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姫路城周辺の戦跡散策

姫路に行く機会があったので、隙間の時間で夕方に駆け足気味に姫路城の周辺を散策してみた。きちんと、散策できてないけど、まずはざっくりでも、何もしないよりかはマシかな、という感じで、巡ってみました。


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姫路城

実は、初めて見ます。これは、やはり美しいですね。
良いものを拝見できました。
なお、日没直前なので、あまり時間もなく、城を遠望するのみ。


歩兵第10聯隊跡碑

柵の内側、立入禁止エリアになにやら石碑があります。

三の丸広場の北東。天守閣のすぐ下、です。

歩兵第十聯隊跡碑

歩兵第10聯隊は、明治7年に大阪鎮台にて編成され、明治9年に姫路に転営。
宇垣軍縮の影響で、大正14年に岡山に転営。

望遠で、、、

歩兵第十聯隊は明治七年大阪鎮台に於て編成同九年此の城域に移る爾来駐屯して大正十四年岡山轉營に至る
 其の間兵庫岡山及び當初は鳥取縣に跨る徴募区より毎年入營せし壮丁皆滅私奉公の至誠に徹して日夜練武に精進一旦有事の秋に備ふ
 春風秋雨五十年終始衞戍の責に任じ更に西南の役を始め日清日露の両戰役に際し勇躍國難に於いて偉勲を樹つ
 茲に其の史蹟を永く記念して此の碑を建つ
  昭和四十二年三月
   姫路歩十會

誠忠

奥になにかあった。立ち入りできないので望遠。。。

(前略)
廢藩置縣後陸軍ノ所管タリシヲ昭和八年五月文部省ニ移管シ本市ニ於テ縦覧通路ヲ開設ス仍テ此ノ碑ヲ建ツ

陸軍から移管されて姫路市が通路を開設したことを記録する石碑。

場所


迫撃第四大隊

姫路城の南西の広場にある記念碑。

中国戦線で戦い抜いた迫撃砲部隊の記念碑。第11軍に属していた。
迫撃第四大隊発祥の地。

迫四の友 集い来りて 白鷺乃地に立つ

迫撃第四大隊發祥の地に之を建つ
 昭和十二年七月日中事變の勃發と共に郷土の衆望を擔ひ姫路に於て編成せられた我が大隊は十年の歳月を大陸の戰野に轉戰常に特殊任務に從事する獨立大隊として國軍唯一の精華たりしも曽て征旅に就くに方り命運懸けて祈りしひと本の植樹も今は亡く仍てその跡に生還せる者相集ひ我等が鎮魂の賦をここに埋銘し以て萬世不易世界平和を祈念するものである。
 昭和五十六年三月吉日 迫四會

愛馬の碑

場所


歩兵第39聯隊碑

兵ども乃 あゝ三九 庭の跡
姫路市長 吉田豊信 書

歩兵第三十九聯隊は日清戦争後姫路に創設せられ第二次大戦の終わるまで姫路城内に屯し文武両道を練磨すること五十有余年平時は國家の中堅となり出でては北満より南洋に至るまで勇躍國難に当たり赫々たる偉勲を樹つ
我等戦友は関連諸部隊と相計り往年の面影を偲び茲元営内跡に記念碑を建て血染の軍旗の一部を地下に浄めて永へに顕彰せんとす
 昭和五十一年十一月
  姫路 三九会

場所

左側に、第39聯隊の兵営があった。
現在は、兵庫県立姫路聴覚特別支援学校などがある。


歩兵第39聯隊の境界標石

「姫路城 埋門跡」近くに、陸軍の境界標石(陸軍標柱)が残っている。

陸軍省

このあたりが、第39聯隊の兵営の最南西端にあたる。

埋門跡


国道2号線建設之碑

姫路城の中堀を埋め立てて国道2号線を建設した記念碑。
案内板に掲げられた御紋が重々しい。

この石碑は昭和七年(一九三二)二月、国道2号線の改修を記念して建てられた。改修にあたって、中堀が東西約四五〇メートルにわたって埋め立てられた。中堀のあったことがわかるように、その境界線にこの石碑が建てられた。この石碑は元々は道路の西側にあったが、昭和六十一年(一九八六)の国道2号線拡張工事のため、同所に移転された。中堀の埋め立ては大正期にも進められていた。昭和七年当時、この石碑から東側はすでに埋め立てられて商業地等に変貌しており、姫路市立女子技芸学校(現在の姫路市立琴丘高等学校)も建てられていた

姫路駅のテラスから。この眺望は絵になりますね。

時間がなくて、陸軍第10師団兵器庫(姫路市立美術館)に行けなかったのが悔しい。

ストリートビューより。。。

姫路、再訪できるかな、、、、

※2023年6月撮影


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