
タイ王国バンコクの戦跡散策その2・戦前の日本が建造した唯一の輸出潜水艦の艦橋が残る「タイ王国海軍博物館」
2025年2月、仕事でタイ王国に赴いていました(人生2回目のタイ王国)今回は時間を確保できたので「タイ王国海軍博物館(タイ海軍博物館)」に...
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2025年2月、仕事でタイ王国に赴いていました(人生2回目のタイ王国)今回は時間を確保できたので「タイ王国海軍博物館(タイ海軍博物館)」に...
令和7年(2025)3月10日。あの日から80年目。 昭和20年(1945)3月10日、東京大空襲。 東京都慰霊堂にて、慰霊鎮...
新宿区の幸國寺の大イチョウは加藤清正手植えとも伝わる銘木。昭和の大空襲で被災しながら北側からの炎を食い止め、南への類焼を防いだと言い伝えが...
先日の博多散策で疎開道路のことを調べていたら、東京にも名残があったので、せっかくなので足を運んでみました。 ...
昭和64年(1989年)1月7日午前6時33分。国民の祈りの中で、昭和の天皇陛下は御崩御あそばされた。あの日から、36年。今年も、 昭和天...
福岡博多の戦跡散策、その4になります。雨が降る中、飛行機の時間も迫っていたので、空港に戻る地下鉄沿線でさくっと散策できそうなところを何箇所...
大谷石の地下採掘場も、戦時中は軍需工場であった。JR宇都宮駅からバスで約30分。せっかくなので気になっていた大谷石資料館に足を運んでみまし...
神奈川宿を散策した流れで、神奈川台場跡地も散策してみる。なんとなくの流れですが。 神奈川台場 江戸時代末期に勝...
曾根崎心中で知られる「お初天神」こと「露天神社(つゆのてん神社)」近くに赴く用事があったので、足を運んでみました。 露天神社...
2024年6月。いろいろあってバンコクにいました。仕事の兼ね合い。スキマ時間を捻出して、バンコク市内を散策。 ※2025年2月に別件...
太平洋戦争末期の昭和20年7月30日。米軍の艦載機が守山駅(滋賀県守山市)で列車などを機銃掃射した「守山空襲」。往時の惨劇を伝える六地蔵が...
鉄道の町「米原」は、滋賀県唯一の新幹線停車駅であり、東海道と北陸道の分岐点でもある。そんな「米原」に戦争に関連する戦跡が残っているというの...
2024年は、日本・トルコ外交関係樹立100周年。 2024年6月。日本とトルコの歴史を振り返りつつ、トルコ軍艦を見学してきました。...
昭和6年に建造された病院は、空襲をくぐり抜け、連合国民抑留所として活用され終戦を迎えている。そして、現在、東京都選定歴史的建造物に指定され...
「日本の飛行機王」東洋一の中島飛行機を創業した中島知久平。そんな中島知久平ゆかりの太田市内に点在する戦跡に足を運んでみました。 本編...
静岡市のシンボル「賎機山(浅間山)」。安倍川に沿って南北に伸びる賤機山(浅間山)の山頂に、戦争に関係する慰霊碑があった。 本編は、「...
令和6年(2024)3月10日。あの日から79年目。 昭和20年(1945)3月10日、東京大空襲。東京都慰霊堂にて、慰霊鎮魂の合掌を。今...
神奈川県綾瀬市。海軍厚木飛行場のほど近く。戦時中に「弾除け観音」として崇敬された観音様の寺院があった。 「先祖の記録」の伝承の一助と...