広島市に本社を置く、田中食品株式会社。「タナカのふりかけ」で有名。
もっとも東日本に在住している私は、実は「タナカのふりかけ」を全く知りませんでした。
どうやら主に西日本で流通しているという「タナカのふりかけ」。
ふと、靖國神社遊就館特別展で目にしたことから、気になって、少しだけ、ふりかけの歴史を深掘りをしてみました。
靖國神社 令和6年 遊就館特別展
【兵食 陸海軍の食事から、英霊に捧げる「神饌」まで】
目次
タナカのふりかけ「旅行の友」
1901年(明治34年)に田中商店(現・田中食品株式会社)を創業した田中保太郎は、海軍の要請に応えて「ふりかけ食」を開発したことにはじまる。
1914年、第一次世界大戦が勃発。日本海軍は、日英同盟にもとづきドイツに開戦し、太平洋のドイツ領植民地(サイパン、パラオなど)へ侵攻。
そこで、海軍は、南方独特の問題に直面した。それは、太平洋の南の島国は、気温・湿度が高く、当時の日本の伝統的な保存食である漬物や味噌さえも腐ってしまうという食糧問題であった。そこで海軍は、当時呉の町で漬物商を営んでいた田中食品へ「持ち運びに便利で日持ちが良く、栄養価の高い保存食を作って欲しい」と、新しい保存食の開発を要請した。その中で開発されたのが「ふりかけ食」であった。
軍部の要請で開発された「ふりかけ食」は好評を博したため、1916(大正5)年には、これを「旅行の友」として一般向けに発売。当時では画期的な容器だった筒型の缶容器。
「旅行の友」という名称は「旅のお供になるように」という願いと、田中保太郎の妻「トモ」に由来する。
デザインは欧亜連絡列車でもあった特急「冨士」の流線型国鉄C55形蒸気機関車が描かれている。
「旅行の友」は大正初期より自然の素材を主原料に作られているロングセラーのふりかけ。小魚とごま、海苔など自然の味を大切にした本物の味。カルシウムが豊富で、こどもから大人までみんなに愛され続ける伝統の味でもある。
慰問ふりかけ
靖國神社遊就館特別展「兵食」展示シートより
内地からの慰問のふりかけ「旅行の友」
大正時代の初め、軍の要請で「持ち運びし易く、日持ちし、栄養価の高い食品」として、小魚魚粉を主原料にした、おいしくカルシウムたっぷりのふりかけが誕生しました。戦時中は、内地から送られる慰問袋に入れられ、戦地の将兵に大変喜ばれました。、当時は画期的な容器だった筒型容器を、そのままの形で再現しています。
陸海軍御用品
ステキにうまい
旅行の友
滋養豊富
軽便重宝
専売特許
日本国旗と満洲国旗
戦前・戦中期の戦用糧食・慰問品
軍事法規研究会 専任研究員 大木浩明 蔵
復刻版「旅行の友」
タナカのふりかけ 旅行の友復刻版
2022年には復刻版が販売されている。
御飯にかけて ステキにうまい
旅行の友
滋養豊富 軽便副食
さすがに、すこしだけフレーズが変わりましたね。
三度の食事に 是さえあれば大丈夫! お惣菜の単一化、
それで居て 栄養価満点の 副食物!
愛され続けて100余年
創業明治34年
旅行の友
「栄養価の高いものをいつまでも美味しく食べてもらいたい」という「子を想う親心」から生まれました。
変わらぬ、伝統の味わい。
奇しくも、「ふりかけの元祖」を知ることができたのは、良い学びでした。
靖國神社 令和6年 遊就館特別展
「兵食」陸海軍の食事から、英霊に捧げる「神饌」まで
2024年の靖國神社遊就館特別展。
他にも見どころ多数。
食にまつわる展示は、いままでになかった目線。
食事中の兵隊さんたちの笑顔の写真が、なんか、心にぐっときまして。
陸海軍の兵食、御英霊の食にまつわるエピソード、靖國神社の神饌など、見どころ多数。
※撮影:2024年9月