東京大空襲と下町。
深川・門仲地区も大きな被害を被っている。
慰霊巡拝を。
目次
富岡八幡宮・天皇陛下御野立所
「こんなに焼けたか」
東京大空襲の被害状況のご説明を富岡八幡宮境内にて聞き終えた 昭和天皇は、しばし絶句されて、立ちすくまれた、という。
詳細は前述の記事にて。
富岡八幡宮の被災イチョウ
境内に残るイチョウは、東京大空襲で被災をしたイチョウ。
大鳥居の左手、伊能忠敬銅像の後ろのイチョウは、東京大空襲被災のイチョウ。
富岡八幡宮御社殿
富岡八幡宮本殿後方の神域の二本の御神木イチョウも、東京大空襲の被災イチョウとなる。
天皇陛下御製の碑もある。
昭和天皇御製
身はいかになるともいくさとどめけり
ただたふれゆく民をおもひて
元侍従次長 鈴木一謹書
昭和20年8月15日 終戦時の御製
天皇陛下御在位60年奉祝記念
大東亜戦争末期の昭和20年3月18日、
天皇陛下は、大空襲で焼土と化した東京をご視察になり、ここ富岡八幡宮境内にお立ち寄りになった。この時、 陛下は爆撃の惨状に深く御心を痛められ、その後終戦の御聖断を下されたのである。この御製は、その当時お詠みになった大御歌である。 陛下の御聖徳を讃え、後世に伝えるため、ここに刻む。
昭和61年10月26日
天皇陛下御在位60年東京都奉祝委員会
場所
平和の鐘(深川不動尊)
江東区富岡。護摩行がちょっとしたエンターテイメントで現代的な魅せる場ともなっている深川不動尊は一見の価値ある。
そんな深川不動尊の仏殿内に設置されているのが「平和の鐘」。平成14年設置。
昭和20年3月10日、東京大空襲により日本の首都は一瞬にして火の海となり、特に江東区(当時の深川区と城東区)は最も被害を受け、「広島」や「長崎」と同じく戦争により余りにも多くの人命が奪われたことは、私達の心に大きな傷跡を残しました。この鐘は、内仏殿建立工事のおり、土中より発掘された爆弾の破片を含ませ鋳造し、戦災で亡くなられた方々の鎮魂ならびに平和を願い、此処に「平和の鐘」と命名し永代に亘りご祈念申し上げます。
場所
戦災殉難者慰霊碑
門前仲町1丁目
江東区門前仲町一丁目。
門前仲町の交差点、ハンバーガーショップの脇に鎮座。
1990年にビルが新築された際に、建立されていた木造の「戦災殉難者供養塔」にかわって、建立された。台座はビルのオーナーが寄贈。
場所
戦災殉難者慰霊之碑(黒船橋)
牡丹町1丁目
江東区牡丹1丁目。
江東区界隈では一番新しい慰霊碑。
2002年10月に牡丹町1丁目町会が建立。
場所
東京大空襲戦災殉難者慰霊碑(越中島橋)
永代2丁目
江東区永代2丁目。
「大震火災歿者霊追悼供養塔」のとなりに、「東京大空襲戦災殉難者慰霊碑」がある。
昭和55年建立。
今次大東亜戦争末期、昭和二十年三月十日の大空襲により、当町内及び周辺地区はほとんど原形をとどめぬまでの戦災を被り三百有余名の殉難者を出しました。
これ等の方々の霊を慰め再び平和な世界を祈り之を建立する。
昭和五十五年七月一日
場所
戦災殉難者慰霊碑(万徳院)
永代2丁目
江東区永代2丁目。
東京大空襲で被災した人々が、隅田川などに水を求めて殺到。隅田川に近い、万徳院の周辺でも多くの人命が失われた。
昭和36年9月に、永代2丁目町内会によって建立。
場所
戦災殉難殃死者供養塔(冬木弁財天)
深川1丁目・深川2丁目・冬木町
江東区冬木。冬木弁財天境内。
殃死は、横死とも表記。
冬木町会と深川1丁目、2丁目町会によって、昭和26年3月10日に建立。
永代2丁目の万徳院住職と町会によって、毎年3月10日に慰霊供養が実施されている。
冬木弁財天は、深川七福神の一つ。
冬木弁財天
場所
十日地蔵尊(法乗院えんま堂)
牡丹町2丁目・牡丹町3丁目・牡丹町4丁目町会・南北町
江東区深川。
東京大空襲で全滅した牡丹町を含む深川地区すべての犠牲者を供養するために、昭和26年に牡丹町2丁目、3丁目、4丁目町会、南北町会によって地蔵尊が建立された。
当初は、平久橋脇にあったが、現在は法乗院に遷座している。3つの地蔵尊の左側が、十日地蔵尊。
平久橋には、供養塔が建立されている。
閻魔大王
場所
観音像・戦死戦歿者戦災被歿者供養塔(永代寺)
江東区富岡。
昭和33年3月10日に木場筏組合によって建立。
場所
戦災地蔵尊
江東区富岡。ビルの角に鎮座。
記
この地蔵尊は一九四五年(昭和二十年)三月十日の東京大空襲で炎に追われて亡くなられた方々の来世と焦土と化した深川の復興を願って故 堀㐂代 がこの地に建立したものです
この地蔵尊が人々を見守り故 堀㐂代 の願いが永遠に成就されることを願ってここに記します
(連絡先は略)
場所
戦災殉難者供養塔(平久橋)
牡丹町2丁目・牡丹町3丁目・牡丹町4丁目・南北町
江東区牡丹。
前述のとおり、平久橋脇に、東京大空襲で全滅した牡丹町を含む深川地区すべての犠牲者を供養するために、昭和26年に牡丹町2丁目、3丁目、4丁目町会、南北町会によって「十日地蔵尊」が建立された。地蔵尊は、のちに法乗院えんま堂に遷座。
戦災殉難者供養塔は、昭和36年三月10日に建立。
供養塔の左隣には、「旧平久橋の石橋」が一部保存されている。
右隣には「波除碑」。寛永3年(1791)の高潮被害のにちに、徳川幕府が建立。
場所
戦災殉難者供養塔(西州崎橋)
木場6丁目
江東区木場。
昭和23年頃、平木橋の角に木製の供養塔が建立された。その後、高速道路の建設に伴い、西州崎橋の脇にあった地蔵尊の隣に移転。
現在の供養塔は、平成5年3月10日に、木場ラジオ体操会によって石造の供養塔が昆建立された。
場所
※撮影は、2021年11月、2022年1月