サイトアイコン 近代史跡・戦跡紀行~慰霊巡拝

荒川区の疎開道路(消防道路・尾久の原防災通り)

先日の博多散策で疎開道路のことを調べていたら、東京にも名残があったので、せっかくなので足を運んでみました。

福岡博多の戦跡散策、その4になります。雨が降る中、飛行機の時間も迫っていたので、空港に戻る地下鉄沿線でさくっと散策できそうなところを何箇所...

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位置関係

国土地理院航空写真
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル:B29-C3-64
1936年6月11日、帝国陸軍撮影の航空写真
昭和11年、まだ戦争前の航空写真。

ファイル:8921-C3-37
1944年11月07日、帝国陸軍撮影の航空写真。
いくつかの道路が拡張されているのがわかる。

拡大。1936年。

拡大。1944年11月7日。
ちょうど1944年11月24日にB29爆撃機が東京を初空襲する、その直前の航空写真。
赤線で挟んだ道路が、疎開道路となる。

現在の様子。


荒川区の疎開道路(消防道路・尾久の原防災通り)

「尾久の原防災通り」は、第二次世界大戦中に、空襲による延焼防止を目的として、建物を疎開させ、敷設・拡幅された疎開跡地。
戦後に、通称「疎開通り」と呼称された。
東尾久6-17先から東尾久1-1先明治通りまでの区道、約1360メートル。
昭和48年に「消防道路」と呼称され、平成24年に荒川区によって再整備後、公式な愛称が「尾久の原防災通り」となっている。

いまでは、普通の、歩道がちょっと広めの生活道路の様相。
戦争ゆかりの疎開道路を物語るものはない。

地味だけど、何もないけど、古地図と、通りの名称から、往時を偲んでみた。

場所:
https://maps.app.goo.gl/8p8bfZRkXjj31tgs9

撮影:2025年1月


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