2025年2月、仕事でタイ王国に赴いていました(人生2回目のタイ王国)
今回は時間を確保できたので「タイ王国海軍博物館(タイ海軍博物館)」に足を運んでみました。
BTS(BTS Sky Train)のスクムウィット線(Sukhumvit line)タイ王立海軍兵学校駅(Royal Thai Naval Academy)の東側。Bangkokバンコクの中心部からは少し距離がありますが、BTSで一本で来れるので楽チン。
とはいえ、まだまだバンコクでの一人旅は慣れていないけど。
本編は「タイの戦跡散策その1」の続きになります。
まずは、目に飛び込んでくるのが潜水艦の艦橋(セイル部分)。この潜水艦は日本製!なのです。
タイ海軍博物館。
タイ海軍にまつわる貴重な品が5,000点以上保管されている博物館。
入館は無料。
私が訪問したときは、守衛に「I want to visit the museum」でパスポートを提示して、OKでした。ちなみに受付のタイ海軍水兵さんは、英語は今ひとつ(私もですけど)だったので、スマホでタイ語翻訳を使いながら、会話などを。
目次
マッチャーヌ級潜水艦(มัจฉานุ)
タイ海軍の近代化
1933年、タイ王国は近代海軍を創設。大日本帝国がタイ王国の近代海軍化に向けて協力をすることになった。
後に「タイ海軍の父」と言われるチュムポーンケートウドムサック親王(アブハカラ・キアーティヴォンセ王子)は、近代化海軍整備計画として、日本に軍艦の建造を発注した。
そんななかで、川崎重工業で作られた「トンブリ」級海防艦や、浦賀造船所で作られた「メクロン」などとともに、「マッチャーヌ級潜水艦」も発注された。
(戦前の日本から、タイ王国には、2000トン級のトンブリ級海防戦艦2隻、1400トン級のメクロン級スループ艦2隻、マッチャーヌ級潜水艦4隻が輸出された)
タイ海軍初の潜水艦
4隻が建造されタイ王国へ1938年(昭和13年)に輸出された。
戦前戦後を含めて、日本で建造され日本以外で運用された唯一の潜水艦。つまり、日本が建造した唯一の輸出潜水艦であった。
1937年から1938年にかけて、三菱重工業神戸造船所でマッチャーヌ級潜水艦(三菱型潜水艦)として4隻が竣工。当時の日本製潜水艦(ハ号クラスに準じる設計と性能であった。
マッチャーヌ級潜水艦は、乗員29名、基準排水量は水上375トン(水中430トン)、全長51 メートル。
推進機関としてディーゼルエンジン 2 基が搭載されており、水上では約15.7ノット(時速約 28 キロメートル)、水中では約 8.1ノット(時速約 15 キロメートル)の速力を出すことができた。兵装は、45cm魚雷発射管を艦首に4 門(8発)、8cm高角砲 1 門を備えていた。
マッチャーヌ級潜水艦1番艦2番艦は1936年5月6日起工、同年12月24日進水、1937年9月4日に竣工引渡された。この日はタイ海軍では「潜水艦の日」に制定されている。
続けて、3番艦4番艦も竣工し、マッチャーヌ級潜水艦4隻は1938年6月に、日本で訓練を受けたタイ海軍の訓練生らによって、神戸を出港し、3週間かけて、台湾とフィリピンを経由し、バンコクに到着し。7月19日にタイ海軍に就役した。
1940年の仏領インドシナとの国境紛争に際しては、哨戒任務に従事。
1945年のバンコク空襲では、搭載発電機を用いて市街に電力供給を実施。
バンコク空襲
タイ王国は日本の同盟国として英米に宣戦布告をしており、1942年から1945年までバンコク中心部のトンブリ地区では大規模空襲が34回あったとされ、日本の敗戦濃厚になってきた1944年1月から45年1月までの1年間はタイ王国全土でおよそ250回の空襲があったという。
戦後
マッチャーヌ級潜水艦4隻は、結果として大きな戦闘に従事することなく、終戦を迎えている。
