神奈川県横浜市中区根岸台にあった競馬場。現在は主に根岸森林公園として再整備。日本初の洋式競馬場跡地。
目次
根岸競馬場(横浜競馬場)
幕末の1866年に横浜の外国人居留地における娯楽施設として根岸台に敷地が用意され「根岸競馬場」として開設。1937年からは「横浜競馬場」に名称を変更。
昭和17年(1942)に戦争に影響により競馬場として休止。
昭和18年に馬場を閉鎖し、帝国海軍が徴用。
昭和20年9月3日、連合軍が接収。
変換後の昭和52年(1977)に横浜市所有の「根岸森林公園」、日本中央競馬会所有の「根岸競馬記念公苑」「馬の博物館」などに再整備された。
位置関係
国土地理院航空写真
ファイル:USA-R498-5
1947年11月05日、米軍撮影。一部加工。
根岸競馬場と根岸飛行場(大日本航空横浜水上飛行場)と。
根岸飛行場は以下で掲載。
周辺は、米軍の接収地と入り混じっている。
根岸住宅地区(X住宅地区)
現在は返還合意の下で跡地利用の調整段階。
根岸競馬場一等馬見所跡
昭和4年(1929)にアメリカ人建築家J・H・モーガンの設計にて竣工。
2009年に経済産業省によって近代化産業遺産に認定されるも、修復などが施されておらず、廃墟として放置状態。敷地内はフェンスに囲まれており立入禁止。
根岸競馬場観覧席全景
(1930年頃)
モーガン広場
根岸森林公園は第2次世界大戦までは、競馬場として利用されていました。競馬場には馬場のほかに、一等馬見所・二等馬見所・下見所などの施設がありました。全ての施設は、アメリカ人建築家J・Hモーガン(1877-1937)による設計でした。
J・Hモーガンは多年にわたり、根岸競馬場の施設を設計しています。設計の過程では、設計案の変更を行っており、主な施設である一等馬見所・二等馬見所は、実際に設計された設計案のほかに別の設計案もありました。
ここでは、図面と写真で、一等馬見所・二等馬見所の設計過程及び建設された後の建物の様子、当時の競馬場の様子を紹介します。
現存している建物は、一等馬見所で昭和5年(1930年)に建設されたものです。
建物細部外観を遠望。
スタンド側は米軍敷地になるために、垣間見ることも難しい。。。
スタンドには鉄骨の屋根がついていたが、撤去済み。
Google Earthより。
現状は廃墟となっている近代化産業遺産。
公園の中にそびえ立つ巨大な構造物は見応えありますので、ご興味わきましたら是非に。