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「ともちゃん地蔵」満洲難民収容所の悲話を伝承するお地蔵様(岩槻)

六本木にある「ともちゃん地蔵」に関しては、以前の記事に記載しました。

麻布十番から六本木ヒルズへ抜ける道の途中に、戦争を物語るお地蔵様がいらっしゃいました。 この記事は、六本木の「ともちゃん地蔵...

「ともちゃん地蔵」は、東京「六本木」を皮切りに、全国各地に賛同者を得て造立されてきた。

今回は、岩槻の「ともちゃん地蔵」を掲載。


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ともちゃん地蔵

ともちゃん地蔵は、増田昭一さん(2020年12月に急逝、ドラマ「遠い約束」の原作者)が自身の体験をつづった「満州の星くずと散った子供たちの遺書 新京敷島地区難民収容所の孤児たち」に収められた「ともちゃんのおへそ」という伝承に基づく。
「ともちゃんのおへそ」は、のちに絵本にもなった。

公益財団法人中国残留孤児援護基金 中国帰国者支援・交流センター 

ともちゃんのおへそ

増田昭一の本

増田昭一の本がテレビドラマに。“終戦69年”ドラマ特別企画「遠い約束~星になった子どもたち~」がTBS「テレビ未来遺産」2014年8月25日(月)夜9時から放映!


岩槻の「ともちゃん地蔵」

岩槻の「ともちゃん地蔵」は、千野誠治さんの活動に賛同して建立されたお地蔵様。
慈恩寺「玄奘三蔵霊骨塔」の裏に鎮座している。

ともちゃんの おへそは お母さんの 顔

ともちゃん地蔵
ともちゃんは 夕方になると 難民収容所の 隅っこの お母さんのお墓の前で 小さな手を合わせます
ズボンをちょっと下げ 上着をまくりあげ おへそを眺めます
「お母さんに会いたいときは おへそを見なさい きっとお母さんの顔が 見えるでしょう」
お母さんは死の床で そう言いました
寒さが収容所を襲うと 弱い者から命を奪われます
ともちゃんも仲間のお兄さん達も 身体をくの字に曲げて おへそを眺めながら 死んでいきました
遠い昔中国の北の街に そんな子供達がいたことを 忘れないでください
二度とこんな悲しみを 子供達に 負わせないでください
 2001年1月25日
  紅梅の会 
   村上米子

合掌

撮影用に、おへそを確認しましたが、実は服を着ていたので、撮影完了後に服を戻しました。


玄奘三蔵霊骨塔

西遊記(孫悟空)で名高い、玄奘三蔵法師の霊骨石塔。
13重で高さは18mあり、慈恩寺が管理。

三蔵法師の遺骨は、宋の時代に長安(現・西安)から南京にもたらされた後、太平天国の乱で行方不明になったが、第2次大戦中に南京を占領していた日本軍が、偶然にも土木作業中に法師の頭骨を納めた石箱を発見(昭和17年)。
頭骨は、当時の南京政府に還付され、昭和19年に南京玄武山に玄奘塔を建立し奉安されるとともに、日本へも分骨された。日本へ渡った頭骨は、当初芝増上寺に安置されましたが、折しもその頃の東京は空襲の被害が広がり、一時埼玉県蕨市の三学院に移され、さらに三蔵法師の建立した大慈恩寺にちなんで命名された慈恩寺に疎開となった。
第2次大戦後、日本仏教界が正式な奉安の地を検討した際に、三蔵法師と縁の深い慈恩寺が奉安に最適の地とされ、昭和25年に13重の花崗岩の石組みによって玄奘塔が造営。
その後、慈恩寺から台湾の玄奘寺(昭和30年)や奈良の薬師寺(昭和56年)へも分骨されている。

場所

石亀がいました

ピザ窯だそうで。

慈恩寺の本堂。玄奘三蔵霊骨塔は飛地のため、少し離れている。

玄奘塔への行き方。

鎮護国家の旗台は昭和17年2月奉納。

忠魂碑
日露戦争と、支那事変・大東亜戦争での犠牲者。

※撮影;2025年5月

場所:


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