「ガラスのうさぎ像」二宮駅に残る機銃掃射弾痕(二宮町)

JR二宮駅南口のロータリーに「少女の像」が立っている。
ガラスのうさぎを手にした、少女の像は、戦争にまつわるエピソードがあった。

ガラスのうさぎ像

この像は太平洋戦争中、二宮町に縁故疎開していた童話作家高木敏子氏の体験記である『ガラスのうさぎ』をモチーフとして建てられたものである。
『ガラスのうさぎ』には終戦間近、父親が二宮駅で米軍機の機銃掃射を受けて死亡したために、ひとり取り残された少女と、少女に温かく接する町民の心情が描かれて童話。1977 年に金の星社から出版。ドラマ化や映画も作られ他作品。

ガラスのうさぎ像
設 置 1981 年(昭和 56 年)
製作者 圓鍔勝三氏(芸術院会員 昭和 55 年度神奈川文化賞受賞)

ガラスのうさぎ像
 太平洋戦争終結直前の昭和二十年八月五日
 ここ(国鉄)二宮駅周辺は艦載式P51 の機銃掃射を受け 幾人かの尊い生命がその犠牲と
なりました
 この時 目の前で父を失った十二歳の少女が その悲しみを乗り越え けなげに生き抜く姿を描いた戦争体験記「ガラスのうさぎ」は 国民の心に深い感動を呼び起こし 戦争の悲惨さを強く印象づけました
 この像は私たち二宮町民が 平和の尊さを後世に伝えるために また少女を優しく励ました人たちの友情をたたえるために 多くのご協力をいただき 建てたものです
 少女が胸に抱えているのは 父の形見となったガラスのうさぎです

 ここに平和と友情よ 永遠に

 昭和五十六年八月五日
 「ガラスのうさぎ」像を二宮駅に建てる会

このクスノキは、樹齢108年の大クスノキが腐朽したため新たに植栽された2代目のシンボルツリーです。
ガラスのうさぎ像とともに、クスノキも平和を見守っています。 二宮町


二宮駅

昭和20年8月5日。
二宮駅とその周辺は、アメリカ軍戦闘機P‐51の機銃掃射を受け、5 名の方が亡くなった。
『ガラスのうさぎ』の著書高木敏子氏の父親が亡くなったのもこの時であった。
P-51戦闘機は、十数機ほどが相模湾より侵入二宮上空で、ちょうど二宮駅に集まっていた乗客目掛けて、無差別に機銃掃射を行い、二宮駅及び周辺が被害を受けた。
終戦、10日前のことであった。

二宮駅の東側・大磯よりのホーム。
一部、屋根の形が異なり、ホームの両側に柱が立っている上家がある。
この部分が大正14年の建屋であり、梁の一部に、機銃掃射の銃撃痕が残っている。

建物財産標

旅客上家4号
大14年 月 日

上家の梁に幾多の銃撃痕が残されている。


機銃掃射の悲劇

二宮駅が機銃掃射を受けたのが、8月5日。
この日、襲来したP-51戦闘機の編隊は、各地の鉄道駅や列車を襲撃し続けている。
彼らにとって、一般市民が集っていても、それは軍事施設しか見えていなかった。

彼らは二宮駅や小田原駅・下曽我駅・国府津駅などに機銃掃射を加えながら、丹沢山地を抜け内陸部へと飛行を続けた。

そして、彼らは、八王子・浅川の上空に到達し、走っていた列車に機銃掃射を行った。

湯の花トンネル列車銃撃空襲

昭和20年8月5日
新宿発長野行419列車が浅川駅(現在の高尾駅)を出発し、湯の花(猪の鼻)トンネルに差し掛かった時、硫黄島から飛来したP‐51マスタングの銃撃を受け、52人が死亡、133名が重軽傷を負った。
列車への銃撃空襲としては日本最大級の被害であった。

平成31年1月撮影 JR高尾駅には「銃撃痕」が残っていたが、高尾駅からちょっと奥まったトンネルでも「銃撃」による悲劇があった...


参考

朝日新聞デジタル:記事「(1)終戦10日前の機銃掃射」
 二宮町では、昭和20年8月5日に駅周辺において米軍機の機銃掃射を受け、尊いいのちが犠牲となり、昭和56年にいのちの尊さと平和への願いを込めて「ガラスのうさぎ像」が多くの方々のご協力により建立されました。 その後、「ガラスのうさぎ像」建立の精神を引き継ぎ、二宮町における唯一無二の平和事業である「ガラスのうさぎ像平和と友...

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