都電荒川線に乗る機会があったので、終点の三ノ輪橋駅(三ノ輪橋電停・三ノ輪橋停留場)まで脚を伸ばしてみた。
三ノ輪橋駅からまっすぐに歩くと、ビルの下、アーチのような通路を抜け「日光街道」に。
今回は、この建物が主役。
ちょっと観察してみましょう。
目次
三ノ輪王電ビルディング
(王電ビルヂング)
都電荒川線の前身である「王子電気軌道」により昭和2年(1927年)に建てられた、 王子電気軌道の本社ビル。
王子電気軌道は、電気事業(電灯電力事業)と軌道事業(路面電車)、路線バス事業を行っていた。「王子電車」「王電」とも故障され、この本社ビルも「王電ビル」と呼ばれていた。
昭和2年当時は高い建物も少なく、この4階建ての王電ビルの存在感は圧倒的であった。
昭和17年(1942年)に王子電気軌道の軌道部門が東京市電気局に引き継がれ会社消滅。「王電ビルヂング」は売却。
軌道部門は「東京市電」となり、そして「都電荒川線」として唯一現存している軌道線となる。
また 「王電ビルヂング」 も現在は「梅沢写真会館」として、戦争をくぐり抜け、往時の姿のまま現存している。
王子電気軌道は会社としては、無くなったが、形を変え、都電荒川線として軌道を残し、そして本社ビルも、当時の姿を今尚伝えている。
現在は、「梅沢写真会館」
そして「三ノ輪橋商店街」の一部。
レトロな昭和の佇まいを残すビルの下。
梅沢写真会館。
地下鉄の三ノ輪駅はちょっと離れている。
都電荒川線の三ノ輪橋駅。
最近は、「東京さくらトラム」と愛称もつけられた。
昭和、ですね。
たまには、都電荒川線に揺られて、のんびりボーッとするのもありですね。
※撮影は2021年9月
参考
以下のサイトに、戦前の「王電ビル」の写真が掲載されている。
江戸時代からの交通の要衝であった千住は、明治中期以降には鉄道の要衝としても発展。戦後にかけて多くの地下鉄・私鉄の開業もあり、「北千住駅」は国内有数の乗降人員を誇るターミナル駅となった。