平成29年12月撮影
座間市に残る海軍戦跡散策。
高座海軍工廠ゆかりの地。
座間市の芹沢公園に残る防空壕(地下工場跡)など。
神奈川県座間市。相模鉄道さがみ野駅から北へ。
海軍厚木航空隊に隣接するこの地に海軍航空機製造の直轄工場「高座海軍工廠」(こうざかいぐんこうしょう)があった。
平成29年12月に周辺を散策しておりましたので、以下にレポを。
目次
位置関係
まずは、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
mapps.gsi.go.jp
1949年(昭和24年)1月10日米軍撮影の航空写真(USA-R2390-119)をベースに位置関係を。
終戦後4年過ぎた写真であれど工廠の建物が残っているのがわかります。
屋根は迷彩塗装してますね。
こちらはGoogle航空写真をベースにもう少し広域に。
相模大塚駅からの橙印の航空隊線路と台湾亭などは別記事で展開。
今回はさがみ野駅からの紫印が散策ポイント。
高座海軍工廠跡地散策
(こうざかいぐんこうしょう)
相模鉄道「さがみ野駅」から東に。東側の最初の踏切。
このあたりに正門があったという。 道路の位置は往時と変わらない雰囲気。 もっとも往時を偲ぶ何かがあるわけではなく。
かつて高座海軍工廠の中心あたり。
現在、桜並木が整備されているメインストリート。
海軍工廠の地から民間へと払い下げそうして開拓され、中央通りは「櫻花」彩る桜並木へと。
東原桜並木
昭和28年に周辺の農家が私財を出し合って畑かん水路の完成を記念して植樹。
前述の航空写真が昭和24年だったのでそれから4年後。昭和28年に桜並木が整備された頃には既に海軍工廠の名残もなくなっていたのかと。
高座海軍工廠(座間)
座間市による案内の看板が桜並木の駅近目の場所に建立されていた。
昭和19年5月15日開廠。高座工廠では局戦「雷電」などが製造されたという。
昭和23年に海軍工廠跡地は地元に返還。再開発へと。
大和厚木バイパスとクロスする東原四丁目交差点附近。
場所→https://goo.gl/maps/EootLdviFXF2 …
座間コストコ周辺。
このあたりに海軍工廠の滑走路があったという。
完成したばかりの局地戦闘機「雷電」の試運転などが行われたのであろうか。
今はコストコ大渋滞の車列が尽きない・・・
芹沢公園(座間)
高座海軍工廠の名残を探し芹沢公園に。
場所→https://goo.gl/maps/Xd3GDoEFYNu …
案内図に気になる写真が掲載されてますね。
「防空壕跡」 行ってみましょう。
※以下、再訪した記事もありますのでご参照に。
芹沢の地下壕
「高座海軍工廠跡」(座間)
昭和19年、高座海軍工廠開廠。同時に地下工場3ヶ所と地下物資倉庫10数ヶ所も作られた。栗原中沢地区(芹沢公園)地下壕は東西南北に地下道が総延長1500mほど掘られたという。戦後は地下壕の定番「マッシュルーム栽培」なども行われ、一部が保存されている。
現在は地下壕は非公開。
見ての通りに柵がありますが、隙間から覗くことは可能。
大小、幾つかの開口部を崖に沿ってみることが出来ます。
3枚目は隙間から。
4枚目はもしかしたら崩落したあとかも。
ほんの僅かに開口しているところもありました。
壕内からはムワッとした湿気を帯びた熱気が吹き出しており、カメラのレンズがあっという間に曇ったり。
こうして公園内に往時を偲ぶ戦跡として地下壕が残されいるのも貴重な歴史伝承。
芹沢公園の南端附近
栗原水源ポンプ所
(場所→https://goo.gl/maps/azxsJDYPccq …)
栗原水源ポンプ所
もともとは「高座海軍工廠の水道施設」として築造されたことにはじまり、終戦後、昭和30年より神奈川県企業庁に移管。昭和35年増設。昭和49年に座間市移管となり昭和58年に取水停止。見学用施設へと改修。
3枚目の写真は操作室。昭和58年まで使用されていた機器が展示。
取水施設があることから分かる通り、この芹沢公園の地は座間水源地のひとつであった。
周辺の標石は「神奈川県企業庁」かな。
かつて取水施設を運用していた絡みですね。
水源地らしく厳島の祠も。
ちょっと離れたところに座間市水道部の水道施設もありました。
実はこの向かいの崖下に「地下壕開口部」が集中していたり。
芹沢公園の南東に。
海軍工廠時代とともにあった芹沢の鎮守。
山王神社
御祭神:大山咋命
戦国時代末期に甲斐より芹沢の地に移り住んだ人々により集落が形成されたという。
文化5年(1808)に社殿造営の記録あり。
境内には芹沢の地より出征し戦死・戦病死された方々の慰霊碑もあり。(昭和44年建立)
こんな感じで高座海軍工廠の気配を地下壕に感じつつの散策。
相模鉄道さがみ野駅起点でざっと3時間ほどのフィールドワークでした。
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〆