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「計画に無かった最後の空襲」小田原空襲の戦跡散策

小田原地区は大規模な絨毯爆撃こそ受けることはなかったが、小規模な空襲は数度あった。
そして関東地方を空襲した米軍機の帰路にあたるために、たびたび予定計画外の空襲(余剰爆弾の投下)を受けることがあった。

8月15日、終戦の日。
米軍は熊谷・伊勢崎・秋田土崎に空襲を実行した。
この3都市が「最後の空襲」として取り上げられるが、計画外の空襲を最後の最後に受けたのが小田原だった・・・

そんな小田原市内に点在する空襲の爪痕を巡ってみたいと思う。

合掌


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太平洋戦争の爆弾着弾跡(蓮上院土塁)

戦国時代の小田原北条氏が築いた土塁に、昭和時代の太平洋戦争の傷跡が残る貴重な史跡&戦跡。

太平洋戦争の爆弾着弾跡
 太平洋戦争が終わりに近づくにつれ、日本各地でB29爆撃機などによる空襲が激しくなってきました。
 小田原市でも、昭和20年4月以降終戦まで、たびたび空襲を受けました。
 そして、戦争終結直前の8月13日の午前8時30分ころ、小型機による空襲があり30名の犠牲者を出しました。このとき、新玉小学校(当時新玉国民学校)も攻撃を受け、若い教員1名と用務員2名が犠牲になりました。
 この空襲で投下された爆弾のひとつが、ここ蓮上院土塁に着弾し、土塁が大きく損壊してしまいました。
 戦国時代に小田原北条氏が築いた土塁に、昭和時代の太平洋戦争の傷跡が残る大変貴重な場所です。
  小田原市教育委員会

蓮上院土塁は、天正18年(1590)に小田原北条氏が築いた総構の一部。低地部残る総構の土塁は貴重なものとして、昭和34年に国の史跡に指定されている。

場所

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旧青橋の橋桁に残る弾痕

青橋は、小田原駅から早川駅方面に約400mほどのところにあった道路橋。並行して走る東海道線と箱根登山鉄道の線路をまたいでいた。旧青橋の橋桁は、横河橋梁製作所の製造。

昭和20年8月、小田原駅を狙った米艦載機の機銃掃射による弾痕が残されいる。
8月の幾日かは明らかではない。
8月3日に、下曽我駅と富士フィルム小田原工場がP‐51マスタングによる空襲あり
8月5日に、国府津駅と下曽我駅、富士フィルム小田原工場に同じくP‐51マスタングによる空襲があった。

戦後、青橋の改修でスクラップにされる予定だったところを、工事を請け負い、この空襲の体験者でもあった田中組の2代目社長が譲り受けて記念碑とした。
田中組が2011年7月、長期不況の影響で民事再生法適用を申請。会社再建のために本社ビルの社有地を売却し、寿町に事務所を移転。3代目社長は「記念碑は社の看板でもあり、先代の遺志は守っていきたい。」として、引き続き保存されている。

場所

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小田原空襲の碑の跡

総務省のサイトには、一般戦災死没者の追悼・追悼施設として「小田原空襲の碑」の掲載がある。
ただし、小田原空襲の碑(撤去されました)との記載とともに。

現地に訪れてみたら、たしかに、碑はなくなっていた。。。

総務省サイト

在りし日の写真と碑文面を総務省サイトより

小田原空襲の碑
第二次世界大戦最後の空襲
大南勝彦
 その昔 小田原宿は、東海道沿いと甲州街道沿いとに家並みがひろがっていましたが、当家の所は此の両者の交わる地点で、青物町一丁田へと伸びる甲州街道の基点でもありました。
 第二次世界大戦、いわゆる太平洋戦争の最後の日の夜半から早暁にかけ、当地はアメリカ空軍B29爆撃機による焼夷弾爆撃を受けました。
 一九四五年(昭和二十年)八月十四日夜半、B29一機が来襲。まず照明弾が落とされ、旧甲州街道沿いに大量の焼夷弾攻撃を展開、当家は八箇の焼夷弾による直撃を受けましたが、警防団の消火活動で一旦鎮火。しかし十五日午前一時頃炎に包まれました。
 高梨町、青物町、宮小路、一丁田など、焼失家屋は合わせて四〇二戸。罹災者一八四四人。負傷者六五人。死者四八人を数えました。
 日本がポツダム宣言受諾を打電したのは八月十日でしたが、その後も交戦状態は続き、無条件降伏を決定したのは八月十四日、小田原空襲はそのあとに行われたもので、国内の他の数カ所の地域と共に、文字通り第二次世界大戦最後の空襲でした。