日本の敗戦により、日本製潜水艦の保守部材供給に難があることや、1951年のタイ海軍クーデーター(マンハッタンの反乱)失敗に巻き込まれ、1951年に4隻ともに体液となり、解体された。
そのうち、1番艦「マッチャーヌ」の艦橋と単装砲がタイ海軍博物館に展示されている。
マッチャーヌ潜水艦の艦橋
8cm高角砲
そのほかの野外展示物。
アルバトス飛行艇
タイ海軍クーデターの失敗後、航空戦力を保有できなくなったタイ海軍が解禁後に導入した飛行艇。1968年に米空軍より中古導入。
野外展示
タイ王国海軍博物館
(NAVAL MUSEUM 海軍博物館)
入口に、退役軍人さんかな、受付がありまして、そこに記帳を求められます。記帳後に、私がそれなりに大きなリュックを背負っていたので、ロッカーにいれることをおすすめされました。(タイ語だけどなんとなく、ジェスチャーで理解)
そして、左側の部屋から見るようにと、案内をしてくれました。(タイ語だけど、なんとなく理解)
犬が当たり前のようにくつろいでいるのが、タイ王国クオリティー
タイ海軍歴史部門(タイ海軍博物館)
タイ海軍の歴史を中心とした部屋。
歴史学科海軍教育部
HTMS Phra Ruang(プラ・ルアン)
เรือหลวงพระร่วง
タイ海軍がイギリスから導入した最初の近代的な駆逐艦。
タイ海軍プラ・ルワン(Phra Ruang)
旧名(英国海軍):ラディアント(Radiant)
HTMS Phra Ruang(プラ・ルアン)のガルーダ艦首
「HTMS Phra Ruang(プラ・ルアン)/เรือหลวงพระร่วง」
模型
船首像
タイ海軍の駆逐艦「HTMS Phra Ruang(プラ・ルアン)/เรือหลวงพระร่วง」(英海軍:レディアント/Radiant)は、1916年に進水し第一次世界大戦時にイギリス海軍(R級駆逐艦)で運用された後に、タイ海軍に1920年の売却された駆逐艦。本艦の購入資金を捻出するために国王ラーマ6世やその他の上流階級の人物が個人的に寄付を行ったことは、タイ王国において軍艦購入のため寄付が行われた最初の例でもあった。
タイ海軍提督アブハカラ・キアーティヴォンセ王子が直々にイギリスへ本艦の購入交渉に向かい、売却後のイギリスからタイ王国への回航の際にはキアーティヴォンセ提督が自ら本艦の指揮を執った。
第二次世界大戦、そしてその後もタイ王国海軍で運用。練習艦として活用され1957年に退役。海軍から除籍後も訓練用の艦体として活用され2000年頃以降に解体され、その後に船鐘やガルーダ船首像などの一部が保存されている。
以下は、タイ王国王が本艦を購入するに至るまでの王室の寄付などのエピソードが記載されている。
タイ王国海軍「HTMS Phra Ruang(プラ・ルアン)」としての活躍のエピソードなど。
1929年7月25日
プラチャーティポック国王(ラーマ7世)のシンガポール・ジャワ・バリ島への王宮訪問に同行
1940年
フランス領インドシナ紛争、大東亜戦争では、
ルアン・シントゥソンクラームチャイ 少将の指揮下で部隊編成され、HTMS Phra Ruang(プラ・ルアン)は第三艦隊に所属。
1959年6月19日
退役
「タイ王国海軍の父」タイ海軍とアブハカラ・キアーティヴォンセ王子の歴史
タイ海軍の歩みなど。
「タイ海軍の父」
海軍創設に尽力したチュムポン王子(チュムポーンケートウドムサック親王/アブハカラ・キアーティヴォンセ王子・Abhakara Kiartivongse)
ラマ5世の28番目の王子であった、タイ王国海軍の創設者、タイ海軍の父のエピソードなど。
Abhakara Kiartivongse祭壇(タイ海軍の父の祭壇)
タイ海軍の父
Abhakara Kiartivongse(アブハカラ・キアーティヴォンセ)の祭壇。
祭壇の絨毯は土足禁止。
神獣
象と鹿と鳥と魚と蛇と縁起の良い5つの動物が合成された神獣。
