新大阪に宿泊していたある日。
早起きして、早朝に、新大阪駅から淀川に掛けてのエリアに点在している戦跡関連を散策してみました。
ざっくり朝4時30分から6時30分の約2時間の散策。
出張だったので、朝しか時間がなかったのだ。
目次
柴島浄水場の壁面の空襲による弾痕
東淀川区・柴島浄水場の北側。崇禅寺駅と淡路駅の踏切の南側。
機銃掃射の弾痕の壁面跡が残されている。
大阪市民の水瓶・柴島浄水場も空襲の目標となり、大阪大空襲では直撃弾を受けて水道水の供給が止まったという。
ちなみに、柴崎と書いて「くにじま」と読む。難読。。。
柴島浄水場壁面の空襲による弾痕
1945年6月7日・6月15日・6月26日 東淀川区は米軍機による空襲にみまわれた。
特に6月7日の空襲は激烈をきわめ、1トン爆弾や焼夷弾が雨あられと降りそそいだ。
米軍機はさらに低空の機銃掃射を繰り返し、浄水場の崇禅寺駅側壁面に弾痕が約50メートルにわたり残された。
この弾痕は、空襲に倒れ、傷つき、死んでいった物言わぬ多くの人々への生き証人として、私たちにかたりかけている。
JRガードに残る弾痕
JR東海道線と阪急京都線が交差するガードに機銃掃射の弾痕がある。
大阪市水道局 水道記念館
(柴島浄水場第一配水ポンプ場)
敷地外から。
旧第一配水ポンプ場(竣工:1914年、設計:宗兵蔵)を保存活用した記念館。
国の登録有形文化財に登録(第27-0072号)。
土木学会選奨土木遺産に認定。
この建物も気になるんですけど。。。
明倫観世音菩薩像と旧長柄橋弾痕
長柄橋南詰に。
機銃掃射の弾痕と、空襲犠牲者を慰霊する観音様がある。
合掌
旧長柄橋弾痕と菩薩像
昭和20年6月大阪大空襲で旧長柄橋周辺の堤防に多くの住民が避難した。そこへ機銃掃射があり約400人の住民が犠牲となった。
弾痕の残る橋脚の一部は、悲惨な歴史と平和の尊さを伝える戦争遺構であり、菩薩とともに住民によって設置された戦没者追悼施設である。
大阪市北区役所
明倫觀世音菩薩
昭和二十年六月七日この橋畔において散華されたる空襲犠牲者並に
淀川水難犠牲者の冥福を祈るため此處に觀世音菩薩を建立して明倫觀世音菩薩と稱へ奉る。
願くは諸靈安らかに随願往生遂げられんことを。
南無大慈大悲觀世音菩薩
昭和三十二年八月十四日
三輪 勝 建立
魚森 天心 撰文
長柄橋
日の出。朝5時20分。
※撮影:2024年5月