沖縄戦跡慰霊巡拝の記録「その5」となります。
その4は、下記にて。
2022年10月記録です
みたま安らかに
目次
沖縄陸軍病院糸洲二外科壕
いままで見てきた壕とは違い、ここは詳細な説明がとくにない、目立つことのない静かな壕。糸満市の糸洲集落の北側にある。
半分埋もれかけている。
ぬちどうたから
「ぬちどぅ宝」「命どぅ宝」
沖縄の言葉で「命こそ宝」を意味する。
沖縄戦では、集団自決から「命こそ宝」の言葉で気の残ったという証言も残っている。
陸軍病院第二外科壕
壕内には入れない。
開口部で合掌する。
コンクリートの塊で塞がれている。
場所:
https://maps.app.goo.gl/EWBzQY65r5C9N5Yv9
糸洲の壕跡(ウッカーガマ)
糸満市字伊敷にある壕。
小池勇助少佐(死後に中佐昇進・佐久市出身)が率いた第24師団第二野戦病院の跡地。
6月26日、学徒隊の解散にともない、小池少佐は「ふじ学徒隊25人(積徳学徒隊・積徳高等女学校)」に、「君たちは非戦闘員だ。死んではならぬ。つらくても生きのび、戦争の悲惨さを後世に伝えるのが君たちのつとめだ」と訓示し解散命令を発した。小池少佐は、最後の訓示ののち学徒隊を送り出して自決。最終階級は中佐。
「ふじ学徒隊」は、多くの犠牲者をだした他の学徒隊と比べ、3人の犠牲者に留まり、小池少佐の教えを守った。
小池勇助軍医の辞世の句
南の孤島の果てまで守りきて
御盾となりてゆく吾を
沖のかもめの翼にのせて
黒潮の彼方の吾妹に告げん
「ふじ学徒隊(積徳学徒隊)」の「積徳高等女学校」は、沖縄県那覇市久茂地にあった高等女学校で、1930年に私塾として開設した高等女学校
なお、「糸洲の壕」の入り口は2つあり、それぞれ「ウッカーガマ」と「ウンジャーガマ」と呼ばれていたという。慰霊碑は、ウッカーガマの入口にある。また、北西の「轟の壕」まで一部は繋がていた、ともいう。
鎮魂之碑
此の洞窟は第二十四師団山第二野戦病院の跡である。長野富山石川出身の将兵現地防衛招集兵並に従軍看護婦積徳高等女学校看護隊が傷病兵を収容した壕跡である
鎮魂の碑
(御霊よ。安らかに)
戦闘避難中に、当地で戦没した民間の慰霊碑
糸洲の壕
合掌す
場所:
https://maps.app.goo.gl/gVEVG3D9eFyq5RU67
近年(2025年)、整備が行われました。
https://www.city.itoman.lg.jp/site/toretateitorepo/27891.html
※撮影:2022年10月
沖縄戦跡慰霊巡拝
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