平成30年10月撮影
鶯谷駅から歓楽街を抜けた先、住宅地の突き当りに古風な洋館が今も残っている。
この古風な洋館。
明治16年(1883)から明治20年までの期間が陸奥宗光邸であった。
この洋館は都内に現存する住宅建築洋館としては最古の一つとされている。
陸奥宗光邸
陸奥宗光が外交官・外務大臣として活躍する前の時代。
西南戦争時に反政府的な動きをしていた為、禁錮五年の刑を受けた陸奥宗光が明治16年(1883)に出獄したあと、9月に邸宅を購入して住んだのがこの洋館だった。
明治17年4月から19年2月まで陸奥宗光がロンドン留学中は妻子が居住。
陸奥宗光の帰国後、明治20年(1887)4月に六本木に引越すまで、この洋館で過ごしていた。
邸宅は明治21年に借金返済と息子廣吉の留学費用捻出のために売却。
明治40年頃に長谷川武次郎が購入し住居兼長谷川弘文社社屋として使用。
以後、大正昭和と引き継がれ、現在は長谷川武次郎子孫の西宮家の所有。
屋敷の裏側。
ちょうど裏側が新しい住宅建築中で更地になっていたので、運良く裏を見ることもできました。
陸奥宗光の晩年の邸宅は古河庭園として整備されており有名。
一方でこちらは鶯谷(根岸)の住宅地にひっそりと埋もれており、知る人も少ない気配。
蔦に覆われはじめており、この先はどうなるのかな、と。
歴史的な価値がありつつも、個人所有のようなので先行きを心配しつつ。
陸奥宗光邸としては、旧古河庭園や大磯などが有名。未訪問ですのでそのうち。
宿題・・・
〆