サイトアイコン 近代史跡・戦跡紀行~慰霊巡拝

「ペルリ提督の像」と「遣米使節記念碑」(芝公園)

令和元年9月撮影

増上寺の向かいの芝公園に。

スポンサーリンク

ペルリ提督の像

マシュー・ペリーの頭像。
Matthew Calbraith Perry(1794年4月10日 – 1858年3月4日)
「蒸気船海軍の父」
1853年に浦賀に入港し、東インド艦隊司令長官として日本開国交渉を行った。
「ペルリ(漢字では彼理)」 と来航当時は表記されていた。

昭和27年(1952)に催された日本開国百年記念祭に際し、ペリーの生誕地・ロードアイランド州ニューポート市から親善のために贈られた像という。


嘉永6年7月(1853年)および安政元年(1854年)に日本の開港のため米国代表として江戸湾を訪れたペルリ提督の出生地でありまた当時日本訪問の出港地である米国ロードアイランド州ニューポート市から親善のしるしに東京都に贈られたものである
米国人フェリックス・ド・ウエルドン作
東京都

その向かい側に。

万延元年遣米使節記念碑

 西暦1860年2月9日(万延元年正月18日)新見豊前守正興一行は日米修好通商条約批准書交換の使命をおびて江戸竹芝より米艦ポーハタンに搭乗、初の使節として米国に赴いた。
副使村垣淡路守範正の詠にいう、
 竹芝の浦波遠くこぎ出でて
  世に珍しき舟出なりけり
 遣米使節渡航より百周年にあたり、日米両国民の友好親善の基礎を築いたその壮途をここに記念するものである。
 1960年6月 日米修好通商百年記念行事運営会

なぜ、芝のこの場所にあるのかは不詳。
開国に揺れる徳川幕府と深い関係にある芝増上寺の門前というのが意味深であった。


関連

日本の近代は、ペリー率いる黒船来航とともに幕を開けたといっても過言はない。すなわち、いわゆる「幕末」は、嘉永6年(1853)の浦賀への黒船...
モバイルバージョンを終了