茨城県稲敷郡阿見町。
現在の土浦駐屯地には陸上自衛隊武器学校が駐屯しているが、かつては「予科練」で有名な「土浦海軍航空隊」の錬成地であった。海軍と陸自の歴史がぎっしりと詰まった駐屯地の一般開放がありましたので、足を運んでみました。
なお、本編は「その3」となります。
歴史的な説明は「その1」で
目次
陸上自衛隊土浦駐屯地
陸上自衛隊武器学校等が駐屯する陸上自衛隊の駐屯地。
駐屯地司令は、武器学校長が兼務。
陸上自衛隊で使用される装備の教育用装備や車両が配備。また展示場が設けられており、旧日本陸軍の戦車や戦後の米軍からの貸与車両、国内での開発車両、試作車などが多く展示されている。
三式中戦車 チヌ
大日本帝国陸軍の中戦車。
開戦時の主力戦車「九七式中戦車 チハ」は主砲の威力不足もあり、連合国軍の「M3軽戦車」に苦戦を強いられていた。そこで陸軍は、主砲を換装した「九七式中戦車 チハ新砲塔型(新砲塔チハ)」と。更に防御力と機動力を改良した「一式中戦車 チヘ」を購入して、M3軽戦車に対抗した。
しかし、米軍はより強力な「M4中戦車」を大量配備することで、日本陸軍も新型戦車の豆乳が必要となった。
完全な新設計となっていた「四式中戦車 チト」と「五式中戦車 チリ」は開発中のため、一式中戦車の武装を改良した「三式中戦車 チヌ」を開発。昭和19年九月に三菱にて試作が完成し、10月には早くも量産となった。第二次大戦終戦までに166輌が生産された。
アリクイさんチームの戦車ですね。
八九式中戦車乙型
大日本帝国陸軍の中戦車。日本初の国産制式戦車。
1928年3月に開発が進められ、試作が1929年4月に完成。
1929年10月に軽戦車として「八九式軽戦車」として仮制式化されるも改修により、1935年(昭和10年)9月13日に制式名称を、新部類された中戦車として「八九式中戦車」と制式化される。
現存唯一の89式中戦車乙型。なお本機は武器学校教育の一環として自走可能状態までレストアされている。
アヒルさんチームの「はっきゅん」ですね。
土浦駐屯地・武器学校では、帝国陸軍の戦車が2両、保管されている。
火砲館
文字通り、火砲にまつわる展示。
日清・日露戦争当時の野砲・山砲・対戦車砲等が展示。
三八式野砲
改造三八式野砲
四一式山砲
九一式十糎榴弾砲
九四式三十七粍砲
一式機動四十七粍砲
鹵獲クルップ砲
四年式十五粍榴弾砲
続きは「その4」で。
※2023年4月1日撮影