日露戦争で活躍した初代不知火の錨が、墨田区立両国小学校に保存してあった。
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不知火(東雲型駆逐艦4番艦)
1899年(明治32年)、イギリス・ソーニクロフト社で竣工。イギリスのD級駆逐艦の準同型艦。
1904年(明治37年)、日露戦争では第2艦隊第5駆逐隊に所属。旅順口攻撃や黄海海戦・日本海海戦などに参加。
1925年(大正14年)廃船。
錨の由来
この錨は日露戦争(1904年~1905年)で活躍した日本海軍の駆逐艦「不知火」のものである。この艦は英国ソーニー・クロフト社製造・起工明治31年・進水32年・326トン・(艦長63,5メートル・5470馬力・30ノット・火砲6門・発射管2基・煙突2基)の構造である。
錨の裏側にあるアルファベットと1898の刻印は錨の製造年と推定される。
猶この錨は両国一丁目の鉄鋼業岡田商事(旧岡田菊次郎商会)が軍艦の解体作業で得たのを昭和初年に江東(現両国)小学校に寄贈したものである。
平成3年
両国(相生・江東)小学校同窓会
場所
関連
近隣
芥川龍之介文学碑
芥川龍之介は、不知火の錨が保存されている、両国小学校の出身
吉良邸跡
忠臣蔵の吉良邸が近所。
勝海舟生誕の地
墨田区立両国公園
勝海舟に関しては別記事でまとめる予定。
〆