駆逐艦 初霜の錨

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平成28年5月撮影

旧帝国海軍駆逐艦「初霜」の錨
墨田区:山田記念病院

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初霜の錨

一等駆逐艦初春型の4番艦 「初霜」
その錨が記念として保存されていた。
今となっては数少ないあり日の帝国海軍のよすがを偲びに。

墨田区の山田記念病院。

入口脇に初霜の錨が保存されています。
病院の初代院長が初霜に乗艦したことがあったというご縁でもって。

場所 https://goo.gl/maps/LmStTMAmjiw …

この錨は歴史ある日本海軍駆逐艦「初霜」の錨である。


 この錨は歴史ある日本海軍駆逐艦「初霜」の錨である。 初霜はさきの大戦に北はアリューシャン列島、南は佛印、シンガポール、比島にわたる広い太平洋海で勇戦、 最後は昭和20年4月戦艦大和沖縄特攻作戦にも参加し、同年7月30日宮津湾に於いて対空戦闘中触雷擱坐して任務を終わった。
 終戦時には日本海軍の駆逐艦203隻の多くが遠い海に沈み、残存の33隻の内ほとんどを連合軍に接収された。 初霜は日本に残り解撤され、その錨がこれである。
 私は昭和15年軍医長として初霜に乗込み作戦に参加した。縁あって私のところに来たこの錨を伝統ある帝国海軍の遺産として長く後世に残しておきたい。

昭和54年5月
山田病院初代院長
元海軍々医少佐 山田正明


初霜

横須賀浦賀船渠で1933年(昭和8年)1月31日に起工。翌34年9月27日に竣工。
各地で勇戦し、坊ノ岬沖海戦…所謂あの大和特攻作戦からも生還するも終戦直前の昭和20年7月30日に舞鶴にて機雷触雷し沈没。
このとき第17駆逐隊として「初霜」最期の僚艦が「雪風」だった。

大和特攻作戦からも生還した幸運艦であったが、終戦まであと半月のところで擱座。
擱座・着底した初霜は戦後に解体。
錨が初霜にゆかりのあった山田病院院長の手によってこうして保存されている。

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コメント

  1. ノザキ カツユキ より:

    いつも前を通る度になぜ錨がおいてあるのかとふしぎでした。この度の件で思いつき調べさせていただきその由緒に少し感動を覚えた次第です。初代院長の志しを守るためにもこの一件にめげずに頑張っていただきたいです。

  2. […] 駆逐艦 初霜の錨 […]