生玉公園地下壕跡(生玉公園・大阪)

谷町9丁目駅からほど近くに鎮座している「生国魂神社」(いくだまさん)に隣接する「生玉公園」に地下壕があるというので足を運んでみた。


生玉公園

生玉公園は1940(昭和15)年5月着工、42(昭和17)年5月に開園。
生玉公園の地下壕は当時軍部が戦局を拡大させる中で空襲に備えるための「都市防空壕」として大阪市によって建設されたもの。

生玉公園地下壕
 先の戦争において我が国はアジア・太平洋地域の人々に対し大きな災禍と苦痛をもたらしたことをわすれてはなりません。また、大阪においても8次にわたる大空襲を含む50回を超える空襲を受け、まちは一面の廃墟となりました。
 生玉公園は1940(昭和15)年5月着工、42(昭和17)年5月に開園、地下壕は当時軍部が戦局を拡大させる中で空襲に備えるための「都市防空壕」として大阪市によって建設された。
 地下壕については、その建設経過や使用状況などの詳細は明らかになっていませんが、戦争末期には陸軍が使用していました。戦後、米国戦略爆撃調査団により刊行された報告書では、当時、一般では入手できなかった資材を使用して建設された「特別防空壕」の例として報告されています。
 また、この地下壕建設にあたっては、当時の植民地支配の下で「強制連行などにより集められた朝鮮人が苛酷な労働に従事させられた」との体験者の証言があります。
 戦後の50年にあたり、戦争の悲惨さを語り継ぎ、国籍・民族・文化等の違いを超えた相互理解と友好を深め、世界平和を心から願う気持ちを込め、ここに銘板を設置します。
 1996年(平成8年)3月 大阪府/大阪市

地下壕の構造
 内部の構造はアーチ状で鉄筋コンクリート造り、2階建て(ただし2階部分は現存せず)で、本体は幅約9m、高さ約6.5m、長さ約24m、1階部分の床面積203平方メートルとなっています。

生玉公園の上部に、「通気口」が残る。

斜面

開口部はコンクリートで閉鎖をされている。

しばらく工事していました。
2025年3月に訪れた際に工事していて、10月に訪問した際に工事が完了してました。
(そのまえ9月の段階でもまだ工事していて、実のところ、工事がいつ終わるかわからなかったため、不定期に何回か様子見るために訪問していました)

場所

https://maps.app.goo.gl/79iT3oobLXTJVNxZ6


生國魂神社

祭神:
生島神(いくしま神)
足島神(たるしま神)
相殿:大物主神

祭神は神祇官西院にて生島巫によって祀られる神。
歴代天皇が即位の際に祀る神として国家祭祀(八十島祭)の社。国土神霊として崇敬されてきた。

由緒:
 神武天皇が九州から難波津にお着きになられた際に、現在の大阪城付近に生島大神・足島大神を祀られたのが、当社の創祀とされている。そののち相殿に大物主神を祀っている。
 平安期の延喜式には「難波坐生國咲國魂神社」(二座)と記載され、御祭神は特別に生島巫によって祀られるなど、国家祭祀(八十島祭)の社として知られている。
 中世期には当社に隣接して「石山本願寺」が建立。元亀年間には信長の本能寺攻めにより延焼。その後、再興されるも秀吉の大阪築城によって天正11年(1585)に現在地に遷座したとされている。
 以来、当社は「難波大社」の尊称をもって広く崇敬され、明治期には官幣大社に列せられ、国土守護神・大坂総鎮守として篤く信仰されてきた。

 本殿社殿は「生國魂造」と呼ばれる独特の建築様式。本殿と幣殿は一つの流れ造りでふきおろし、正面屋根には千鳥破風・すがり唐破風、さらに千鳥破風の三破風をすえたものとなっている。
 社殿は明治45年、昭和20年に焼失し、さらには昭和25年の台風によって総檜素木造の本殿が倒壊。
 現在の社殿は昭和31年に鉄筋コンクリートによって建てられたもの。


※撮影:

2025年3月・10月


大阪関連

はじめに

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です