浜町公園、都営新宿線浜町駅のすぐ近く。もっというと、明治座の目の前。そこに東京大空襲に関係する慰霊堂があった。
明治観音堂
昭和20年3月10日、東京大空襲。
指定避難所であった「明治座」には多くの人びとが避難していたが、界隈で犠牲となった人々を弔うために建立された観音堂。明治座の復興に力を注いだ、新田新作氏(戦後に復興した明治座の社長)の建立。
明治観音堂建立の由来
本堂は昭和二十年三月十日の
戦災に依り死没せる幾多の霊の
冥福を祈る為建立す
昭和二十五年十二月
発願主 新田新作
明治座と戦争
明治座 https://www.meijiza.co.jp/anniversary/war/
しかし時代は、昭和6年(1931)に満州事変が勃発しており、やがて日中戦争と次第に戦時色が強くなっていきます。第二次世界大戦が開戦し、昭和19年(1944)3月5日にはとうとう全国19か所の「高級興行場歓楽場」に対し、大劇場閉鎖の緊急事態が命じられます。しかし、3月20日には明治座他6劇場が解除になり、興行時間2時間半以内の演劇興行が再開されます。戦時中の厳しい状況の中でも、空襲のさなかにさえ、明治座はほとんど毎月幕を開けていました。
そして昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲で、下町一帯は灰燼に帰し、明治座も例外ではなく外側を残し焼失しました。現在でも、明治座の前にはその被害者たちを慰霊した「明治観音堂」という小さな石堂が建っています。この石堂の発願主は力道山の後援者としても知られた新田建設社長の新田新作でした。新田は後始末に奔走します。新田と地元の有志を中心に明治座復旧期成会が結成され、そこから設立された株式会社明治座が松竹から所有権を譲り受け、明治座の着工がはじまりました。
観音堂のうしろには、明治座。
すぐ近くには浜町公園。観音堂も浜町公園の通路にあるので、公園内といっても問題ないかもしれない。
目次
浜町公園
戦時中の浜町公園は、高射砲陣地が設置されていた。
そのため、浜町公園には、爆撃対象として狙われ、あたりは灰燼に帰した。
浜町公園のすぐとなりは、隅田川。
場所
明治座
総務省
位置関係
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル:8921-C2-18_
昭和19年(1944年)11月07日、日本陸軍撮影の航空写真を一部加工。
上記で浜町公園を拡大
こちらは戦後。高射砲陣地があった浜町公園は更地。
明治座の債権も始まっている。明治座は昭和25年(1950)に再建再興している。
ファイル:USA-M451-37
1947年09月08日、米軍撮影を一部加工
現在の様子。GoogleMap航空写真を一部加工。
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