体地蔵」空襲犠牲者供養の地蔵(板橋区)
東京都板橋区大山金井町16-8。東武東上線大山駅徒歩8分。 大山の住宅地の交差点に、お地蔵様が建立されていた。「八面九体地蔵」文字通りに、八…

「現存最古の地下鉄駅直結の民間建造物」明治屋京橋ビル
明治屋京橋ビル 東京都中央区京橋の「明治屋京橋ビル」昭和8年(1933)建設。ルネサンス様式の優美な姿が特徴的。設計者は曾禰中條建築事務所(…

兵部大輔大村益次郎卿殉難報國之碑と埋腿骨之地(大阪)
大阪市中央区法円坂の国立病院機構大阪医療センター近くの上町交差点。ひときわに大きな石碑がある。当時、この地にあった鈴木町の大阪府医学校病院(…

大阪大空襲 京橋駅爆撃被災者慰霊碑(大阪京橋)
1945年8月14日、約150機のB29による大阪空襲にて、国鉄京橋駅では甚大な被害が発生した。そのため「京橋空襲」とも呼称されている。 往…

「駆逐艦のふるさと」藤永田造船所跡地(大阪)
大阪市内にあった民間の造船所。日本最古の造船所とも言われ、また多くの駆逐艦を製造し、「西の藤永田、東の浦賀」とも称されていた。 そんな、大日…

「御所トンネル」と「青山練兵場停車場跡」
東京都下を東西に結ぶ中央線。その中央線の中でも最古のトンネルが「御所トンネル(旧御所トンネル)」。このトンネルの建設には陸軍も関与しておりま…

海軍大和田通信隊跡地散策(新座市・清瀬市・東久留米市)
埼玉県新座市西堀、東京都清瀬市清戸、東久留米市上の原にかけて、かつて大日本帝国海軍の通信施設があった。内陸県・海なし県「埼玉」にある、貴重な…

大本営地下壕と市ヶ谷記念館(防衛省・市ヶ谷台ツアー)
市ヶ谷台ツアーに参加してきました。「大本営地下壕跡」を中心に掲載していきます。 以前に「市ヶ谷ツアー」に参加したときとは、コースも大きく変更…

B29搭乗員慰霊碑とB29エンジン(青梅)
青梅市の山中にB29が墜落したのは、昭和20(1945)年4月2日未明のことであった。その墜落現場の山中に、B29搭乗員の慰霊碑が建立されて…

日本初の機械式煉瓦工場「日本煉瓦製造上敷免工場」と専用鉄道線跡【渋沢栄一6】
明治政府は急速な近代化整備を行うにあたり良質な煉瓦を必要としており、大量生産可能な煉瓦工場を必要としていた。煉瓦需要を受けた渋沢栄一らによっ…

「日本最初の銀行」渋沢栄一と兜町【渋沢栄一4】
兜町には、渋沢栄一が設立した「日本最初の銀行」、そして渋沢栄一が発起人を努めた「日本最初の証券」、そして隣の茅場町には同じく渋沢栄一が関係し…

「日本の福祉・医療の原点」養育院と渋沢栄一【渋沢栄一2】
渋沢栄一銅像 板橋区登録有形文化財渋沢栄一銅像 初代養育院院長として渋沢栄一は50年以上養育院に関与し、他の職を辞することはあっても、養育院…

晩香廬と青淵文庫(渋沢栄一旧邸・曖依村荘跡)【渋沢栄一1】
2024年度発行予定の1万円新紙幣の顔、そして2021年の大河ドラマの主人公でもある渋沢栄一の邸宅は飛鳥山にあった。 渋沢栄一 日本近代経済…

元加賀公園と川南公園(震災復興公園・江東区)
大正12年(1923)の関東大震災ののち、帝都復興院総裁となった後藤新平が中心となって、地震発生時の防火帯設置を目的とした公園の確保が重要視…

陸軍航空士官学校狭山飛行場跡(陸軍狭山飛行場跡)
埼玉県入間市。入間市で有名なのが「狭山茶」、隣の狭山市にあるのが「入間基地」。入間と狭山は地名が交差していてややこしい。 この地にあった飛行…

「国産第1号の鉄橋・都内最古の鉄橋」旧弾正橋(八幡橋)
富岡八幡宮の東側、かつて八幡堀川という川に架かっていた「八幡橋」。もともとは中央区宝町付近の楓川に架かっていた「弾正橋」という橋であった。 …