武器室(タイ海軍博物館)
火器が展示してある部屋
見る人が見れば、楽しいのかもしれないけど、火器関係は知識不足なので、さくっと。
2階へ
祭壇がありました。
タークシン王の祭壇
トンブリー王朝のタークシン王に関するコーナー。
伝記も。タイ語だけど。
タイ海軍の歴代制服とか
なぜかウミガメ
なぜか、アジアゴールデンキャット
奥の建屋に移動。
ガルーダ船首像がお出迎え。
タイ海軍のかつての軍艦模型
軍艦模型
いろいろ、じっくり見ていたら時間がなくなる。。。
HTMS Maeklong/メクロン(メークロン)模型
タイ王国が自国の沿岸警備のために日本の浦賀造船所に発注した軍艦。
1937年竣工、1995年退役。
B-24のプロペラ
1944年5月7日にタイ海軍艦が撃墜したB-24のプロペラ。
HTMS SAMUI サムイ(大東亜戦争)
大東亜戦争で活躍したタイ海軍(HTMS SAMUI サムイ)のエピソード。
電力燃料不足に陥ったタイは、シンガポールとタイのあいだの燃料輸送を、HTMSサムイに委ねる。
HTMSサムイはタイへの燃料輸送を17回成功させたが、1945年3月の18回目で力尽き、潜水艦シーラインの雷撃で沈没。艦長以下31人が死亡し、17人が生存した。
サムイ号の模型(タイ海軍のタンカー)
コーチャン島沖海戦
フランス領インドシナ紛争の一環として、1941年1月17日に起きたタイ海軍とフランス海軍の戦い。
フランス軍の圧勝であった。
HTMS Thonburi トンブリ
タイ王国海軍の海防戦艦(砲艦)
神戸の川崎造船所で建造された。起工は1936年1月12日、進水は1938年8月5日。1938年8月5日に就役。
1941年1月17日のコーチャン島沖海戦で横転擱座。さらには友軍のタイ空軍の誤爆にあうなど、タイ海空軍の練度の低さが露見してしまった。
横転擱座したトンブリは、サルベージには成功したが損傷が激しく、係留状態での練習艦として利用し、1959年6月19日に除籍され、1967年に解体された。
艦橋の一部と主砲塔がタイ海軍兵学校で記念保存されている。(今回は未訪問でしたが)
タイ海軍博物館には、フランス艦の砲撃を受けたHTMSトンブリの船尾装甲も展示されている。
トンブリの模型
チャン島の戦い
HTMS Chakri Naruebet(チャクリ・ナルエベト)模型
タイ海軍の航空母艦(軽空母・ヘリ空母)。1994年7月12日に起工、1996年1月20日に進水し1997年8月10日に就役。
そのほか
タイ語なのでよくわからないけど、(スマホでGoogleレンズを活用しつつ)ふらふらと眺めてみる。
野外展示
魚雷!!
絵画
HTMS Thonburiトンブリ、
フランス海軍との海戦。(コーチャン島沖海戦)
タイ海軍大佐が描いた油絵、1996年にタイ王国海軍に寄贈。
HTMS SONGKLA ソンクラ
同じくフランス海軍との海戦。(コーチャン島沖海戦)
タイ海軍大佐が描いた油絵、1996年にタイ王国海軍に寄贈。
Royal Thai Naval Academy(タイ海軍兵学校駅)
タイ海軍兵学校駅から。
見ての通り、ほとんど人がいない博物館。
ゆっくり見学して、それでも11時30分から13時くらいまで、1時間半くらいの所要でしたが、その気になれば(きちんと翻訳をしながら見学するのであれば)半日いても良い感じ。
今度は、向かいにあるタイ海軍士官学校(トンブリの見学)にも行きたいですね。(次のバンコク行きはいつだろ?)
※撮影:2025年2月
ちなみに、仕事はバンコクから3時間くらい南のラヨーンのリゾートホテルでのAPACなミーティング参加、でした。
リゾートっぽい
仕事?ノマド感・・・
キーボード沼の終着点。
HHKB Professional Hybrid Type-S SnowWhite
タイの戦跡とは関係ないですが、タイのリゾートっぽい感じってことで。