前述の「小田原空襲の碑跡」から西に少し移動すると看板があった。
8月15日の小田原空襲を物語る看板。

8月15日の小田原空襲

昭和20年8月15日。正午に「終戦の詔」が発せられる約11時間前。深夜1時か2時頃に、1機のB29が小田原市上空に飛来した。直前に伊勢崎か熊谷を空襲した編隊のうちの1機だった。
このたった1機のB29は小田原上空で焼夷弾(余剰分か?)を投下。マリアナ諸島の基地に帰投する途中での計画外での空襲行為は、文字通りに「無差別爆撃」であり、そして「最後の最後の空襲」であった。

8月15日の小田原空襲
1945(昭和20)年8月15日、まさに敗戦当日、深夜1時か2時頃、小田原市はアメリカ軍の戦略爆撃機B29一機による焼夷弾空襲を受けました。
 小田原空襲の直前には、埼玉県熊谷市と群馬県伊勢崎市が空襲を受けており、その2都市を攻撃した編隊の内の一機が、マリアナ諸島の米軍基地へ帰還する途中に小田原を空襲したものと考えられます。アメリカ軍のその日の作戦任務報告書には、小田原空襲の記載は一切なく、計画されたものではありませんでした。
 しかしながら、アメリカ軍の日本都市空襲の候補地が記された「一八〇都市の表」の96番目に小田原が挙げられており、本格的な小田原市街地への焼夷弾空襲がなされ、壊滅的な被害を受けた可能性がありました。
 8月15日の小田原空襲で被災し炎上した地区は、現在の浜町1・3丁目、本町2・3丁目にまたがり国道1号線をはさんで国際通りの両側にあたります。焼失した家屋は約400軒、死者は本会の調査によれば12名です。
 被災した小清水旅館には、小田原空襲を伝える写真が保存されています。建物がすっかり焼け落ちた古清水旅館の後方に焼き尽くされた小田原の町並みが映っています。当時の館主、清水専吉郎氏が写真屋を呼んで撮影したものです。
 今から62年前にあった小田原空襲を記した説明板を、被災した古清水旅館の敷地に設置することで、戦争の愚かさや悲惨さ、平和の尊さを少しでも語りつぐことができればと思います。
 2007(平成19)年8月15日
  戦時下の小田原地方を記録する会
  古清水旅館 館主 清水伊十良

場所

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小田原市慰霊塔

昭和32年(1957)、竣工。慰霊塔の高さは約12m。明治以降の小田原市の戦没者及び戦争犠牲者2858名を慰霊。

小田原市慰霊塔
 太平洋戦争終結以来十有余年 今や我が国は国土の復興も漸く進み 世界平和に寄興すべき国際的な地歩を築くと共に 本市また発展の一途を辿り 市民の福祉は日に月に増進せられつつある この時 殉国の英霊に対する市民の敬慕の情はいよいよ昴まり その総意として英霊の御冥福を祈念し その功績を後世に伝える恒久的慰霊顕彰施設の建設を希うに至った ここにおいて 本市は明治以降の戦役及び太平洋戦争における戦没者並びに戦争犠牲者の慰霊塔建設を企画し 昭和32年5月9日 小田原市戦没者慰霊塔建設委員会を設置 市民の浄財と市費とをもって 昭和32年7月4日起工 同年10月29日その完成を見るに至った 本慰霊塔の表題字は 元小田原市長鈴木英雄氏の揮毫に成るものである われわれは今この聖塔を前にして 永遠の平和を祈念すると共に 郷土の発展と 御遺族の援護とに一層努力することを誓う次第である 願わくば諸霊 永えに鎮まり 御遺族の上に加護を垂れ給わらんことを ここに建設の経緯を記し 後世に遺すことした
 昭和32年10月29日
  小田原市長 鈴木十郎 選書

慰霊塔の隣に石碑があった。

(表面)
明治天皇 御製
世とともに かたり伝へよ 國のため
 命をすてし 人のいさをを
  従二位伯爵 東郷平八郎 謹書
(裏面)
私儀東郷家執事時代閣下より特に揮毫賜りし書を慰霊の為捧ぐ
昭和43年12月吉日建之
小田原市栄町寄贈者 飯田貫一  

場所

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なお、エリアは広域のために、レンタサイクルが便利。


参考

1945年8月15日未明。現在の本町や浜町の地域に焼夷弾の雨が降り、一帯は火の海と化した。太平洋戦争の終結を告げる玉音放送がラジオから流れたのは、それから約10時間後の...
太平洋戦争が終結した1945年8月15日。相原俊夫さん(82)は当時、県立小田原中学(現・小田原高校)の2年生だった。当時も今も市内浜町の国際通り「中六」の並びにある住...

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