東京第二陸軍造兵廠板橋製造所跡地散策(その2)
東京第二陸軍造兵廠板橋製造所の跡地を散策。 加賀公園・野口研究所跡地・理化学研究所板橋分所跡地・愛誠病院エリアなどは「その1」にて。 「その…

東京第二陸軍造兵廠板橋製造所跡地散策(その1)
十条の造兵廠は掲載しておりましたが、板橋の造兵廠は未掲載でした。板橋の二造は公園整備が行われることも決まり、そのために記録が鈍化していたとい…

「京浜工業地帯の父」浅野財閥・浅野総一郎像と墓
たまたま清洲橋の近くで浅野総一郎銅像を見つけたということもあり、浅野総一郎のことを調べていたら、鶴見の大本山総持寺に墓もあるとのことなので、…

「日本建築史のパイオニア」伊東忠太作品と伊東忠太墓
日本の近代建築を巡っていると、知らず知らずに出会っているのが「伊東忠太」が手掛けた建造物。日本近代建築において、欠かすことができない人物。そ…

「七転八起のダルマ蔵相」高橋是清像と関連史跡
総理大臣を1度、そして大蔵大臣を6度も勤め、近代日本きっての財政家として、「ダルマさん」として、親しまれた高橋是清にまつわる史跡などを散策し…

「北千島開拓の先駆者」郡司成忠大尉の墓と言問団子桟橋
隅田公園の北側、言問団子の近く。海軍大尉で冒険家であった郡司成忠のゆかりの地。郡司成忠の冒険は隅田川から始まったのだ。 郡司成忠(ぐんじ し…

「敵兵救助の武士道」雷艦長・工藤俊作中佐の墓
埼玉県川口市。川口市朝日にある真言宗智山派寺院薬林寺に海軍中佐・工藤俊作の墓がある。 工藤俊作 工藤俊作。最終階級は海軍中佐。1901年(明…

「最後の将軍と幕末の三舟」徳川慶喜墓と三舟墓
先日、勝海舟にまつわる史跡を巡り、勝海舟墓に参拝したら、ふと幕末三舟の残りの二人、山岡鉄舟と高橋泥舟の墓はどこにあるか気になって探してみたと…

「最後の幕臣から明治最良の官僚へ」榎本武揚像と榎本武揚墓
都内で、榎本武揚にまつわる史跡などを散策してみました。 榎本武揚 1836年10月5日〈天保7年8月25日〉 – 1908年〈明…

中島航空金属と武蔵野鉄道引込線跡の戦跡散策(東久留米・西東京)
西武線の東久留米駅から西東京方面に向けて、かつて貨物線路が引かれていた。中島飛行機関連の工場に向けての貨物線であった。 中島飛行機田無試運転…

「日本毛織物工業の父」井上省三と千住製絨所(荒川区)
東京都荒川区。南千住にかつて被服製造の官営工場があった。近代化を推し進める明治新政府にとって、軍服や制服といった洋装は輸入に頼っており、その…

東京第一陸軍造兵廠川越製造所跡地散策(上福岡)
埼玉県ふじみ野市。最寄り駅は東武東上線上福岡駅。上福岡駅から東の方向に、当時は陸軍の工場(軍需工場)があった。「陸軍造兵廠福岡工場」、のちの…

東京第一陸軍造兵廠跡地散策・その3(十条編)
東京第一陸軍造兵廠跡地をめぐる散策。ここでは北部の十条地区を巡ってみたいと思います。工廠神社として祀られていた「四本木稲荷神社」や南部の「滝…

東京第一陸軍造兵廠跡地散策・その2(滝野川・王子編)
※撮影は2016年~2020年 東京第一陸軍造兵廠跡地をめぐる散策。ここでは南側の「滝野川・王子地区」を巡ってみたいと思います。工廠神社とし…

東京第一陸軍造兵廠跡地散策・その1(四本木稲荷神社)
東京都北区は軍都であった。 赤羽には「工兵隊」(近衛工兵大隊・第1師団第一工兵大隊)、西が丘には「兵器補給廠」と「射撃場」、そして南の十条及…

少年航空兵像と所沢陸軍整備学校(所沢航空記念公園)
明治44年(1911年)、日本初の飛行場として、所沢飛行場が開設。以来、昭和20年(1945年)の終戦に至るまで、日本の航空発展の歴史は、所…

日本初の航空犠牲者・木村中尉と徳田中尉(所沢)
日本初の飛行場、航空発祥の地「所沢」航空事故も所沢が日本初であった・・・。 東京青山練兵場から所沢飛行場に向けてのフライトで、所沢飛行場を目…

