平成28年9月(北浦)
目次
北浦
今回の舞台は北浦湖畔。目印は潮来マリーナ。 航空写真で見てもだいたい分かる感じに「水上機用スロープ」が残ってます。
アクセス方法
潮来駅-延方駅-鹿島大野駅を結ぶ広域連携路線バス。
バス停「大生原公民館前」下車。
ここより、北浦湖畔「潮来マリーナ」方面に向けて 北に歩いてみる。
北浦海軍航空隊
その活動期間は極めて短い。
昭和16年(1941)10月、鹿島海軍航空隊北浦分遣隊が設置。
昭和17年4月、北浦海軍航空隊として独立開隊。水上機訓練部隊となる。
昭和20年5月5日、訓練部隊解隊。
北浦航空基地となり訓練部隊の機能を失う。
位置関係
皇太子明仁殿下御行啓記念碑
北浦海軍航空隊跡地
第二十九期飛予科練卒
元海軍航空隊員 大谷英助書
昭和19年(1944)05月に、 皇太子殿下が北浦海軍航空隊を御見学された際の御行啓記念碑。
皇太子明仁殿下御行啓記念碑
碑文裏面
昭和十六年十月霞ヶ浦海軍航空隊北浦分遣隊が大生釜谷両地の水田約五十町歩を買収し七戸の農家を移転させて航空隊建設に着工し完成致しました。
昭和十七年四月北浦海軍航空隊として開隊し水上飛行機訓練場として若鷲予科練の若人育成に大きな役割を果たしました。
昭和十九年五月三日、四日、皇太子殿下には学習院初等科第五学年で学友五十五名と共に当海軍航空隊を御訪問飛行訓練など御見学なされ御宿泊になりました。
当時私達大生原国民学校生徒全員が御観送迎の行事に参加出来ましたことは誠に意義深いものと考えここに皇太子殿下御行啓の地と記し北浦海軍航空隊跡地として後世に伝えるため記念碑を建立します。
平成三年十二月二十三日
碑文 委員長
霞ヶ浦周辺の海軍航空部隊の交通整理。
海軍航空隊の教育部隊(予科練)として。
霞ヶ浦海軍航空隊(教育部隊・予科練)
↓
鹿島空(水上機部隊独立)→「北浦空」(鹿島空分遣から独立)
谷田部空(霞空補助)
土浦空(霞空から予科練を引受)
皇太子明仁殿下御行啓記念碑の地から北上して、潮来マリーナ界隈へ。北浦の湖畔へ。
「当該コンクリート部分は、国有財産です。」
はい、そのコンクリートを見に来ました・・・。
北浦海軍航空隊
水上機スロープ跡
このなだらかなコンクリート斜面が北浦海軍航空隊の水上機スロープ跡。
滑走台。
水上機を台車に載せ、コンクリートエプロンから機体の出し入れをしたという。
水上機スロープ跡。
この北浦の湖畔にフロートで浮かぶ水上機が幾多も離水し飛び立って行ったんだなあ、と往時を偲ぶ。
知らなければそれまでの場所。
コンクリートと湖面は静かに往時の歴史を物語っていた…
潮来マリーナの片隅に慰霊碑がある。
北浦航空隊物故者水難者慰霊塔
碑文
貴様と俺とは
同期の桜
同じ航空隊の
庭に咲く
咲いた花なら
散るのは覚悟
みごと散りましょ
くにのため
昭和六十三年三月
同期の桜を…
北浦航空隊物故者水難者慰霊塔
水上機練習部隊として、93式水上中間練習機「赤トンボ」にて離着陸・旋回訓練などが行われていたが、時には操縦を誤り墜落する事故もあったり…
昭和20年5月には、当地より水上機による特攻作戦も展開されたという…
黙祷を。
北浦航空隊物故者水難者慰霊塔の両隣は
「ブラックバス供養塔」
と
「へら鮒供養塔」
北浦海軍航空隊
格納庫の基礎跡
マリーナよりちょっと南下したところに。
北浦海軍航空隊の「格納庫の基礎」といわれているコンクリートの塊があった。
格納庫の基礎。
そこには当時のものと思われる「ナット」も付いたままでした。
ちょっとしたことだけど。
歴史を感じる遺物に感動してしまう。
往時を物語るものは少ないけれども確かに往時を感じられる気配がそこにあった。
北浦の夏空は往時を忘れるのどかさがあった
鹿島海軍航空隊跡散策
平成22年(2009年)、友人とたまたま霞ヶ浦湖畔に訪れていた、当時の私はまだ戦跡を見聞する知識も持ち合わせておらず、詳細な記録もないので、「付記」として掲載します。
平成22年5月。その時は友人車で(サラリと)訪れておりました。
黄色が「鹿島海宮航空隊」
青色が「北浦海軍航空隊」
どちらも水上機部隊。
鹿島海軍航空隊
昭和13年(1938)12月15日、鹿島海軍航空隊が開隊。
霞ヶ浦海軍航空隊の水上機部隊が分離独立した部隊。
昭和17年4月1日には「鹿島海軍航空隊北浦分遣隊」が独立して「北浦海軍航空隊」となっている。
水上機部隊としては鹿島と北浦は兄弟のような関係。
水上機操縦教育を主体に多くの飛行学生・飛行練習生を擁していたが、昭和20年5月5日に練習航空隊指定解除。
第十一航空艦隊直率となり終戦。
鹿島海軍航空隊カタパルト跡
この場所にカタパルト(水上機を射出するための機械)が展開されていた、と。
鹿島海軍航空隊スリップ跡
このときはジェットスキーの発着で活用されておりました
カッター船着場跡
往時の桟橋が伸びる。
残念なのは当時は調査が足りず「元鹿島海軍航空隊之碑」などを見に行けてない事。この鹿島空の地は再訪したいと思っております…
鹿島空は宿題多し・・・再訪必須・・・