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相模大塚駅周辺の海軍戦跡

平成29年11月撮影

台湾亭 ・戦没台湾少年慰霊碑 、相模野海軍航空隊線(相模鉄道航空隊線) など


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相模大塚駅周辺の海軍戦跡

相模鉄道「相模大塚駅」。
この駅の南側には厚木海軍航空基地、そして北東には高座海軍工廠(最寄駅「さがみ野駅」)があったこの地もまた海軍ゆかりの史跡がありました。
11月のとある夕方に近くに用事があり、隙間時間ができましたのでちょっと散策してみました。


相模鉄道「相模大塚駅」

この日の用事が終り、さてどうしようかなと思案。
手元の地図を見たら近くに戦跡がありましたので立ち寄ってみることに。 駅に到着したのは15時30分くらいのことでした。

厚木基地の北「さがみ野駅」北側には「高座海軍工廠」が展開されておりました。今回はさがみ野駅に赴く時間的な余裕はなかったので隣の「相模大塚駅」から散策をしてみます。 画像では黄色枠の所がレポの対象となります。


台湾亭

場所→https://goo.gl/maps/66Yo3acqut62 …

大和市「ふれあいの森」内に建立。
先の大戦中、将来の航空技師を夢見て台湾少年工8400名が高座海軍工廠で海軍局地戦闘機「雷電」の制作に従事。その台湾少年工たちの寄宿舎が当地にあった。
この建物は元工員たちにより1997年に寄贈。

終戦後に帰国した台湾少年工たちは台湾工業界の中核として活躍。のちに彼らの第二の故郷であった大和市を訪問し日台友好親善と世界平和を記念し本建物を寄贈。建設の中心は台湾に帰国した元少年工「台湾高座会」(当時約3千人)と日本に残った元少年工「在日高座会」(当時約40人)による。

台湾亭の階段には「海軍高座工廠」のシンボルマークが彫られている。このマークは「碇」と、前面から見た「飛行機」の姿を組み合わせたもの。 のちに、このシンボルマークを身につけていた者たち(台湾少年工たち)は「高座帰り」と言われ敬われていたという。


戦没台湾少年の慰霊碑

台湾亭より北東に鎮座する真宗東本願寺派「草柳山 善徳寺」

場所→https://goo.gl/maps/mDEaJ68t8vK2 …

この寺院に高座海軍工廠で働き、そして斃れた台湾少年工を偲ぶ慰霊碑がありました。

戦没台湾少年の慰霊碑
太平洋戦争末期この土地に高座海軍工廠在り 13才より20才迄の台湾本島人少年8千余名海軍工員として故郷を遠く離れ気候風土その他の開く環境をも克服し困苦欠乏に耐え連日の空襲に悩みつつもよくその責務を完うせり
されど病床に斃れ或いは爆撃により無惨の最期を遂げたるもの数多し 遺骨は故郷に還れど夢に描きし故郷の土を踏み懐しの肉親との再開をも叶はず異郷に散華せる少年を想ふ時18年後の今日涙また新なり これ等の霊魂に対し安かなるご冥福とかかる惨事の再び起らぬ永遠の平和を祈り之を建つ

※碑銘捕捉※

台湾亭志
 第二次世界戦中 一九四三年から翌年にかけて戦力補充のため 台湾の青少年約八千四百余名が この大和市に新設された高座海軍工廠に集結し 一部は実習を経て各軍需工場に配属され 終戦まで航空機生産の一端を担い続けた
 その間 米軍による本土空襲 多数の犠牲者も出 戦後そのまま残留した者以外 大部分は台湾に帰国したが 混乱の戦後を乗り越え漸く落ち着きを取り戻した時 若き日の命を託した大和市が第二の故郷として大きく胸に育まれた
 1987年 台湾高座会が発足 1993年日本高座会による五十周年記念大会に1300余名の会員が参加し 半世紀ぶりに旧地で再会の喜びに浸りあった ここに両地の親善交流を記念する とともに 世界平和への祈願をこめて台湾亭を大和市に寄贈し 変わらざる友誼のシンボルとする
台湾高座会 
1997年9月6日

台湾高座会 台湾各地域の区会や特別協力功労者・特別顧問などの名や部隊が列記されていた

※台湾少年工顕彰碑が、高座海軍工廠の地下壕がある座間の芹沢公園に建立されました。

以前、高座海軍工廠跡地散策を行ったときに、芹沢公園にも脚を運んだのが2017年12月だった。その後に、様相が若干かわったとの噂を聞いたので...

相模野海軍航空隊線
(相模鉄道航空隊線)

さて、台湾亭と戦没台湾少年之慰霊碑を詣でたら、厚木飛行場の近くまで脚を伸ばしてみましょう。
地図をみると線路が伸びているのがわかるかと思います。
この線路は相模鉄道航空隊線・相模野海軍航空隊線・厚木海軍飛行場引き込み線・厚木基地引込線などと呼称されているようで。

元は昭和16年に開設された「相模野海軍航空隊・厚木飛行場」軍用線。
戦後は米軍への航空燃料輸送専用線として活用され、相模鉄道が平成10年(1998)までジェット燃料を輸送。現在は休止線の扱いのようです(実質は廃線)
ちょっと周辺を見てみましょう…

かつては厚木飛行場に燃料輸送をしていた線路であれど、現在は基地の手前でプッツリと線路は途絶。基地内には線路跡は残っておらず。
4枚目の写真が線路の末端。。。

防衛庁時代のものですね。 境界。

ふらふらと廃線跡の線路をみていきましょう。 航8踏切

厚木基地から相模鉄道方面に向けて歩んでおります。
航7踏切と航6踏切の間は「東名高速道路」とのクロス。
東名高速はもちろん戦後の開通なので戦前はここは橋はなく。

一緒のようにみえて、ふたつの橋が並んでいる形態です。
道路側は「大和5号橋」 鉄道側は「大和6号橋」

普段は横着して往時の地図や航空写真は格別に引っ張ってこないのですが、せっかくなので。
国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスより http://mapps.gsi.go.jp/ http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1 … 1947/10/24(昭22)に米軍が撮影した「厚木飛行場」北西部の航空写真を参考まで。

樹木のトンネルになってました。
こうして自然の力が増して廃線路へと・・・

一部にコンクリ枕木もあったり。
小さき花が咲いていたり。

もう、でんしゃはこない

にゃあ

相模鉄道との合流地点。
航空隊線と線路は繋がっているけども、この分岐点が仕事をすることはない… 相模大塚駅を15時30分にスタートして戻ってきたのが17時ごろ。約1時間30分の散策でした。

このエリアは「高座海軍工廠跡」や「上瀬谷地区」なども控えておりますが、ひとまず今回はこれにて〆

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