「日本の航空事始め」アンリ・ファルマン機と徳川好敏(所沢航空発祥記念館と代々木公園)
所沢航空発祥記念館に展示されている「アンリ・ファルマン機」。日本で初めての動力飛行を行った飛行機。徳川好敏とともに初フライトを行ったアンリ・…

長慶寺稲荷社・池雪国民学校奉安殿(大田区)
大田区東雪ヶ谷鎮座。 長慶寺境内・朝日稲荷社(池雪国民学校奉安殿) 昭和15年築の旧池雪尋常小学校奉安殿(旧池雪国民学校奉安殿)という。池雪…

清水稲荷神社・鷹番国民学校奉安殿(目黒区)
目黒区に鎮座するお稲荷様は、なんとなく変わった御社殿。 戦前に「御真影( 天皇陛下と 皇后陛下のお写真)」と「教育勅語(勅語謄本)」を納めて…

ドーリットル空襲と東京初空襲の地(荒川区)
都電荒川線「熊野前停留場」、日暮里舎人ライナー「熊野前駅」より北側、隅田川の方に向かって5分ほど歩く。熊野前保育園の壁に沿って案内板が立って…

「明治の工業の父」近代硝子工業発祥之地と西村勝三墓
品川の東海寺大山墓地の入口にある史跡。「史蹟 官営品川硝子製作所跡」「近代硝子工業発祥之地」 日本の近代ガラス工業は、この品川からはじまった…

汎太平洋の鐘と南洋群島平和慰霊像(源覚寺)
東京都文京区小石川源覚寺 「こんにゃくえんま」(こんにゃく閻魔・蒟蒻閻魔・身代わり閻魔)で知られる小石川の「源覚寺」に、サイパンゆかりの釣鐘…

陸軍航空士官学校高萩飛行場跡(陸軍高萩飛行場跡)
埼玉県坂戸市及び日高市 東武越生線・一本松駅及び西大家駅 JR川越線・武蔵高萩駅 陸軍高萩飛行場(陸軍航空士官学校高萩分教場) 高萩飛行場は…

旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿(久伊豆神社境内社)
埼玉県越谷市 久伊豆神社境内社 旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿 旧官幣大社南洋神社鎮座跡地 遥拝殿(きゅうかんぺいたいしゃなんようじんじゃ…

日本海軍大東亜戦争戦没者殉国者慰霊碑(龍口寺)
令和元年(2019年)11月撮影 神奈川県藤沢市片瀬鎮座の龍口寺。日蓮が処刑されそうになった地。 ちょうど江ノ島の入口に位置しており、門前に…

陸軍航空士官学校坂戸飛行場跡(陸軍坂戸飛行場跡)
東武東上線「若葉駅」のすぐ北側のエリアにかつて飛行場があった。 もっとも飛行場があった戦前には、まだ若葉駅は開業前(若葉駅は昭和54年開業)…

振武臺記念館(陸軍士官学校皇族舎)
陸上自衛隊朝霞駐屯地陸上自衛隊広報センター(りっくんランド) とある冬の日に行ってきました。 振武臺記念館 戦前、ここ朝霞の地に旧陸軍の予科…

立川駐屯地の戦跡散策(立川防災航空祭)
令和元年11月9日 立川駐屯地の一般公開に合わせて見学をしてきました。旧軍や戦跡に関することを中心に記載を。 立川の戦跡としては、以下も参照…

ナッチャンWorld(防衛省傭船・特設双胴高速輸送船)
平成30年5月、横須賀久里浜港にて撮影。 ナッチャンWorld ウォータージェット推進機搭載高速フェリー船型 波浪貫通型双胴高速船(アルミ軽…

陸軍登戸研究所跡散策(明治大学生田キャンパス)
令和元年9月散策 神奈川県川崎市多摩区生田の丘の上に。現在の明治大学生田キャンパスはかつて大日本帝国陸軍の研究所であった。 登戸研究所(第九…

靖國神社御創立百五十年記念大祭(令和元年)
令和元年10月20日参列 靖國神社は明治2年(1869年)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社にはじまる。 そして令和元年…

「ペルリ提督の像」と「遣米使節記念碑」(芝公園)
令和元年9月撮影 増上寺の向かいの芝公園に。 ペルリ提督の像 マシュー・ペリーの頭像。Matthew Calbraith Perry(179…

殉職救護員慰霊碑と看護婦立像(日本赤十字社)
令和元年9月撮影 港区芝大門の日本赤十字社本社前庭に。 慰霊碑には明治27年の日清戦争から第二次世界大戦において戦時救護に服し、殉職した13…