2026年3月、山形に赴く機会がありましたので、散策を。
(キュンパス(旅せよ平日!JR東日本たびキュン♥早割パス)」を活用した日帰り旅、でした)
戦跡散策として、初の山形市となります。
その1は下記から。
目次
山形県旧県庁舎(山形県郷土館・文翔館)
第2代山形県庁舎。
1911年(明治44年)5月の山形市北大火によって初代山形県庁舎および県会議事堂は焼失。
再建新庁舎は耐火建築物として建設され、1916年(大正5年)6月、2代目の県庁舎および県会議事堂がイギリス・ルネサンス様式で竣工した。建物はレンガ造りで(床・天井・小屋組は木造)、県庁舎は地上2階、半地下1階の3階建て。議事堂は平屋建て一部2階建て。
創建時から稼働する時計塔の機械式大時計は札幌市時計台に次いで国内で2番目に古いものとなる。
1975年(昭和50年)9月、総工費97億円余りを投じ建設された地下2階、地上16階の3代目県庁舎が完成し、歴史資料館として永久保存となった。
国指定重要文化財。
重要文化財
山形県旧県庁舎
この建物は、レンガ造りの三階建で大正5年6月15日に落成し、昭和50年9月に新県庁舎が建設されるまでの間、県庁舎として使用されました。
その後、東南村山合同庁舎として昭和59年まで使用されました。
昭和59年12月28日に旧県会議事堂とともに国の重要文化財に指定されております。
中央階段
バルコニー
昭和22年、 昭和天皇行幸の際に、バルコニーから山形県民にお手を振られた記録が残っている。
稼働する機会式時計としては、日本で二番目に古い(最古は札幌市時計台)。
貴賓室(副知事室)
知事官房(知事秘書室)
初代県令(初代県知事)
三島通庸胸像
栗子山隧道
國の為 尽くす心は 陸奥の
山の坑道 踏みてこそしれ
通庸
栗子山隧道(栗子隧道)は、山形県米沢市と福島県福島市の県境間のトンネル。明治14年(1881)開通当時の日本最長トンネル。
三島通庸所用佩刀
知事室
山形の歴史も。
1.県都山形の発展
市制を築いた明治22年(1889)、当時の山形市の戸数は2,212戸、人口は28,400人でした。その後、大火や水害の大きな被害もありましたが、35年に5,884戸・37,348人、大正10年(1921)には8,794戸・47,257人と、戸数・人口ともに増加し、とくに工業従事者数が急増しました。
その間、日清戦争後の軍備拡張の気運が高まる中で明治30年に歩兵第三十二連隊が設置され、34年には奥羽線が山形まで開通しました。また、大火後の復旧事業も進み、大正5年には、新県庁と県会議事堂の完成を記念して、奥羽六県連合共進会が開催されました。
歩兵第三十三聯隊の設置
日清戦争後の三国干渉の結果、軍備拡張の気運が高まり、旧山形城本丸・二の丸跡に歩兵第三十二聯隊が設置されました(明治30年)。
歩兵第三十二聯隊は、初めて従軍した日露戦争で大活躍しました。
中庭側から。
山形県旧県会議事堂(山形県郷土館・文翔館)
旧県庁に隣接する、旧県会議事堂。
第2代山形県会議事堂。
こちらは、改装工事中のため、見学は不可でした。
旧県庁と旧県会議事堂を結ぶ通路。
https://www.pref.yamagata.jp/110001/sangyo/sangyoushinkou/him_top/him_maincat1/him_24.html
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/145381
場所
https://maps.app.goo.gl/ojUcJE5fpBXGNJnp7
旧山形師範学校本館(山形博物館・教育資料館)
旧山形師範学校本館は、山形県師範学校時代の1901年に建設された本館。
ルネサンス様式の木造洋風建築。
1973年に国の重要文化財に指定され、1980年から山形県立博物館分館教育資料館となっている。
旧山形師範学校講堂は、本館に隣接しており山形県指定有形文化財二指定されている。
師範学校道場の大鏡
師範□□山川□□具店。鏡面の下には文字が削り取られた跡があります。もとは、師範道場、山川武道具店の文字がありました。終戦直後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指令により、教育現場では軍国主義の一掃が図られました。戦時下に中学校や師範学校などで行われていた軍事教練はもとより、柔道や剣道などの武道も軍国主義につながるものとして一切が禁止され、関係する道具類もすべて廃棄処分されました。
この大鏡は、昭和13年(1938)に山形師範学校の道場落成記念として寄贈されたものです。武具に類するものではなかったために、処分を免れたものですが、「道場」と「武道」の語が注意深く削除されています。当時の軍国主義排除の徹底ぶりを物語る貴重な資料といえます。
旧山形師範学校・門衛所(国指定重要文化財)
門衛所(国指定重要文化財)
明治34年に山形県師範学校が旅籠町から現在地に移転新築された時からある建物です。本館に続き、昭和55年に国重要文化財に追加指定されました。昭和15年奉安殿建設のため正門内南側に移されましたが、昭和57年の改修工事の際に元の位置に移築されました。木造平屋建ての擬洋風建築で、屋根は亜鉛引鉄板一文字葺、外装には下図のような意匠が凝らされています。
旧山形師範学校・講堂(山形県指定有形文化財)
教学百年
昭和五十五年の建立。
「創立二十五年祝典記念」
1901年9月に、現在地の馬見ヶ崎河畔の新校舎(馬畔校舎)に移転。
師範学校は1878年9月に開校して、1903年に25周年を迎えた。
https://www.pref.yamagata.jp/110001/sangyo/sangyoushinkou/him_top/him_maincat1/him_25.html
https://www.yamagata-museum.jp/education-museum
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/192840
場所
https://maps.app.goo.gl/rAaBhFy5iGvVQqYF9
このあと、「山形大学附属博物館」に赴いたけど、臨時閉館。残念。ここには、陸軍丁式二型爆撃機用プロペラがあるというが。再訪?
※撮影:2026年3月
