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トーハクで近代建築散策(東京国立博物館)

トーハクの近代建築散策。写真中心で。


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150周年

1872年(明治5年)3月10日。
日本で最初の「博覧会」(文部省博物館)として湯島聖堂博覧会が、東京・湯島の湯島聖堂大成殿で開催された。これが日本の「博物館」の始まりであり、東京国立博物館はこの年を創設の年としている。


東京国立博物館本館
旧東京帝室博物館本館)

初代は、1881(明治14)年竣工であったが関東大震災で被災し、現在の本館は、2代目。
現在の本館は「日本趣味を基調とする東洋式」という様式規定による設計案が1929(昭和4)年12月に公募され、渡辺仁による案が選定。
1932年(昭和7年)着工、1937年(昭和12年)に竣工、1938(昭和13)年に開館。
和洋折衷の「帝冠様式(洋風建築(コンクリート建築)に東洋風の屋根)」の代表的建築。
2001(平成13)年に重要文化財に指定されている。

無料観覧日でした。


本館の内部

中の様子も。トーハクは一部を除いて、内部も撮影できるのが良いです。

エントランス。いろいろなドラマでも登場する場所。

便殿(旧貴賓室)
現在の本館が昭和13年に東京帝室博物館の本館として開館したときに貴賓室として造られ、天皇はじめ皇族方がお出でになられたときのご休憩所として使われました。
帝室博物館から国立博物館となった今日では、皇族方だけではなく、国賓や公賓など国の大事なお客様の休憩室として利用されることもありますという。


庭園から本館を

庭園にもいくつか興味深いものがありますので見てみましょう。

詰所、これも趣がある。。。


第二回内国勧業博覧会の碑

庭園内に。

内国勧業博覧会碑

第二回内国勧業博覧会の碑
明治政府は勧業政策の一環として内国勧業博覧会を開催、その第一回から第三回の会場が上野公園だった。明治14年(1881)に開催された第二回内国勧業博覧会では、新築間もないコンド設計の博物館本館(旧本館)が美術館として使われた。


町田石谷君碑

庭園内に。

初代帝国博物館館長に当たる博物局長を務めた町田久成(1838~97)をしのんで明治43年(1911)に建てられた。

町田久成の碑
初代博物局長(博物館長)町田久成の顕彰碑。町田久成は天保9年(1838)薩摩(現在の鹿児島県)に生まれ、慶応元年(1865)にイギリスへ渡った。大英博物館などを訪れた町田は、日本での博物館創設を志し、帰国後日本の博物館の基礎を築いた。


町田久成館長像

庭園を離れ、平成館の近くに、胸像もある。

初代 町田久成館長像

題字の揮毫は、第97代内閣総理大臣であった安倍晋三。平成28年11月建立。

初代館長 町田久成
薩摩藩の名族に生まれ、幕末に藩命を受けて欧州に留学。維新後は文化行政を担い、博物館の初代館長として上野博物館の建設や博覧会開催に尽力した。辞官後、出家して園城寺子院の住職となり、「岩谷」と号した。当館庭園にその事跡を偲んだ「町田岩谷君碑」がある。

 町田久成は、天保9年(1838)薩摩国日置郡石谷領主の町田久長の長男として鹿児島城下に生まれ、町田家29代当主となる。19歳で江戸の昌平黌に学び、文久3年(1863)26歳で大目付にとなった。同年に藩の開成所が創設されると学頭となり、慶応元年(1865)薩摩藩英国留学生を率いて渡英した。帰国後は新政府で外国官判事や外務大丞として外国事務に携わったが、明治3年(1870)に大学大丞に転じて文化財行政に専念した。明治5年、旧湯島聖堂の大成殿で開催した博覧会を機に「文部省博物館」が発足すると、初代館長に就任し、ただちに文化財を恒常的に保管・展示するための本格的な博物館建設の必要性を太政官に建言し、明治15年、上野寛永寺跡地の新たな博物館開館に至るまでその運営に尽力した。その後明治18年に元老院議官となったが、4年後には職を辞し、岡倉天心やフェノロサなどと共に、園城寺法明院住職の桜井敬徳和尚に帰依し、園城寺光浄院の住職として文化財の保護に努めた。
 明治30年9月13日上野の明王院にて逝去。享年60歳。
   平成28年11月吉日
    建立 町田家32代当主 町田忠夫
    題字揮毫 第97代内閣総理大臣 安倍晋三
    政策 文化勲章受賞・日本芸術院会員 中村晋也

安倍さんの揮毫。


森鴎外総長室跡

平成館の前。池から浮き出る森鴎外総長。。。

森鴎外総長室跡
平成館及び前庭の一帯は、明治15年(1882)に博物館が上野に移転してから、展示棟に付属する事務棟の建物が多く建てられました。この付近には底質博物館を統括する総長の居室があり、森林太郎(鴎外)は大正6年(1917)から大正11年に死去するまで、総長としてここで執務しました。
 2012年10月 鴎外誕生150年にあたり
帝室博物館総長森林太郎(鴎外)大正6年12月~大正11年7月


表慶館

1900(明治33)年、皇太子(後の大正天皇)のご成婚を記念して計画され、1909(明治42)年に開館。
東宮御所(現在の迎賓館赤坂離宮)などで知られる宮廷建築家の片山東熊による設計。明治末期の洋風建築を代表する建物として1978(昭和53)年、国の重要文化財に指定。

こんな感じで、トーハクの近代建築散策。

トーハクは、一日過ごしても、すべてを見きれない感じで、毎回、退出時には後ろ髪を引かれています。。。またこよう。

※撮影:2022年7月


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